SSブログ

サッカーと政治 [社会]

サッカーと政治、これに共通する事は何か?それは人間。どちらも人間が行うことである。
2010.5.10発売の「文芸春秋」には幾つかの興味深い記事が掲載されていた。
その中でも、最も興味深かったのは、イビチャ・オシム前サッカー日本代表監督の記事であった。
日本サッカーの欠点は、戦略的ディシプリンの欠如だという。戦略的ディシプリンとは、「チーム全員が
同時に適切な瞬間に、適切な判断をして、適切な行動をとること。」だというのである。
戦略的ディシプリンの欠如を別の表現をすると、「自らの判断、リスク、自己責任の回避である。」
逆の言い方をすると、「他人の判断に従属し、責任の所在が曖昧でリスクを冒そうとしない。」と
いう事になるという。日本人らしい日本人の精神的側面を的確に言い表している様に思う。

しかしオシム氏は、日本人らしいサッカーをするべきだという。この辺が非常に難解である。
オシム氏は、日本チームの選手、スタッフ、コーチなど全員に戦略的ディシプリンを求めた。各人が努力し
試行錯誤し、互いに議論して、それぞれが独自の戦略的ディシプリン方法論を確立するようにと。
プロフェッショナルは、ストイックに仕事に打ち込むべきだというのである。
以上のようなオシム氏の記事の中で、最も印象に残った言葉が、「日本選手はチームメイトの
ために献身的に動こうとしない。」というものだった。戦略的ディシプリン、およびチームメイトへの
献身的努力の欠如、という言葉は、厳しい批評であり、日本人はオシム氏に良い感情を
持てないかも分からないが、世界の中で戦うためにこういう忠告が大切なのだ。
日本人的上下関係、縦型社会構造の馴れ合いでは世界のトップレベルにはなれない。

日本国内では米国を悪者呼ばわりしても、所詮、井戸の中の蛙でしかない。「普天間問題」も、
東南アジア、オセアニア、中国、韓国、北朝鮮等と、日本、欧米諸国とのパワー・バランスに深くかかわる
世界トップレベルの問題である。沖縄の米軍基地を縮小しながらもパワー・バランスをしっかりと取る
ために、長い時間をかけて練り上げてきたロードマップは、児戯に等しい一首相の素人判断で
軽々しく動かせるものではない。考え抜いた戦略的ディシプリンと、チームメイトに対する献身的努力が
相まって、世界トップレベルのパワー・バランスを維持できるのである。

時代の急激な変化は日本的縦型社会構造支配では世界に太刀打ちできない?サッカーと同様
政治もプロフェッショナルチーム、すなわちチーム全員が同時に適切な瞬間に適切な判断をして適切な
行動をとる戦略的ディシプリンを身に付けたチームを作らなければダメではないか?そして勿論、
チームの監督はプロ中のプロ?素人は去れ!但し後始末の責任は取ってね。如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。