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西洋的認識の問題 [閑話]

今日は朝方曇だったが散歩に出る頃には晴れていた。日々、春色が増してくるのを感じる。
中国の第11期全国人民代表大会(全人代=国会)第5回会議が昨日閉幕したが、首相として
最後になる温家宝の全人代後の記者会見談話が、今朝刊の国際面に大きく載っていた。
最も力の入った発言は、政治体制改革に関する問答だったという。新聞の記述に依ると
「政治体制改革が成功しなければ経済体制改革は徹底できない。これまでの成果も失われ、
 文革(文化大革命)の悲劇が繰返される恐れがある」、というショッキング表現であった。
文革の悲劇とはどういう意味か?温家宝の発言から感じ取った私の意見を述べておきたい。

文革をどう捉えるかは、様々な目的や考え方によって多様な捉え方があるが、私の考えは
「文革」を、当時の中国共産党の修正主義派と毛沢東派との権力闘争の面だけとしない。
「文革」は、経済的発展推進の国家権力に対する不平不満が爆発した革命だったのでは?
当時(1960年代)の多くの中国人たちにとり経済的発展は、経済格差の問題というよりも
自分達が従来信じていた「生きる事の意味」の危機が、問題ではなかっただろうか?
1966-76の10年間吹き荒れた文革の嵐が、被害者1億人、死者1000万人?(公式資料無)
という犠牲者の数字からも、経済格差等の様なケチなねたみが原因ではなかったのでは?

温家宝が「文革」まで引合いに出して注意を促したのは、現状の政治的経済的改革は、
正しい方向性であり、一生懸命推進する事を、次期政権に強く訴える為だった?
新聞に、温家宝が「中国は文革の教訓を活かした路線を確立した」と書いていた。これは
温家宝は、政治体制改革(党と国の幹部制度の改革)により「文革」的危機は避けられる
と考えている証拠であろう。話はそれでメデタシ、メデタシ? はて?そうだろうか?

温家宝の記者会見の談話は、上述の私の推論によれば、そういう結論にはならない。
現状の中国政府のやり方も、文革以前の修正主義者と同様、中国の伝統・文化に根ざした
現代における「生きる事の意味」を醸成せず、経済的発展ばかり追いかけている、となる。
政治体制改革が成功すれば確かに「文革」的危機は避けられるかも? しかしこの手の
“・・たら・・れば”は実現した試しがない。日本においてさえ今だに不十分(小沢問題等)。
ましてや中国は日本の比では無かろう。現状日本ですら「維新」等と吠える輩がいる。
民主党政権交代以来の流れは、似非西欧文明主義者による革命に繋がる危険性がある。
「生きる事の意味」を見失った人々は、日本の小沢問題でも明らかだが、政治倫理や
経済格差に、問題を転嫁するのである。西洋文明に毒され、矛盾を許せなくなるが、
許せないと言いながら人は生きていく。矛盾と共にある時「生きる事の意味」が見える。



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私の同級生で、周恩来の呼びかけに応じて、輝かしい中国の建設を志して1960年、
高校卒業と同時に中国本土に還り、大学に入った後も長らく中国に滞在した友人がいた。
「生きる事の意味」に溢れた彼は、未来に向かって輝いていたに違いない。しかし
1966-76の文革で酷い目に会った。私はその友人と高校時代によく論争したから、彼の
当時の考え方はよく分かっているつもりである。恐らく、中国本土の一般の人々とは
なかなか話が通じなかったと思う。言語の問題では無いのである。

温家宝は、政治体制改革の重要性を強調するために「文革」という途轍もない事件を
引き合いに出したのだろう。しかし私は、それを彼の計算通りに受取る事ができない。
「文革」という問題は、単に政治体制改革の問題ではなく、西洋文明の特性である変化の
問題、すなわち変化スピードの問題だったのではないか?それは現代にも継続している。
そして変化スピードの限りない加速は、決してまともな現象ではなく、病的現象と化して
いるのではないか?即ち神とのつながりを失った西洋的認識方法は、人間の能力に重大な
欠陥を生じ、科学技術の成果を経済にしか活かせない偏執狂的人間を、大量発生させて
いるのではなかろうか? 「文革」と類似の脅威は、政治体制改革では避けられない?
如何なものか
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