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個性と協調性 [閑話]

今日、イオンの中を歩いていたら、突然、女性の声が、耳に突き刺さった。
「今度は食べ放題だって?あんたは食べる事しか言わんね!」と、大変な剣幕だった。
見ると、話相手は、メタボタイプの十代前半?の男の子だった。時刻は午後二時前で
昼食を食べて間がないような時刻だった。最近、私は、メタボは万病の元という本を
読んでいたので、母親のイラツキが、理解できるような気がした。

丁度、今読んでいる本が、「悪い過剰」の社会問題をテーマにしているので、飽食という
「悪い過剰」の例を見たような気がした。今読んでいる本によると、生産技術の進歩は
「悪い過剰」でだけでなく、貧困や飢餓を無くす「良い過剰」にもなると指摘している。
しかし「悪い過剰」は、世界の一部の「上流生活」に憧れる庶民のストレス等から
派生した様々な悪習慣によって、再生産され、拡大・強化され、「良い過剰」は道遠し?

先日、モナコのヨットハーバーがTVで放映されていた。其処には世界各地から、大勢の
超資産家の超豪華ヨットを見物する観光客が、多数来ているという。そういう見物客に
インタビュしていて、見物客達は、沢山の超豪華ヨットを満足そうに見、語っていた。
ヨットというよりも、豪華客船に近い代物で、それらが沢山出入りしている様子は、景観
といえば、言えなくもないが、私に言わせれば「それが何ぼのもの?」と吐きたくなる。
こういうものを観光対象にするというのも、人に操作されやすい思考人間になっている?

私は、「個性」というのは、奇抜な服装や行動・態度などではなく、新聞・TVなどの
マスコミで、無責任なコマーシャル・評論家・作家等に操作されぬ確かな思考だと思う。
「協調性」や「和」というのは、そういった確かな思考を基本にして初めて意味がある。
若い人が、他人に操作されないように用心する態度を、「生意気」という。
そして、若者は、「生意気」ぐらいが丁度良いのである。

「健康志向」で、様々な活動テーマを掲げて、長期的に知恵を絞って継続することは、
社会との「協調性」を学びながら、「自分」というものを深く掘り下げる良い機会では?
品質管理活動が、従業員や顧客と協調しながら、経営者(そして従業員)が、真の企業の
目的、自己の目的を深く掘り下げるのと同調していると考えられる。社会も同じでは?
政治家と一般民衆と官僚が、社会の健全性を図りつつ、社会の真の目的や、民衆の目的を
明らかにするべきである。既に操作されており「悪い過剰」を追い求める政治家は
民衆によって排除されるべきだと思うが、民衆の健全性は大丈夫か?如何なものか
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