力と愛・② [社会]
大阪地検は障害者団体向けの郵便割引制度を悪用した事件を2008年頃から捜査していた。
2008年5月には、上村元係長が逮捕され、2009年6月になって、現職の厚生労働省雇用均等・
児童家庭局長だった村木厚子さん(54)が逮捕された。容疑は、障害保健福祉部企画課長
だった2004年6月に、実体のない障害者団体「凛の会」に、上村元係長に指示して障害者
団体証明書を作成させた、というものだった。村木厚子さんは一貫して無罪を主張した。
今日の昼のTVで、無罪判決が下りた。結論的に言えば、上村元係長の単独犯行という結果。
2004年当時の元係長と、元部長が、調書では、依頼や指示をした事になっていたが、
証言では、調書を全面的に否定する内容になり、検察の立証は難しくなった。
今日発行の月刊「文芸春秋」10月号に、村木厚子著・「私は泣かない、屈さない」という
記事が掲載されていた。それを読むと“検察”のやり口が詳細に解説されていた。
弘中弁護士(優秀な弁護士さんらしい)曰く「検事が自分の好きな調書を作ってしまう。
それが調書というものだ。」村木さんは、“どんなに説明しても、結局検事さんが書きたい
ことしか書いてもらえない。そこからどれだけ訂正してもらえるかの交渉が始まる”という。
また検事は「調書の細かな修正を面倒がって、執行猶予が付けば大した罪ではないから良い
でしょう」という感覚だという。村木さんとしては公務員としての信用の問題なのだ。
検事は、庶民感覚とかけ離れた存在である。まったく“愛”のカケラも無い冷酷人間だ。
村木さんは、自分の誇りと、公務員としての信用をかけて、泣いて訴えたという。
それでも調書の修正に応じてくれた遠藤検事はマシな方で、国井検事というのは思い込み
が激しく、調書を一本も作成することなく終わったという。コミュニケーション能力は
どうなっているのだろうか?そんな異常なコミュニケーション能力では“愛”は育たない。
拘置所生活に関する村木さんの記述は素晴らしかった。“世の中には人のために動く人が沢山
いることを、身をもって知った。500通ほどの手紙を頂いたが、私なら手紙に何て書いたら
いいのか分からない。キッと皆さん、ものすごく一生懸命考えて書いてくれたのだと思う。”
という相手の気持を受け止める力を、国井検事に分けてやりたいものである。
検察というところは強大な権力を持ち、最高権力者をも監獄にぶち込める。だからこそ、
人間として謙虚でなければならないのではないか?如何なものか。
2008年5月には、上村元係長が逮捕され、2009年6月になって、現職の厚生労働省雇用均等・
児童家庭局長だった村木厚子さん(54)が逮捕された。容疑は、障害保健福祉部企画課長
だった2004年6月に、実体のない障害者団体「凛の会」に、上村元係長に指示して障害者
団体証明書を作成させた、というものだった。村木厚子さんは一貫して無罪を主張した。
今日の昼のTVで、無罪判決が下りた。結論的に言えば、上村元係長の単独犯行という結果。
2004年当時の元係長と、元部長が、調書では、依頼や指示をした事になっていたが、
証言では、調書を全面的に否定する内容になり、検察の立証は難しくなった。
今日発行の月刊「文芸春秋」10月号に、村木厚子著・「私は泣かない、屈さない」という
記事が掲載されていた。それを読むと“検察”のやり口が詳細に解説されていた。
弘中弁護士(優秀な弁護士さんらしい)曰く「検事が自分の好きな調書を作ってしまう。
それが調書というものだ。」村木さんは、“どんなに説明しても、結局検事さんが書きたい
ことしか書いてもらえない。そこからどれだけ訂正してもらえるかの交渉が始まる”という。
また検事は「調書の細かな修正を面倒がって、執行猶予が付けば大した罪ではないから良い
でしょう」という感覚だという。村木さんとしては公務員としての信用の問題なのだ。
検事は、庶民感覚とかけ離れた存在である。まったく“愛”のカケラも無い冷酷人間だ。
村木さんは、自分の誇りと、公務員としての信用をかけて、泣いて訴えたという。
それでも調書の修正に応じてくれた遠藤検事はマシな方で、国井検事というのは思い込み
が激しく、調書を一本も作成することなく終わったという。コミュニケーション能力は
どうなっているのだろうか?そんな異常なコミュニケーション能力では“愛”は育たない。
拘置所生活に関する村木さんの記述は素晴らしかった。“世の中には人のために動く人が沢山
いることを、身をもって知った。500通ほどの手紙を頂いたが、私なら手紙に何て書いたら
いいのか分からない。キッと皆さん、ものすごく一生懸命考えて書いてくれたのだと思う。”
という相手の気持を受け止める力を、国井検事に分けてやりたいものである。
検察というところは強大な権力を持ち、最高権力者をも監獄にぶち込める。だからこそ、
人間として謙虚でなければならないのではないか?如何なものか。
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