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二日連続の散歩話 [散歩]

今日は、久しぶりに曇り後雨という予報だった。
従って、早めの散歩に出かけたが、天気男の悲しさ、出掛けた途端に晴れだした。
風はあって爽やかだったので、スロージョギング(SJ)で短時間目標達成を試みた。
最初は風の助けや、家などの陰を利用して快調だったが、体温の上昇につれ
ペースを上げていたからか、汗がドクドクと流れ出して、目まいがしてきた。
だが丁度、電動車椅子の爺さんが後から付いて来るので、格好をつけて走り続け
根性で目まいも治して、目的地の“いづみ”到着。SJ=33分58秒、万歩計=6300歩

それでも、夏真っ盛りのSJに比べれば軽いものである。
汗が目の中に入るほどではなかったし、目まいといっても歩行が乱れる程ではない。
帰路は歩いたが、時々薄曇になると、風の心地よさが格段に増してくる。

話は少し逸れるが、明らかに散歩、乃至は運動で歩いたり走ったりしている人に
イヤホーンをして、音楽などを聞いている人が居る。マラソン選手などで、
毎日何十キロも同じ場所を走っている人ならいざ知らず、歩いたり走ったりする
正味の時間が、1~2時間程度でそんな事をする人の気が知れない。と言いながら
私も一時期、合唱練習の為に音源を聞いていた事があったが、いつの間にかやめた。
外を散歩していると、耳が聞こえないのは、危険であることがひとつ。
もう一つは、外気や、風景などの毎日の移り変りに、より興味を魅かれるからだ。
私が、十年一日の如く、雨の日も風の日も夏も冬も欠かさずに、散歩できるのは
健康の為だけでなく、外界から受ける様々な刺激に対する興味が尽きないからだ。

山折哲雄(1931-)著「わたしが死について語るなら」2010発行という本がある。
その本の最終章の「お前は今、死ねるか」という最終節の一部を概略紹介する。
“私は長い間散歩する事を趣味にしていた。年を取るにつれて、散歩が楽しみで
 今日まで生きてきた。・・・中略・・・あるとき天の方から「お前は今、死ねるか」と
 いう声が聞こえるようになった。大抵の場合「今は駄目だ」と答える。易々と
 死んでなるものか、という思いが胸元を突き上げてくるからである。
 ところが不思議な事に、その天の声が聞こえてきた時に「今なら、いいぞ」と
 答えていることがあった。・・・中略・・・いつのまにか自然と一体になっていた
 自分を感じていたのです。” 山折氏78才の時の文章である。
私は、無論、氏のような境地にはない。天の声も聞こえないし、自然との一体感の
経験もまだまだである。だが、氏の経験を理解できる気がするのだ。如何なものか
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