SSブログ

ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」(2) [物語]

表題の映画がミュージカル映画史上で特異な物語である事は、昨日のブログでも述べた。
その為かあらぬか?制作上でも、他のミュージカル映画と異なる点が多々あるようである。
例えばヒュー・ジャックマン(バルジャン役)、ラッセル・クロウ(ジャベール役)、アン・ハサウェイ(ファンティーヌ役)
といったトップスターがオーディションを受けなければならなかった等である。また
本映画は、アフレコではなく演技と同時に録音する同録でやっている。その為に映画を
見た人ならすぐ気付く事だが、一流の歌手だろうけれど、発声に苦しい所が幾つもあった。
舞台のオペラやミュージカルは、ライブ演奏だが、それだけにまたそれなりの配慮がなされる。
そして舞台は一期一会で、反復して見たり聞いたりされることはない。 録画はある。
しかし舞台の録画中継は、撮影場所が限定されている。

映画は舞台と異なり、クローズアップなどの多用によって、舞台の演技のような形式美で
ごまかしが効かない。雨に濡れながら、或いは海中で、或いは重い物を持ち上げながら、
といったリアルな演技が要求される。俳優が過酷な条件で、劇の解釈に沿って、歌詞に
込められた意味や、役柄の人物の感情やその意図まで汲んで歌わねばならないのである。
その歌唱の同録を使うというのだから、歌い手として、まさに超人的な演技だと思う。
そういった意味からも、本映画は、ミュージカル映画史上で、特別の位置を占めるだろう。

さて物語は1815年、バルジャン(ヒュー・ジャックマン)が、仮釈放になる直前のシーンから始まる。
このシーンが圧巻だった。壊れた大きな帆船(軍艦?)を、ドックに係留する為に、
海水の中で綱を引く沢山の囚人の中に、バルジャンも居る。“下向け”と大合唱する。
これが、軍艦なら海戦があったはずだが、1815年にトゥーロン近辺で海戦はなかった?
従って商船だったのか?確かな事は分からない。原作の仮釈放の経緯とは異なるのか?
半世紀以上前の大昔に、簡略化した邦訳本しか読んでいない悲しさである。

銀の食器と燭台にまつわる司教の情けと愛に救われ、バルジャンが名前もマドレーヌと変えて
身分を隠し、真人間になろうと努力した話は、誰でも良く知っている。そして1823年へと
話は展開する。モントルイュ・スュール・メールでマドレーヌは工場を経営する成功者になり、市長にもなった。
トゥーロンはフランスの南の端、モントルイュ・スュール・メールは北の端である。こんな所まで
天敵のジャベール(ラッセル・クロウ)が赴任してくる? そこが面白いところである。
映画と原作では、時間関係が異なるようだ。ファンティーヌ(アン・ハサウェイ)の転落の経緯は、
長い期間(数年)をかけているのだと思うが、映画ではなんだか急展開に見える。
ファンティーヌも“Miserables(複数形)”の一人だが?扱いが軽い? 如何なものか
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。