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TV小説「てっぱん」7週(意地・運・味) [物語]

今週のTV小説「てっぱん」は、展開が急でどう読み解いてよいやらわからない。そこで今週目立つ
ポイントを拾った。ベッチャー・初音(富司純子)や村上家の面々などの‘意地’。後は‘味’の話
そして‘運’である。‘意地’とは根性であり、苦しみに負けないしっかりした気持という面と
我意を通そうとする面がある。‘味’は記憶を呼び起こし、過去を振り返るヨスガとなる。過去の
経験・歴史は未来への羅針盤等と言うが、人間の記憶は整然と整理されておらずいびつだから
人間の羅針盤も狂い易い。‘運’とは、いろいろあるが人生の岐路でどんな過去を思い出すか?
というのも一つの‘運’であろう。‘意地と運と味’という視点から読み解いた。

30歳までに店を持つと言う夢を持ち、根性で実現一歩手前まで漕ぎ着けた冬美(ともさかりえ)が今週の主役である。大家である初音は懸命に夢に向かって進む冬美を自分の娘・千春に重ねていたが、自身のことも冬美に重ねていたのではないかと私は思う。冬美もまた意地の人である。
この夢の実現に向けて二度の障害が起こる。それらの障害に冬美やあかり(瀧本美織)たちが、
どのように対処していくのか?また、‘意地と運と味’が、それらの対応に影響を与えるのか?
そして、それらの様々な出来事が、互いに、影響し合うのか、或いは影響しないのか?

姉・田島夏代(久保田磨希)から“実家の親が借金を抱えた上に体調が優れぬ”という知らせの
一度目の障害は一旦断る。しかし自分の店の現実味が出てくると何十年も続けてきた両親の
苦労を共感して思いやれるようになり、迷いが出る。「あんたの好きにしたらええんや」という
初音のアドバイスは逆効果になってしまった。冬美は金のかかるショットバーの店をあきらめ
借金返済金・100万円を出す決断をした。これをどう読み解くか?
‘意地’ばかり通していたのでは、ベッチャーばあさんになってしまうと思ったのだろうか?
その後、冬美は不死鳥のごとく、金の掛らないお好み焼き屋のおばちゃんを目指す。
ここで、大家の開かずの間を借りるための大勝負(天気予報の賭け)をする。大家の思い遣りで
大家・初音は負ける方に賭けたにも拘らず、運命は皮肉にも冬美に背いてしまう。
大家は意地っ張りだから神経痛もちではじめからわかっていたと見栄を張ってしまう。
しかし、いよいよ困っている冬美に初音は、店を貸すと、援助の手を差し伸べた。
処が、ついに二度目の障害が振って沸いた。冬美の姉が、父親からの “自分の道を進む様に”
との伝言と共に、返済金・100万円を返すために訪ねて来たのだ。
‘意地’と‘運’はある程度読み解いたが、‘味’からどう読み解くのか?

1つは親譲りの‘味’と解く。初音の娘・千春が親から教えられないのに、親譲りの料理を作っていた。初音があかりの母・真知子(安田成美)から伝え聞いた。あかりも見よう見まねで、尾道焼きを母・真知子(安田成美)の味で焼くようになった。これらの話は、初音の知らなかった千春の過去が、強い親子の絆として甦るヨスガとなり、初音の過去に関する見方、考え方に大きな影響を与えたのである。初音は味覚のパワーを知る人だからこそ、この話が強烈な影響力をもったのでは?そしてそれが、開かずの間を貸すキッカケとなったのである。これは恐らく、大変大きな転換点であり、出来事なのだと思う。

そして、クライマックスの‘味’は、のっぺ汁。姉が訪問して帰った日の夕食にのっぺ汁だ出た。
のっぺ汁は、いろいろな思い出が詰まっていて冬美のきらいな食べ物だという。初音も、様々な思い出があるお好み焼きを嫌いだといって食べない。初音には、冬美ののっぺ汁についての思いが理解できるのだろう。姉が帰る間際、こっそり聞いていたのはのっぺ汁の作り方だった。そののっぺ汁を食べながら、冬美はさまざまな思い出を味わい、過去を振り返って、ついに帰郷して両親に会いに行く決意をする。味覚に伴う思い出は、強烈なパンチ力がある。それを知り尽くした初音は二度の故郷からの障害に、大阪での冬美の店には運がない、と考え、今度こそ冬美の運が開かれる方向を占うために、のっぺ汁を作ったのだと、私は思う。

‘意地’に関する話題がもう1つあった。
鉄平(森田直幸)の家出も、プリンの無断飲食で父子喧嘩というのは表向き?実は、長兄:欽也(遠藤要)との後継問題が裏にあるという設定。兄に譲られて、能も無いのにノウノウと居座るような意気地なしとは思われたくない鉄平である。
天気予報の賭けに勝った初音のことを鉄平が、「ベッチャーはやっぱり鬼じゃのう」と独り言したのを聞いていて、初音がいった言葉が面白かった。「あんたも人に意地ばっかり張ってたら自分にも意地張ってしまうようになるんや。おかげで神さんや仏さんに任せるしかなくなるで!」という鉄平への忠告は、そのまま、賭けをした自分への自戒の言葉にもなっている。
この言葉を聴いて、鉄平は‘初音の神経痛’はウソでは無いかと感づいた。

‘意地’と‘運’と‘味(思い出)’は、人の生き方にとって、とても大切なものだと思う。
特に味覚に伴う思い出は、理性的な記憶よりもズッと衝撃的である。過去と夢や希望の未来と日々の経験からの思い出とをどのように結びつけるのか?‘意地’と‘運’のバランスをどうとるか?現在という一瞬一瞬の生き方の中に、そのバランス感覚が問われるのであろう。如何なものか。
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