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梅ちゃん_第10週迄&梅子と松岡 [物語]

「梅ちゃん先生」も先週で2/5を経過した事になる。主役級の人物像が少しは読めてくる?
私は、梅子(堀北真希)は「現在を大切に生きる」という生き方を心掛けている、或いは、
計画的ではなく、場当たり的にしか生きられない不器用な人ではないか?と思っている。
その理由は、第60回に梅子が、退院する弓子(馬渕英俚可)を見送っている時に、自分の
専門を何にするのか尋ねられ、「順番が前後するのは苦手!」と言っていたからである。
当面の課題である国家試験合格に全力を傾注する覚悟だからだと思う。このセリフは、
第49回、愈々卒業を目前に控えて、C班の仲間とインターン先の病院の話題になった時にも
卒業試験前には決められない、という意味で使っていた。私は、立派!な態度だと思うが、
別の見方をすれば、長期的展望を持つ計画性に欠けていると言われれば否定できない?
だが「現在(今)を大切に生きる」は仏教(禅)の教えであり、立派な生き方だと思う。

人間の内面など、チョッとみの外見ではわからない。弓子(馬渕英俚可)が退院する時
付き添いに母親らしい人が居たが、弓子の家庭は案外、しっかりした家だったのかも?
弓子が行きずりの人と心中未遂だったからといって、経済的な環境と関係はない訳だ。
現代の裕福な家庭でも、精神的に病んだ人がいる。現実の世界は、不可解である。

不可解の一例に、病院内で皆の噂になった梅子と松岡(高橋光臣)の関係の件を取上げたい
(一昨日のブログ参照)。この時の松岡は、「噂は事実に過ぎない。“二人の関係”も
どんな関係?」と、梅子に白を切った。この様な態度は、本来ありえない。なぜなら
学生時代(ダンスパーティ成功後)松岡は、梅子との関係が変な噂にならない様にと、別行動を
とって会合に行った経緯があった(第37回)。梅子と松岡は仲間達との会合に連れ立って
行く途中、若い二人連れの男に「よっ!ご両人・・・」と冷やかされたのがキッカケだった。
私が言いたい事は、第60回に、松岡は梅子のいう事を理解していながら、分からない振りを
したという事である。それはどうしてなのだろうか?

此処からは私の独断である。松岡は、(脚本編集で)梅子に興味を持った。(第37回は
それ以前の出来事)。しかしその後、あかね(宇野実彩子)結婚事件に巻き込まれた梅子は
「人は見かけによらない」という一種の人間不信?に陥った。そこで松岡が示した梅子への
好意も虚しく、映画館で別れてしまう。そしてまたインターンになって二人は再会した。
帝国大で医者になった松岡は、手紙で書いた「足りなかった私の力」をつけていた。また
再び職場の同僚として付き合って(特に宿直時の会話)、梅子のよさを再確認した。そして
弓子の件でも、岡部(品川徹)が示唆した「天の岩戸」以上に強力な、カント発言や、
メッケル憩室炎の診断などを通じて、梅子の悩み解決に大きく貢献した。
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松岡は、相当、梅子の事を好きになっているのではないか?だから、噂の話を逸らした。
反対に梅子は第37回時点では、噂を気にしていなかったのに、今回神経質なのは何故?
私は、あかねの一件で、梅子は「人は見かけによらない」という不信感を引き摺っていて
患者の篠田(正名僕蔵)や弓子の内面に立ち入っているのではなかろうか? だから
梅子は、弓子に松岡を「変な人ですよ!」と言い、二人の噂に神経質だったのでは?
二人での宿直が短く感じられたのは事実でも、理性的には松岡に不信感がある?
というか、信じたい気持と、信じられない気持との葛藤があるのでかないか?

「ロミオとジュリエット」脚本編集で、梅子が松岡に言った「医者たるもの、人の気持が
判らなくてどうする?」の“人の気持”とは、梅子が介入している家庭の事情とは、
少し違う様な気もする。松岡も、梅子を少し美化しすぎているのも知れない。
人間の内面など、チョッとみの外見ではわからない。だから世の中は矛盾が多く、
そして、誤解が生じ、不可解に満ち、さらに人間相互不信に陥るのではなかろうか?
今後の二人の展開は、混沌としている様に私には思える。そして、現実の社会も同様に、
一寸先は闇である。だから「今を大切に生きる」事が重要では? 如何なものか
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