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散歩つれづれ'11.11 [大家族]

今日は文化の日であるが天候は生憎、曇り空だった。歩いても大して汗もかかず、
じっとしていても寒くも無く、雨にも降られず、散歩には丁度良い日和であった。

今朝、途中からだが、NHKで、「さど・まさし 題名のある音楽会」を聞いた。
この音楽会は、東日本大震災の被災者を元気づけるイベント「さだ・さど音楽会」として
2011年9月30日に兵庫県立芸術文化センターで開催されたものだそうである。
いまや、世界的指揮者といわれる佐渡裕は、NHK総合テレビで毎月1回放送中の番組
「今夜も生でさだまさし」の大ファンだそうだ。
さだまさしと佐渡裕が、さだはギター、佐渡はフルート?で演奏しながらデュエットで歌った
『案山子』で、さだまさしは歌詞を間違えたと、演奏の後、正直に話していた。その間違いに
感動した人も多かったのではなかろうか?さだまさし本人が、今まで一度も間違えた事がない
稀有なハプニングだったという希少価値だけではないような気がする。

音楽の力によって呼び覚まされた会場の人々の魂が、東日本大震災や阪神・淡路大震災等
に関する様々な静かで激しい思いを呼び起こし、さだまさしの魂に共鳴したのではないか?
さだまさしは、(亡き人々を含め)人々の激しい思いに圧倒され、しばし言葉を見失った
のではなかろうか?

私は「魂」は大切な概念だと思っている。戦前は、「大和魂」を誇大に宣伝して好戦意欲を
あおり、悲惨な戦争で多くの若者を亡くしたために、戦後は「魂」の概念そのものが廃れた。
戦後は、そのあおりで道徳そのものも否定され、平和と民主主義を国民道徳の根幹とした。
平和と民主主義は政治的概念で、道徳的概念ではない。要するに理性偏重となったために、
人間という動物の不条理、非理性的な側面を切捨てて生きなければ「人でなし」となった。

「魂」という概念を説明する事は難しい。余り良い例えではないが、手近な所で言えば、
連続TV小説「カーネーション」の糸子(尾野真千子)と、父・小原善作(小林薫)や、母親・
小原千代(麻生祐未)の生き方だと思う。世俗的な財産等にこだわらず、自らの魂の叫びに
従って生きているのではないか?

閑話休題:私は、'11年下半期は連続TV小説を題材にしないと宣言してきたが、ブログを書く
題材に窮してきた。そこでこれからは、「魂」とは何か?「魂」の生き方という観点から、
連続TV小説「カーネーション」を適度に取上げて行きたいと考えている。如何なものか
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