「おひさま」第6週・子の旅立ち [物語]
今週の「おひさま」の話題は、陽子(井上真央)の師範学校受験と結果通知、茂樹(永山絢斗)
の旅立ち、卒業式当日の出来事、育子(満島ひかり)と真知子(マイコ)の家出、陽子の師範
学校への旅立ち、などがある。しかし書くとなるとなかなかまとまりにくい。
まあ今週のポイントは、真知子と陽子の便所立て籠もり攻防戦と、育子の東京脱出作戦だろう。
陽子は反乱の片棒は担いでも、自身の人生はスイスイと流れに乗って、故郷の先生として着任。
運命は決して人を平等には扱ってくれない。
真知子と陽子の便所立て籠もり攻防戦こそ紛れもない「お便所同盟」? 真知子の父・相馬剛三
(平泉成)は、屈強の男を三人連れて陽子の父・良一(寺脇康文)の家に逃げ込んだ真知子を取り
返しに来る。良一の制止も聴かず良一を男達に抑えさせ、強引に家の中に侵入し、最後は便所の
ドアを大木槌で叩き壊して連れ帰った。真知子と陽子の必死の抵抗、良一やタケオ(柄本時生)
のサポートもむなしく、真知子のささやかな抵抗は終わった。
一方、育子は初志を貫徹して東京に脱出成功。三人三様の人生への旅立ちであった。
真知子や育子と似た話が「てっぱん」にもあった。あかり(瀧本美織)の親友・加奈(朝倉あき)が
見合いを嫌った家出騒動である。しかしその時の父親・久太(柳沢慎吾)と今回の相馬剛三とは
いろんな意味で違っている。その異同について少々考察してみよう。
同じところは、娘を可愛がっている。娘の幸福を考えている。見合いを勧めた。ことだろう。
違っているところは、久太は、最終的に娘の意思を尊重したが、剛三は尊重しなかった。
また、他人の家屋に侵入し、壊す行為は剛三しかしなかった。
更に、久太には素晴らしい忠告者(あかりの母親・村上真知子(安田成美))がいたが、剛三には
いなかった?居ても聴く耳を持たなかった?
こういった違いは、時代の差(昭和14年<1939>と平成21年(2009)戦争を挟んで70年)が
大きな要因。時代による人の考え方や感じ方、社会構造・社会の可視化度合いの違いもある。
現代では社会的基盤が整っているから、子の自主性を尊重できるが、昔はそうではなかったと
言うのが一般的見方?その見方は正しい?このドラマは、子の自主性尊重の是非を、時代だけを
理由にしていないと、私は思う。何故なら親に無断で自主性を貫いた育子が、今までの展開だと
恐らく成功者になったようだからである。育子の今後の展開を待たねばならないが。
私も、子どもの自主性を尊重することの大切さは、時代に関係ない様に思う。社会構造が
多少違おうと、社会の可視化の程度がどうであろうと、人間の将来など見通せるものではない。
今回の大震災のようなこともあるし、第二次世界大戦も起こった。
主体性を持てない子を突放す事は良くないかも知れないが、巣立ちの覚悟が出来た子には、
旅をさせろ、即ち、「可愛い子には旅をさせろ」である。
親として最も大切な事は、子どもの自主性・主体性が本物か?偽者か?を見究める事である。
育子の脱出は、本人は親に気づかれずに成功したと思っているが果してどうだろう?昔の親は
子どもが進みたい道への覚悟を試すために、反対を唱えたものである。本気で義絶した親も
あるが、多くは本人の本気度を試したのだ。「てっぱん」の初音(富司純子)と千春の関係も、
そういった観点から見直おすと、「てっぱん」物語に深みが出てくると思うが。如何なものか
の旅立ち、卒業式当日の出来事、育子(満島ひかり)と真知子(マイコ)の家出、陽子の師範
学校への旅立ち、などがある。しかし書くとなるとなかなかまとまりにくい。
まあ今週のポイントは、真知子と陽子の便所立て籠もり攻防戦と、育子の東京脱出作戦だろう。
陽子は反乱の片棒は担いでも、自身の人生はスイスイと流れに乗って、故郷の先生として着任。
運命は決して人を平等には扱ってくれない。
真知子と陽子の便所立て籠もり攻防戦こそ紛れもない「お便所同盟」? 真知子の父・相馬剛三
(平泉成)は、屈強の男を三人連れて陽子の父・良一(寺脇康文)の家に逃げ込んだ真知子を取り
返しに来る。良一の制止も聴かず良一を男達に抑えさせ、強引に家の中に侵入し、最後は便所の
ドアを大木槌で叩き壊して連れ帰った。真知子と陽子の必死の抵抗、良一やタケオ(柄本時生)
のサポートもむなしく、真知子のささやかな抵抗は終わった。
一方、育子は初志を貫徹して東京に脱出成功。三人三様の人生への旅立ちであった。
真知子や育子と似た話が「てっぱん」にもあった。あかり(瀧本美織)の親友・加奈(朝倉あき)が
見合いを嫌った家出騒動である。しかしその時の父親・久太(柳沢慎吾)と今回の相馬剛三とは
いろんな意味で違っている。その異同について少々考察してみよう。
同じところは、娘を可愛がっている。娘の幸福を考えている。見合いを勧めた。ことだろう。
違っているところは、久太は、最終的に娘の意思を尊重したが、剛三は尊重しなかった。
また、他人の家屋に侵入し、壊す行為は剛三しかしなかった。
更に、久太には素晴らしい忠告者(あかりの母親・村上真知子(安田成美))がいたが、剛三には
いなかった?居ても聴く耳を持たなかった?
こういった違いは、時代の差(昭和14年<1939>と平成21年(2009)戦争を挟んで70年)が
大きな要因。時代による人の考え方や感じ方、社会構造・社会の可視化度合いの違いもある。
現代では社会的基盤が整っているから、子の自主性を尊重できるが、昔はそうではなかったと
言うのが一般的見方?その見方は正しい?このドラマは、子の自主性尊重の是非を、時代だけを
理由にしていないと、私は思う。何故なら親に無断で自主性を貫いた育子が、今までの展開だと
恐らく成功者になったようだからである。育子の今後の展開を待たねばならないが。
私も、子どもの自主性を尊重することの大切さは、時代に関係ない様に思う。社会構造が
多少違おうと、社会の可視化の程度がどうであろうと、人間の将来など見通せるものではない。
今回の大震災のようなこともあるし、第二次世界大戦も起こった。
主体性を持てない子を突放す事は良くないかも知れないが、巣立ちの覚悟が出来た子には、
旅をさせろ、即ち、「可愛い子には旅をさせろ」である。
親として最も大切な事は、子どもの自主性・主体性が本物か?偽者か?を見究める事である。
育子の脱出は、本人は親に気づかれずに成功したと思っているが果してどうだろう?昔の親は
子どもが進みたい道への覚悟を試すために、反対を唱えたものである。本気で義絶した親も
あるが、多くは本人の本気度を試したのだ。「てっぱん」の初音(富司純子)と千春の関係も、
そういった観点から見直おすと、「てっぱん」物語に深みが出てくると思うが。如何なものか
今回は、20数年ぶりに、朝の連ドラを見てます。おっしゃる通り、自主性が本物か、偽物かを見極めなければならないと思います。親は、子供の顔色をうかがっては、いけない。上司と部下の関係も同じ。先生と生徒の関係も同じだと思います。
by Shin (2011-05-17 00:00)
Shinさん
コメント欄にようこそ!
子どもや生徒、部下が、親や先生、上司の顔色を伺うのは、自主性が無いばかりではないと思いますよ。彼らもまた、相手が本物か否かを瀬踏みしているのでしょう。世間一般では、相手を十分確かめてからではないと、やたら本音や本気度を曝す事は、危険性が高いですからね!それは十分にお分かりのことだと思いますが、老婆心までにムダ口を叩きました。
真贋の判定は、「何でも鑑定団」を見るまでもなく、難しい問題です。
ところで20数年ぶりに朝の連ドラを見ているとのこと。余裕が出来たのでしょうか?良いことだと思います。
ところでShinさんは、若尾文子のファンでしたっけ?(笑)
by moto (2011-05-17 18:12)