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だんだん・23週 [物語]

今週は、松江・初枝(三林京子)の闘病と、京都・のぞみ(三倉佳奈)の女将継承問題が軸となって
展開された。 松江では、医長・中山(宅麻伸)や石橋(山口翔悟)、めぐみ(茉奈)の意見に反し、
忠(吉田栄作)は嘉子(鈴木砂羽)と共に告知拒否という苦渋の決断をした。抗がん剤治療などは
本人に気付かれてしまうから、最近では医者が治療しづらいということで告知のケースが増えたと
いっても、まだまだ一般的とはいえないのだろう。

一方、京都では、強引とも豪腕とも言えるのぞみこと夢花の女将宣言が、久乃(藤村志保)の心の
琴線に触れてお許しが出た。 古都・京都が伝統を残しながらも時代に追随する渋とさの源泉を
明かしてくれるような思い切った展開である。
見所は、のぞみと康太(久保山知洋)のプロポーズへのプロセスだ。 飽くまでも無法松として
のぞみを見守るという康太と、「芸妓をやめるんやで!さいなら」と立ち去りかけるのぞみ。
呼び止めてプロポーズする前に、めぐみに断りを入れる康太の律儀さが微笑ましい。

めぐみからのぞみに相手を替える康太になぜ好感がもてるのか? それは一途に相手を助け
ようという思いが伝わるから、利己的な部分が無いからだ。 のぞみの女将志願もそうである。
「花むら」を残したい一心で下心は無い。 物干し台から携帯で康太に「ほんまは芸妓をやめた
なかった!」という場面がある。 今時流行らない家のための自己犠牲ともいえる。

日本は、国際問題は全て国連決議に従うという。尤もらしい言い方だが、つまりは体制(大勢)
順応ということだ。体制(大勢)順応は、“寄らば大樹の影”という無責任・利己主義がはびこる。
多数決制の罠がそこにある。 のぞみのように即実行はしなくとも、大勢とは別に、キチンと
自分の意見を整理しておくことは大切である。 今回の小沢代表献金疑惑における民主党の
対応は、まさに無責任・利己主義がはびこった大勢順応ととられても仕方ない。
昔、英国のチャーチル元首相は「民主主義は最悪の制度」と発言したことがあるが、
大勢に無責任・利己主義がはびこり多数決制の罠に陥った場合の悲劇を強調したものである。

康太やのぞみの利他主義的態度や、自己犠牲的態度を称揚してまた変な集団主義に陥ることは
真っ平御免であるが、康太やのぞみが、大勢に流されず、自らの思いを貫こうとする姿勢・志は、
民主主義の時代にも、いや民主主義の時代だからこそ大切なものと思う。 如何なものか。

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