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盤龍 [歴史]

万歩記録も昨日で週間目標は通過した。スロージョギング(Slow-Jogging)については、
昨日、今日とお休み。9日間休み無しに継続したが、膝に違和感があって少し休むことにした。
天地創造の神も日曜日には休んだという。全体的に疲れ気味で、筋トレも休もうと思う。
何も課題もないのでぶらりと妻と二人、井山宝福寺に出かけた。

宝福寺はもと天台宗の古刹で千有余年を経た古道場である。始祖は日輪大阿じゃ梨。後堀河天皇の御代・貞永元年(1232)に鈍庵和尚が新たに現在の地に伽藍を建てたものが宝福寺である。当時、栄西禅師が臨済宗を支那から将来され、数年後、九条道家の願いによって円爾弁円(聖一国師)が東福寺に出世され、禅風は天下に普及した。この時、鈍庵も上洛して弁円について修業し、井山を禅林に改宗した。
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寺内最古の建物といわれる三重塔は、寺伝によれば弘長二年(1262)、北条時頼公が巡国の際、建立されたと伝えられている。しかし昭和44年(1969)解体修理され、永和二年(1376)建立と記録されている。また今からおよそ540年前に、画聖・雪舟が12歳で当山に入門し修業の際、絵ばかり書いて、その業を怠り、住職がいましめのために本堂のお寺に縛り付けたところ、落ちる涙で板敷にねずみの絵をかいて、そのねずみが生きているように見えたので、住職はすっかり感心して絵の修業を許したという。最初の写真は、宝福寺三重塔、次の写真は少年時代の雪舟がねずみを足の指で描いている銅像の写真
DSC090627盤龍.JPG
左の写真は、宝福寺・仏殿(法堂:はっとう ともいう)の天井に描かれている絵。250年前に描かれた“盤龍(ぐるぐる巡る龍)”直径6メートル。当初夜々白蓮池の水を呑んでいた。里人が恐れたので、これを封じたと伝えられる。俗に「水呑みの龍」と呼ばれている。

禅宗の発展期は親鸞や日蓮が活躍する時代、蒙古来襲、そして建武の中興と南北朝時代に重なって深く関わっていた様である。禅宗や当時の新興の宗教が様々な意味で政治に深く関わっていた時代。そんな視点でもう一度この辺の歴史を見直すのも面白いだろう。如何なものか。

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