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親戚来訪 [大家族]

今日は前から予定されていた身内の来訪する日である。朝から妻も張り切って迎えに行った。
初めての来訪なので、一通り狭い我が家の中を案内し、お茶を飲みながら談笑・記念写真等。
初めての倉敷訪問ということで、そこそこにして、美観地区・大原美術館鑑賞にでかけた。
音声ガイドを借りて、大原美術館本館をはじめ、工芸館、東洋館をじっくりと鑑賞した。
といっても時間的には1時間半そこそこしか時間をかけられなかった。客人はオイソガ氏。
予約していた昼食をとって、今度は分館を見て回る。

今日の夕方から日曜日の夜まで缶詰状態の仕事に入るという予定だからあわただしい。
分館の見物もそこそこに、美観地区の風景写真の撮影を兼ねて、急ぎ足で見物しながら
帰宅時の土産物を何にしたら良いか等の算段を妻と相談しながら、一方では、土産にしたい
備前焼を見て回る。あれやこれや見繕い結局三点ばかりを宅急便仕立てで送る事になった。
もう残り時間はわずかとなった所で、児島虎次郎記念館に飛込み駆け足鑑賞。

無事、定刻前に仕事場まで送り届けてお開きとなった。忙しかったが充実した時間だった。
7年前に当地に再び戻って以来、今回のような、親戚・知人の案内で美術館めぐりを何度も
経験しているが、改めて、美観地区の一連の美術館、工芸館、東洋館などの内容の重さを
ズッシリと感じ取った。毎回客人の都合で駆け足鑑賞になってしまうが、かと言って、普段
一日かけて見ようと思うことはなかったが、今後はそんな時間を持ってみたいと思う。

今回の客人は、芸術関係者であり、歓談の場面で色々と刺激になる話が聴けた。
そこで、一番感じた事は、やはり芸術は感覚的・直感的に感じる事が大切なのだと思った。
私等は美術館を一日掛けて鑑賞するなら、その前にもっと美術・芸術に関する勉強をしなければならないと思う。しかしそういう考え方は、芸術の分野では良くないようだ。
客人は美術館の絵画を自宅に掛けたいかどうか?と見る。私には想像も及ばなかった視点だ。
私なら、美術館の絵画は安くとも数百万するだろう。だから掛けたくても掛けられない。
と考える。芸術は、真贋以前に何か直感的なものを感じることに大きな意味があるのかもしれない。だから、私などから見たら贋作に騙される人の気が知れないが、芸術を愛する人には致し方ないことなのかも知れない。芸術には、直感・感覚が一番重要?直感・感覚以前に、理性が介入する事は、すでに芸術ではなくなるという事か?如何なものか。

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