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組織と個人・(3) [閑話]

日本人の個人主義は、既に室町時代の武士や商人にも、その萌芽がある。人間は一人では
生きていけないから個人主義に徹するといっても、個人は、ある種の党派、組合、組織に
属して生きてゆく事になる。その場合、組織が個人主義的であれば、摩擦は少ないが、
集団主義的な場合には、多かれ少なかれ摩擦が生じる。

個人主義的組織とは、構成員に役割分担はあっても、身分は平等で意見の相違は議論する。
ルールに従い、権力や暴力、金力などによって、意見を捻じ曲げたり、封殺したりしない。
非営利の趣味や、ボランティアのサークルでは、日本にも存在するのではないか?
外部組織との関係は、個人主義的組織とは、比較的明快な関係だが、集団主義の組織とは、
微妙な関係になる。集団主義的企業や自治体との関係など、運営に創造的工夫が必要。

集団主義的組織とは、構成員の立場が個々に微妙に異なり、上下関係、序列等が存在する。
リーダーや役員等は、一般構成員とは明らかに格が違い、外部組織との関係も上下関係や、
序列等が存在する。従って発言権も微妙に異なってくる。
戦前の海軍組織は、組織としては風通しもよく、近代的なルールに従って運営されていた?
“NHKスペシャル取材班「日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦」新潮社”
を読んでも、構成員が皆、個人として自立していなかったわけではない事が伺われる。
しかし、キーマンとなる様な人間の中に、集団主義的人物がおり、そういう人々が、権力で
事実を捻じ曲げたり、大切な決断の時に、見て見ぬ振り、組織盲従したり、するのである。
結局、集団主義的組織とは、「空気」の存在もさることながら、権力のために、「空気」に
盲従するキーマンによって、運営されている組織という事になる。この様な組織の場合には
自立した(個人主義的生き方の)個人でも、情報制約等、様々な制約によって発言が難しい。

先日、勅使河原宏監督の映画・『利休』を見た。三国連太郎の演じる利休は、その時代に
育ってきた「個人主義」を生きた。茶道という「道」を究める求道者として、信念を貫き、
秀吉から処刑された。秀吉は一種の暴君であり、家臣団は、腰抜け揃いである。
この事件は、為政者・秀吉の決断だったから、封建社会的集団主義とはっきりいえる。
しかし見方を変えて、家康が、同様の決断をした時に、家臣から諌言されなかったか?
組織が集団主義的か、個人主義的か?の問題もさることながら、組織と人の問題は組織と人
との相関関係に有る。「日本海軍400時間の証言」にも書いてあったが、見えるものからの
理詰めだけでは、深遠な問題に肉薄できないのでは? 集団主義的組織の中で、1945年の
敗戦の様な過ちを繰返さない個人の生き方と組織のあり方への研究が大事?如何なものか
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