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ゲゲゲ・8からの連想 [物語]

今日も好天に恵まれ、遠目の桜が美しかったが、散歩の帰りに真下に近づいた所、既に花びらが
積もっていた。花見気分になれる日数なんて、ホンの僅かの間であることを改めて思った。
今朝も「ゲゲゲの女房」を見て、古い思い出が甦ってきた。懐かしいので書いておきたい。
その前に今日の出来事で心に留まった事がある。布美枝(松下奈緒)はのっぽのために見合い前
の書類選考で不合格となった。傑作なのは父親・源兵衛(大杉漣)が布美枝の背中を自分の女房
と間違えて“破談の理由など布美枝に言ってはならない事”を一生懸命に注意するところである。
私ならそんなバカな間違いはしないと思うが、源兵衛は布美枝が不憫で堪らず動揺しているから
間違ってしまう。その一途さ、一生懸命さが私は好きだ。人間、様々なことを考慮しても、結局
自らの意思で決断するしかない。其処に間違いや粗忽もあるが、それが人生の味付け?

布美枝が見合いのため一旦断った洋裁学校の手伝い。見合いがダメになったので、再び採用を
先生に願い出たが、生憎、既に代わりが決まったという。その帰り道、幼友達チヨ(平岩紙)に
「元気を出して!また猫背になっとーよ」と言われるシーンがある。それで思い出した事がある。
昔は確かに大女は肩身が狭かった?ブログ「2010.04.03ゲゲゲの女房」でも書いた‘ななちゃん’
も小学生時代は若干猫背だったと思う。友達と優しく接していると、相手が小さいから自然にそう
なってしまうのではなかろうか? ご主人がのっぽの自分より随分大きい人でも猫背気味なるよう
だから、猫背は小さい人への優しさの現われなのではないか?ちなみにチヨは小さい。

それに関連してもう一人、背の高い女性のことを思い出した。母の友人で‘ヤスダのオバチャン’と
呼んでいた。私の物心付かない頃からの知合いで、幼少の頃はなついていたが、大きくなって
何となく敬遠するようになった?新潟生まれの美人だったが、お国訛りの上に何だかいつも怒った
ようなきつい喋り方をしていた。敬遠は彼女の喋り方に原因があった?

‘ヤスダのオバチャン’の喋り方からTV推理ドラマ 「農家の嫁は弁護士!神谷純子のふるさと事件簿」
へと連想が飛躍し、幼少時と大きくなってからの彼女のイメージギャップが埋まった様に思う。
ヒロイン・神谷純子(浅野ゆう子)の小姑(旦那の姉)・神谷明美(高畑淳子)の喋り方が‘ヤスダの
オバチャン’そっくりな事に気付いたのだ。北国の人は寒さに勝つ喋り方として、少し怒ったような
喋り方が普通なのではないかと考えた。ドラマは特徴的な喋り方を筋書きに活かしてはいるが、
決して不自然でないと思うからである。生れた時からの知合いでオバチャンの優しさ、温もりは私が
一番よく知っている。生意気な当時に抱いた偏見が今払拭され晴れ晴れした。如何なものか。
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