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安来訪問 [観光]

「ゲゲゲの女房」の故郷訪問と女房孝行を兼ねて、連休前に計画した山陰旅行はハプニングがあり
出発前ギリギリまで仕事の目途が立たず、忙しい思いをしたが、何とか出発することができた。
車を駆っての気ままな二人旅である。宿泊先だけは松江宍道湖温泉に予約。後は適当である。

4月26日は曇空。第1訪問地がゲゲの女房(ゲゲゲの女房の略)の生れた安来市大塚町だった。
大塚は、原作にほぼ近い、こじんまりとした町だった。町の中心には“お薬師さん”と呼ばれる
お堂(NHKのテレビ小説では小さな祠だったが)があった。その近くにゲゲの女房の生家がある。
生家には、テレビと同じ酒屋さんを、今も営んでおられる実兄と、そのご一家が住まわれている。
DSC08588d.jpgDSC08589cc.JPG
写真は、その酒屋さんで買った吟醸酒とそのラベル。
「人生は終わりよければすべてよし」の文字は、「ゲゲゲ
の女房」の原作者・武良布枝の自筆、絵は、水木しげる
の描いた二人。最近のテレビ小説ではヒロイン・布美枝
(松下奈緒)は随分と苦労されており、哀れ!ゲゲ亭主
(水木しげる)を叱りつけてやりたい衝動に駆られることも
ある。大塚では、様々な人々との出会いがあり、お話し
相手の方々が、昔のことを自分の物語として語ってくれるので、興味は尽きなかった。2時間半程
居た勘定になる。遅くなった昼食は、西国三十三箇所の札所・清水寺の精進料理を頂いた。
これも、大塚のボランティアの方からの親切なお勧めだった。絶品の料理に舌を巻いた。

次は、ゲゲの女房が小学校2年生の時に、1.5時間かけて走って行ったという安来の魚市場まで
の道程を確認した。また、「ゲゲゲの女房」の冒頭、“安来から十神山の向こう、目と鼻の先に境港
が見える”という一節を現地で確認した。海上交通の華やかだった時代の安来と境港の関係が
良くわかった。もう一つの安来での収穫は、「和鋼博物館」の見学だった。
鉄器の材料である“たたら”には大量の木炭が必要である。砂鉄と木炭の豊富な島根県南部が
“たたら”の重要な供給地だったために、山間部側からの鉄材の積出しの流通経路として大塚や
安来が古くから栄えたのだろう。ヤマタノオロチ伝説が鉄分の河川への鉱害を例えたのだという話は
聞いていた。しかし「ゲゲゲの女房」が、鉄器生産の重要な原料産出地と深い係わりがある地域
として長く栄えてきた伝統を受け継いでいたとは知らなかった。 如何なものか。
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鞆の浦・裁判 [観光]

今日は朝から雨が降り続いている。昨日までに既に7万歩以上を達成しているので、
仕事の関係も有り、室内の運動だけで散歩は中止。筋トレのよさは身体の隅々の細胞に迄
活を入れてくれるところにあるように思う。長時間の執務にも耐えることができる。

今日は、広島県福山市の南端にある「鞆の浦」の埋立・架橋事業問題の経緯と地裁判決について書き止めておこうと思う。この事業は、沿岸2ヘクタールを埋立てし、駐車場やフェリー用桟橋などを整備する。古い船着場のある入江になった一角(いわば鞆の浦の美観地区)は埋立てせず
海上に長さ179mの橋をかける。1983年に計画策定されたが、排水権者の全員同意が得られないために事業を凍結していたが、2008年に公有水面埋立法の法解釈を変え、国に認可申請をしていた。この事業に反対する住民らが、県を相手取り免許差し止め訴訟を起こしていた。
争点は、1.この事業によって、景観が損なわれて住民やその他に明らかな被害が及ぶのか、
2.事業による観光客誘致や、交通の利便性などによる利益が大きいか?という事だろう。
その判決が、昨日、2009.10.01に広島地裁で言い渡された。

結果は、「鞆の浦」の景観は住民らの範囲に止まらず、「国民の財産」ともいうべき公益ということで、県・市への免許差し止めという判決が下りた。確かに1983年当時と現在とでは、経済的、
政治的にも様変わりしている。衆議院選・広島7区(福山)では元総理・宮沢喜一氏の甥で元大蔵官僚だった洋一氏が地盤を引き継いで連続当選していた。今回は民主党の和田隆志氏(46)が政権交代の勢いに乗り当選している。和田氏は宮沢洋一氏(59)の大蔵省の後輩だという。和田氏は「自分が付けてないはずの予算が通ってしまう。健全な役所じゃない」と2003年に官僚人生に見切りを付け、元上司に政界で“下克上”を挑み、3度目の正直で当選を果たした。
判決はこの強烈な民主党の風を読んだのだろうか?

2009.01.15小正月のブログに鞆の浦の散歩をした印象を書いている。映画「崖の上のポニョ」の舞台にもなった鞆の浦やその周辺は、本当に歴史を感じさせる素晴らしい場所である。
2008.12.01散歩色々のブログでは沼隈半島南端、田島・横島と阿伏兎観音等のことも書いた。福山には素晴らしい場所がいっぱいある。しかしそれは大型開発をしても守られるだろうか。
日本でも、飛行機を相手にする地域、自動車を相手にする地域、そして電車やバス・自転車を
相手にする地域があっても良いのではないか。多様な変化のある街づくり!如何なものか。    
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2009小正月 [観光]

小正月とは正月の満月の日、旧暦一月十五日のこと。元日の大正月に対してこのように呼ぶ。
今年も新暦の一月十五日は満月ではない。従って、小正月の行事も廃れている。
昔はこの小正月までが松の内(正月の松飾を飾る期間、ただし地方により異なる)である。
いつまでも正月気分ではいけないと昔はよく言われたが、最近では松飾をしない家もある。
かつて元服の儀を小正月に行っていたので1月15日を成人の日としたという。武士階級ではなかった大部分の庶民にとってはわかりづらく、21世紀から成人の日は1月第2月曜日になった。
DSC090115ponyoパンフ.JPGDSC090115ponyo1.JPG
今日は、鞆の浦まで行って散歩した。
時間がかかった割には歩数が伸びなかったのは残念。行くキッカケになったのは昨年末の紅白歌合戦でも歌われた“崖の上のポニョ”(アニメ)の舞台に似ているという妻の言葉だ。私は映画を見ていないが妻は行ってみたそうだった。左の写真はアニメ“崖の上のポニョ”のプログラム表紙と崖の上の宗介の家の下にある祠(実際は陸奥稲荷) この崖の上で、監督の宮崎駿氏はアニメの構想を練ったそうである。DSC090115円福寺.JPG

崖の上には立派なお寺があった(右の写真)。
私は、今までに2度ばかり来たことがあったがじっくりと見物したのは初めてのような気がした。どの地域に行っても古い町並みがあり、旧家があり歴史がある。通りすがりの旅の人にとって、「大同小異」、「五十歩百歩」だった。
しかし今日は何となく気合が入っていたのか、無心に見て回るうちに、鞆の浦の凄さがわかってきた。実に古いものが残されている。それだけに瀬戸内海の海路華やかな時代の繁栄振りが偲ばれるのだ。お寺の棟瓦の飾りを見てその華麗さに驚いた。一見、鯉のように見えたが、この地で鯉のはずがない。波間から鯛が出てきている図ではなかろうか?

帰り際にわかったことだが、鞆の浦バス停のお土産屋に行くと、ポニョのパンフレットをくれる。
パンフレットは映画の場面と似ている場所を地図と写真で紹介している。
アニメ“崖の上のポニョ”のプログラムがあればなおいいかもしれない。
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