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旧小正月散歩・2013年 [散歩]

今日の当地の天候は荒れるという予想だった様だが、晴間もでて温暖な一日だった。
散歩の途中で両親と三人連れの可愛い女の子に出会った。
女の子(可愛ちゃんと呼ぶ)は、何か連れに注文をつけている様子だった。
追い越し際に立ち止まって話の内容を聴いてみると「手をつなぎたくない!」と
いう事らしい。両親が手を出してつなごうとするのを懸命に振り払っていた。

立って歩き始め、一人立ちが出来る様になり、一人で歩くのが面白くなった頃か?
可愛ちゃんは「手をつながない!」、「一人で歩きたい!」と、たどたどしい口調で
主張しながら、しぶとく手を払い、自分の手は引っ込める仕草。もうたまらない。
この年頃の子どもは、何をやっても、何を言っても可愛くて可愛くて!
私が手を振ると、目ざとく気付き「バイバイ」と言いながら手を振ってくれた。

ご両親は、道を急いでいたのだろうか?転ばぬ先の杖!と思ったのだろうか?
恐らく両方だろう。日常生活における子育ては、いつもいつも理想的にやれない。
もうそういう日常を送ることのなくなった暇な老人とは違うのだ。それでも
可愛ちゃんのこんな素晴らしい時間は、すぐに過ぎ去ってしまう。通りすがりの
私が、可愛ちゃんの貴重な一瞬を共に体験できたのは、何よりの幸せであった。
しばらく行くと、今度は立派な家の中から、思春期と思える子どもの泣き喚く声が
(内容は、シカとは分からなかったが)路上の私まではっきりと聞こえてきた。
何かを必死に抗議しているように聞こえたが、可愛ちゃんとは異なって、随分と
聞き苦しかった。思春期の子(思春子)は何が可愛ちゃんと異なるのだろうか?

私は次ぎの様に考えた。
1.可愛ちゃんは、自立する人間として育つために主張している。
  可愛ちゃんは何をやっても可愛く、また周囲への気配りも自然に出来ている。
2.思春子もまた、自立する人間として育つために主張している?
3.ならば、思春子の主張がなぜ聞き苦しいのか?
4.思春子が、主張の方法論を年齢相応に進歩させる能力に問題があるのか?
  思春子の環境が、年齢相応に方法論を進歩させる能力に問題があるのか?
5.どちらにせよ、環境のセイにせず、自立する人間を目指す志が大切だと思う。
年齢を重ねて、生まれ持った初心(自立の志)を忘れていれば思い出すことだ。
自立する人間を目指す志によって思春子もキッと立派な人間になる。如何なものか
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