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人生のテーマ [健康]

本屋で、白澤卓二著「ガンもボケも逃げ出す「人生のテーマ」の見つけ方」を購入。
同書購入の理由は、「人生のテーマ」を、どの様に扱っているか?に興味があった。
自分が生涯続けられる「人生のテーマ」を見つける事が健康長寿につながる。
これが、同書の主張らしい。私は、この意見に大いに賛成である。

第1章しか読んでいないが、コンティニュイティとサステナビリティという言葉で
「人生のテーマ」を、表現しているのに興味を持った。
同書では、コンティニュイティの例として、三浦敬三のスキー
サステナビリティの例では、その結果、得られた健康長寿、という風に書いている。
コンティニュイティの成果が、サステナビリティだというのである。
或いはコンティニュイティ=短期戦略、サステナビリティ=長期戦略、と呼んでいる。
「人生のテーマ」は、コンティニュイティの方か?サステナビリティの方か?
或いは、その両方か?私は、チョッと違うのではないか?と、思っている。

「人生のテーマ」は、コンティニュイティやサステナビリティという属性を備える
必要はある。しかし散歩やスキーなどの趣味は、出来なくなっても人生は継続する?
結局、「人生のテーマ」とは、人との比較ではなく、自分らしい立派さで人生を
継続するための主題であろう。
「人生のテーマ」としては、今迄読んだ範囲では適切な例が少なかったが、
1つだけ、ピタリ当てはまると思われる例があった。それは著者自身の事である。
「“自分が研究してきたアンチエイジング(抗加齢)実現のための啓蒙活動”という
使命感を持つ事が、私自身の「人生のテーマ」につながっている。」と書いている。

‘趣味’や‘健康長寿’が永遠の「人生のテーマ」ではありえないが、短期または中・
長期の「人生のテーマ」にはなりうるかも知れない。しかし真の「人生のテーマ」は、
著者の使命感の様な、精神的なものではなかろうか?

私の言葉で言うならば、「人生のテーマ」とは、「人間自然科学の探求」、
「人間自然芸術の鑑賞」などの何かに汲めども尽きぬ探究心、好奇心を持つこと、
或いは、同書の著者の様な社会的使命感を持つことではなかろうか?
社会的使命感を、死ぬまで継続できる人は少ない? 究極的には、孤独でも
十分に人生を楽しむ心を持つ事が「テーマ」になるのでは?如何なものか
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梅ちゃん_19週「新しい家族」に思う [物語]

梅ちゃん_19週は、下村家の梅子(堀北真希)と安岡家の信郎(松坂桃李)が結婚。
互いの家族が、「新しい家族」になった。おめでたいはずだが、何となく不安含み?
結婚披露宴で、信郎の伯父(北見敏之)から、医者をしている梅子を嫁にしていいのか?
とクレームがでた。この件は何とか丸く納まったが、結婚早々から不穏なムード。

建造は学者肌、幸吉は職人肌、理論派と実践派ともいえる。水と油の様な存在である。
今迄の物語の展開から言っても、建造(高橋克実)と幸吉(片岡鶴太郎)とは犬猿の仲。
ロミオとジュリエットで言えば安岡家と下村家は、モンタギュー家とキャピュレット家の
様なものである。梅子と信郎が結婚する事自体が、大きな問題含みである。
今日の展開では、安岡家の住込みの職人・佐藤光男(野村周平)の鼾による梅子の愚痴
から、建造が怒鳴り込んで諍いになったが、梅子の「しあわせよ!」の一言でけり。
建造は梅子の手前、引き下がったが、腹は収まっていない。梅子の手前、信郎が何とか
関係改善をしようとして建造と一緒に飲むが、結局、問題を大きくするだけ。

梅子と信郎との結婚が成立したのは、梅子の意志が、大きなウェイトを占めている。
梅子は下村家に育ちながら、性格や、考え方などは、安岡家に近いのではないか?
梅子の行動は、理論や予測、計画等より、まずはやってみる式の考え方に近い。
松岡(高橋光臣)をおかしい人と評したのは、松岡とは間逆の性格だからではないか?
しかし建造は「大告白」における松岡の「ドーナツ理論」をなかなか面白いと言っていた。
梅子は、安岡陣営に鞍替えする事によって、安岡家と下村家をかき混ぜるのである。

梅子の患者・早野新造(津嘉山正種)の家族も、梅子にかき回されたが、娘・小夜子と
の再会を果たす幸せを得られた。心中未遂患者・弓子(馬渕英俚可)も、なんだかんだと
かき乱されたが、生きる希望を持てた。思い込みの激しい患者・篠田(正名僕蔵)の時も
梅子の勘違いで家族を呼んだお陰で、篠田も、思い込みに気づき、無事に退院できた。
梅子の様な人は、いわば人間耕耘機と呼ぶべきである。田圃や畑の土をかき混ぜる様に
梅子は、人間をかき混ぜる。良く言えば、問題を発掘し解決するといえるが、やたらに
問題を起すトラブルメーカといえなくもない。人は、一般には臭いものには蓋式、又は
思い込みの中、或いは事なかれ主義で生きているから、かき混ぜられると一つや二つは、
益になる事もあるだろう。だが閑のない人間には迷惑で、無縁の存在ではなかろうか?
「貧乏暇なし」というから、貧乏人には余り縁のない人間だと思う。だから、私などは
梅子的人種に近づかず、余り知らない?日本の金持には必要な人材かも?如何なものか
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梅ちゃん_113回・生と死 [閑話]

今日の「梅ちゃん先生」は、大半がガン患者・早野新造(津嘉山正種)の臨終関連。
番組開始早々の02分>は、梅子(堀北真希)が出勤して間なしに、早野家から電話が入り
すでに死期が近いことを知らせてきた。出勤前の建造(高橋克美)は、初体験の梅子に
慌てず冷静に対処するように助言していた。梅子は落着いて、患者の様子を見、脈を
とって、「お別れの時」を告げた。番組開始後06分>では、桜の花びらが縁先に散り、
梅子は聴診器をとって新造を診察。「ご臨終です。午後3時45分」、「皆さんに囲まれて
幸せな最後でした」と家族に告げた。妻・妙子(丘みつ子)も、梅子のお陰で父親を
見送れた娘・小夜子(伊藤久美子)も、長い間のお世話に感謝していた。梅子も新造から
多くを学んだ事を感謝していた。08分>、約4~5分間の臨終場面は終了した。

夜、様子を見に来た建造が、死亡診断書を書いている梅子に「患者の死を引摺るな!と
言っても無理だろうが~」と労わりの言葉を伝えていた。松子(ミムラ)が来訪して
子どもが出来るという報告を聞いた梅子は「生と死」の深淵をのぞきみ、席を立った。
梅子の様子を心配する信(松坂桃李)は、松子のおめでたの話を聞かされて、松子を祝う
一方で、「今日はいろいろあったんだな~!」と、梅子を抱きしめてやっていた。
建造の慰めの言葉に「私は大丈夫!」と、健気に答えていたが、終末医療といった概念の
なかった時代、やはり医者として、患者を見送る事はつらい事だったろう。

物語の昭和31年当時は、終末医療という言葉はなくとも、新造の様に死んで行った?
現代のように何本ものチューブにつながれて生きているのが正しい治療か?疑問だ。
老人の介護や医療のために、毎年1兆円の社会保障費が増えているという。そのために
消費税増税をすると言うが、消費税税率は鰻上りになる事は火を見るより明らかだ!
今までの甘やかす医療や介護ではなく、自立的に生きられなくなったら、自然死を
選び取る覚悟をもって、生きる様に教えるべきでは?
2012.07.11のブログ「貪欲な人は誰か?」でも書いたが、何の意味もなく生きている
(チューブにつながれている)ための医療を、自ら拒否する生き方が求められている。

最近読んでいる山折哲雄著「私が死について語るなら」2010.3.10発行によると
先の第二次世界大戦や、その時の原爆、また地震・津波の大災害などで、多くの人が
同時期に死んでいるにもかかわらず、「人は一人で死ぬ運命」と書いている。この本は
恐るべき「予言の書」でもある。本書は、発行の日付で分かる通り「東日本大震災」の
丁度一年前に発行されているが、「21世紀は大災害の時代」と予言している。
「東日本大震災」で我々は自らに気付くべきである。私は、人間認識のために常に
課題を設定し、考察する散歩ができる間は生き、その間死支度しよう。如何なものか
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学校の勉強は不要? [閑話]

昨日8/7は立秋だったが、当地の気象台データによると、やはり真夏日・熱帯夜だった。
木陰の風は結構爽やかで、蝉の声も、ツクツク法師が心なしか多くなった様な気もする。
路上の蝉の行き倒れは相変わらず。今日も10匹近く見かけた。油蝉2匹、他はクマゼミ。
私の様に70過ぎの老人は、日頃から「生と死」の問題を考えているから、蝉の死もまた
「行雲流水」。木陰を、より分けながらの日中散歩で、先日の孫の問題を考えていた。

孫は、「学校の勉強は役に立たない。だから必要ない」と、誠に論理明快に言った。
まだローティーンも良い所!私の世代では決して言えなかったし、子どもの世代でも
祖父にこういう風にはなかなか言えなかった?だから“小生意気”と言った。
昔野風僧(のふうぞ)という歌が流行した。昭和60年(1985) 伊奈二郎作詞山本寛之作曲
 唄:河島英五で「お前が二十歳になったら酒場で、ふたりで飲みたいものだ」という
歌いだしだった。サビの部分は「いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい いいか男は
大きな夢を持て 野風僧 野風僧 男は夢を持て」という歌詞を繰返す。
息子がまだ十代だった頃に、酒によって、よく歌ったものである。

私は、この歌を思い出しながら、孫を“小生意気”と言った。私が元気で孫の二十歳を
迎えられるか?分からないが、もし元気なら、この歌を唄って祝ってやりたい。しかし
冷静になって考えると、時代は大きく変っている事にも気付くべきなのである。即ち
現代の学校制度や、学習内容が多様な要求に適応できていない問題がある。
問題の根本は、教育の基本理念(改正教育基本法・義務教育)における深い考察もなく
法律の条文だけを変えて、旧態依然たる教育をして事足れりとする所にあると考える。

紙幅の関係で結論だけ書くが、現代の義務教育が、10才の子どもさえ不要だと唱える程
教育内容の要件を満たさず、昔の寺子屋と同様では可笑しい?現代の公立小中高は、
自立的に生きる基礎も、社会に必要とされる基本的資質も不足した人間を大量生産?
変化の激しい現代は、既存の社会を前提とした基本的資質ではない。考える力を養い
問題を見つけ出し、それを解決する資質が求められる。公立が、その要件を適切に
設定できないなら、「商業的塾」の競争原理に委ねるべきか?私の孫は、鋭い感覚で
この様な問題を見抜き、自ら対策を考えようとしている。横並びで大学に行くだけが
能ではあるまい。現代であるからこそ、多様な生き方が求められる。如何なものか
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なでしこ活躍と熱帯夜 [閑話]

2010年は残暑を何度も取上げたが、2011年も今年も、当地の暑さについて書いてない。
それは、2010年の残暑が特異値だったからだ。昨年は平年並み?今年はどうか?
人によって、今年は暑いという人も居るが、私は夜寝られるかどうかで判断するから
今年はマシだと思っていた。しかし、昨夜、なでしこの対仏・準決勝を見て寝不足のため
今年は暑い年ではないかと疑い始めた。そういえば、このところ寝つきが悪いのである。

寝つきが悪いのは、今まで簡単にオリンピック放送のセイだと思っていたが、
考えてみれば私は寝不足になるまで、深夜放送を見るほどオリンピックファンではない。
確かに見始めると、引き込まれて、ツイツイ見てしまう。昨夜もそうだった。
0時過ぎまで、(クーラ付けっぱなしでは寝られないから)暑くて寝られず、結局
なでしこ戦の開始を見てしまった。見ていると、日本が劣勢!敵は何本もシュートするが
日本側は、全くシュートできない。所が、前半の30分過ぎに、セットプレーからの
宮間の絶妙のキックが、集団のなか、敵GKのミスを誘い、後にこぼれた球を大儀見が
回り込んで倒れながら見事に蹴りこんだ。最初のシュートが得点に結びついた。
結局、目が離せなくなり、眠い目をこすりながらも、暑さで寝られず最後までみた。

どうも、今年は例年並ではなく暑い年ではないか?と疑い始めた。そこで
気象庁の今年の7月、8月のデータを集めて、2010,2011の真夏日、熱帯夜等を比較した。
猛暑日(日の最高気温が35℃以上)プラス真夏日(日の最高気温が30℃以上)
 2010 7月:23日 8月:31日 /2011 7月:19日 8月:25日 /2012 7月:18日 8月:6日
熱帯夜(日の最低気温が25℃以上)
 2010 7月:7日 8月:27日 /2011 7月:3日 8月:17日 /2012 7月:12日 8月:6日
以上の結果を見ると、7月の最高気温30℃以上の日数では、例年並と思われるが、
7月の熱帯夜の数では、2010年を上回る高いレベルにある。今年の8月の熱帯夜は、
昨日まで100%であり、やはり、2010年の特異値になる可能性が高い。また真夏日等の
今年の傾向も、2010年8月の100%の傾向をなぞっている。
7月までは例年の傾向だったが、8月になって暑い年になってくるのだろうか?

昨日のなでしこの戦いは、相手のアンラッキーと、日本のラッキーとが重なり、
幸運な勝利と見るのが妥当かも知れない。しかし私は、敢えて大和なでしこの
美しい心の勝利だと言いたい。昨日の勝利会見で宮間が言っていた。「応援して
くれる人たちや家族の小さなラッキーが自分たちに乗り移っていると思います。」と。
なでしこのサッカーは世界一美しい!心の美しい大和なでしこだから自然に反則しない
サッカーになる。それが勝利の女神が降りて来る大きな要因だと思う。 如何なものか
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梅ちゃん_18週「大切な人」に思う [閑話]

梅子(堀北真希)にとって「大切な人」は、家族やご近所、そして患者さん達の事だった。
しかしそういう表現をするなら、それは梅子だけに限った事ではないような気もする。
それにも関らず今週のテーマとして取上げたのは、次ぎの様な事を強調したかったのでは?
第1は、医者として梅子は、現代の一般常識的な医者と患者とは違った考え方であること。
第2は、現代の一般人は、家族やご近所における人間関係が希薄になっている傾向。

第1の梅子と患者との関係は、梅子が、松岡(高橋光臣)ではなく、信郎(松坂桃李)と
結婚する決断をしたところに示されているのでは?
松岡は、医学が患者を治す(救う)、即ち医療技術、治療薬を至上とする考え方だった?
私は以前にも書いたが、中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という本を読み
今生きている人間にとって大切なことは、医療に振り回されない主体性だと思った。
患者は、医者や医学会や製薬会社の金儲け・出世の道具では無いことは勿論だ。でも今の
医療の現状は、大きく言えば、悪しき資本主義に毒されて、患者の主体性を犯している?
昭和30年時点では、松岡の主張も正しかったが、現状を鑑みると、梅子が主張していた
医者と患者のあり方をもっと強調すべきだったといえるのではなかろうか?松岡の様に
真面目な青年が人間生豊かに梅子の考え方を理解していれば、もっとよい日本になった?
日本人はなんでも一番が好きなようだが、最も大切な事は人間の主体性である。
社会的な地位や名誉があっても人間の主体性を犯す権利はない。そういった基本を弁えた
人間性豊かな人を育成しなければ、医学の進歩や、科学技術の進歩も害になりかねない。
現代日本の医療正常化の為に、梅子の患者との向き合い方を強調すべくテーマとした?

第2の大切にすべき「家族やご近所」の代表として陽造(鶴見辰吾)が取上げられた。
昨日も書いたが陽造は、建造(高橋克実)の冷たい仕打ちにムカッとして詐欺を働いた。
下村家の崩壊を狙ったものだった。人間関係に絶望すると、残虐なことを思いつく。
それを未然に防いだのが、松子(ミムラ)、竹夫(小出恵介)、梅子兄姉妹の優しさ。
特に、梅子による努力で、建造と陽造の仲違いも収まり、めでたし、めでたし。

だが第1・第2の人情話は現代に通用するのか?「どんなに時代が変わろうと、変わらない
大切なものがきっとある。」というテーマの映画「Always 続・三丁目の夕日」もすでに
制作して5年を経過した。このテーマもすでに古臭くて忘れ去られているのではないか?
だからこそ、陽造の人情話を挿入し強調したかったのだろう。最近また「いじめ」が
話題になったが、現代のイジメが深刻なのは、残虐性が深刻化しているからである。
残虐性の深刻化は、イジメ側の人間関係が更に複雑化・絶望化している結果である。
イジメ側に、松竹梅の姉兄妹の様な人間がいたら大事に至らないのではなかろうか?
現代イジメ問題解決は、イジメ側人間関係の複雑化に伴って、もつれた糸を解すのが
難しいからだが、もつれを招いたのも、人間関係の希薄さによるのでは?如何なものか
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梅ちゃん108回・家族とは [物語]

今日の「梅ちゃん先生」は、建造(高橋克美)が、拘留中の陽造(鶴見慎吾)に会う場面と
梅子(堀北真希)と信(松坂桃李)の家族が会食する場で、結婚宣言をする場面が主だった。
そこで物語られた内容は、家族とは何かを考えさせられるものであった。

最初に、下村家と良好な関係に有る陽造が、なぜ詐欺などをしたのか? 考察したい。
遠因としては、仲の良かった建造兄は、優秀だったため、10才で裕福な下村家に養子に
もらわれて、貧乏な家庭に育った陽造とは、大きな経済格差が生じたことがある。
残された陽造は、いい加減な父親のもとで、物乞いまでする惨めな生活を強いられた。
しかし陽造は、彼なりの意地で、兄と対抗して頑張ってきた。終戦直後は、陽造も一時
うまく行っていて、下村家の助けにもなり、竹夫(小出恵介)等もお世話になっていた。

従って、一演奏会の中止くらいで自棄を起こして詐欺を働くなどは、納得できない。
1つの見方は、陽造の詐欺相手は、竹夫を窓口とする下村家など、親しい関係者で
訴えられる心配はないと、タカをくくっていた可能性がある。もう1つの見方は、
世の中が落ち着いてきて、時代は着実に変化しており、陽造は時代に取り残されて
うまく行かなくなったと言う見方である。恐らく、どちらの見方もあたっている?

何故なら、建造との面会時に、「なぜやった?」と、詐欺事件を起こした理由を建造に
聞かれた陽造は、「仕返ししたかったのか?」と、自問自答していたからだ。
「仕返し」とは何を意味するか?竹夫たちをだまして、下村家を壊そうとしのでは?
陽造は、建造の入院中、芳子(南果歩)からの要請で、下村家に防犯目的で居候した。
窃盗犯がつかまった後も、芳子達の言葉に甘え居続けていた居心地の良い家庭だった。
それなのに、陽造が家に居る事を聞いた建造は、急遽、退院を早めて帰宅するや、
とってつけた礼を言っただけで、即座に陽造を追い出してしまった。
その時、陽造は、建造にはあって自分には無い「家族」の良さを痛感すると共に、
建造がうらやましく憎たらしくなり、建造の家庭を壊したくなったのではなかろうか?

もう1つの梅子と信の結婚宣言は、梅子の料理問題以外は何の障害もなく終わった。
料理については、信の母・和子(大島蓉子)が、芳子のおダシの味を褒め、ついでに
梅子の料理について聞いた時、建造が、料理なんかしたことがないと言っていた。
兎も角、信が、「俺たち結婚する」といったとき、和子が「梅ちゃん料理は?」と
聞き、梅子「全然出来ません!」、和子「あ~そ~!」と言った時の顔が素晴らしい!
そして芳子が懸命に梅子をフォローして「これから練習させますから云々」の挨拶に
和子「う~ん、ま~」と曖昧に答えた顔。こんな時に、可愛い一人息子に弱い母親は、
こんな顔をするのか?と感じ入った。この姑なら、あまり問題ないかも?

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梅ちゃん_107回・信と結婚?(2) [物語]

当地は、このところ、好天が続いている。先月の24日からだから、10日以上継続中。
特に8月に入ってからは、爽やかな風が吹いていて、日中散歩を助けてくれている。
今日も日中の散歩中、街路樹の陰で風に吹かれ一休しているとクマゼミが鳴き出した。
何処にいるのか?と「昔とった杵柄」少しずつ位置を変えて居場所を見つけた。蝉が
ここぞとばかりに声を張り上げたと思ったら、メスらしきクマゼミが寄添ってきた。
「セミの恋路を邪魔する奴は、・・・」風に吹かれて散れば良い!とばかり退散した。

さて今日の「梅ちゃん先生」、梅子(堀北真希)と信(松坂桃李)との恋が急展開。
それと、建造(高橋克美)、陽造(鶴見慎吾)兄弟の過去が明らかとなった。
梅子の祖母・正枝(倍賞美津子)が、建造の養母というのは、何かで読んだが
建造と陽造が実の兄弟かどうか?ハッキリせず、下村家の人間関係が曖昧だった。今回
梅子が正枝に聞いて、勉強の出来た建造は、10才で下村家に養子に入り偉くなったが、
陽造は、実の親のだらしない面を受継いで現在の様な状況になっている事がわかった。

正枝の話では陽造は、建造が医大に通いだした頃から、金の無心に来る様になった。
建造は必死で働いてお金を工面。正枝は見るに見かねて陽造にお金を用立ててやった。
一人だけ養子にしたために、兄弟二人の間に溝を作ったという罪の意識もあり、もう
一人、息子ができた様な気になったという。建造は、正枝のこういう気持や行動に薄々
気付いているので、必要以上に辛く当たっているのではないか?と梅子に話していた。
陽造が堅気の下村家には似つかわしくないにも拘らず、芳子(南果歩)、松子(ミムラ)、
竹夫(小出恵介)等が優しく接するのも、そういう背景を知っているからではないか?
知らぬは梅子ばかりなり? 建造が、陽造の行為を詐欺として訴えたのも、正枝はじめ
家族全員に甘やかされて、エスカレートするのを心配してのことだったと思う。

さて、本題の梅子と信の「恋と結婚」の行方だが、町工場の息子と女医という組合せに
対する先入観に毒された私の予測は100%間違い?変化球と思ったら直球勝負だった!
雨の中、陽造の事を心配して呆然と座っている梅子を、信が迎えに来るシーン。そこで
松子や竹夫に梅子との結婚の意思を問われ、断った理由を改めて説明していた。信曰く
「梅子は患者や周りの人の事を心配しているのが似合う。自分も所詮その中の1人だから
断った」。梅子「そういう事!嫌われたのかと思った!」。信「そんな訳ないだろ!
・・・中略・・・・じゃ~ 結婚しちまうか!」まあ、細かなやり取りはいろいろあって
突然、信が梅子の右手を左手で引っ張って抱きしめ、梅子も傘を放り投げて抱き合う。
松岡との抱擁の時も梅子は両手で抱きしめたが、松岡は片手でのおざなりなものだった。
今回、信は両手でしかも懐深くに抱きしめていた。本気の信に松岡完敗?如何なものか
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梅ちゃん_106回・信と結婚? [物語]

今日の話は、陽造(鶴見慎吾)の詐欺事件?がメインだと思うが、
梅子(堀北真希)と信(松坂桃李)との結婚に関する話題が今日も継続していた。
陽造から、陽造の芸能事務所に所属する歌手が、前座で出演する演奏会チケットを
売りつけられた竹夫(小出恵介)が、松子(ミムラ)と、梅子に話す場面。梅子の
結婚相手のことに話が飛び、竹夫と松子が、信に関する梅子の気持を確かめた。

梅子の答えは
「信の結婚相手は家事や工場を手伝える人で、自分は信の結婚相手には向いていない」
と断った上で、「ズッと傍にいてくれて、近すぎて意識した事はなかったけれど、
信が傍にいてくれるとうれしい。」というものだった。
先日、松子の家に遊びに行った時に、赤ちゃん話で窮地の松子から、信との結婚話を
振られた時には、「身近過ぎて想像つかない」と答えていたのだが?
内容的には、何だか、信との結婚を意識しだしたようにも受け取れる。
初めて見合をした体験から、見知らぬ人との見合結婚に対して不安になった?
そこで選択肢の少ない梅子としては、信も梅子的には受け入れ可能ということか?

竹夫と松子は、梅子の反応を了として、早速、信に話を聞きにいった。
単刀直入すぎる「梅子と結婚する気ある?」という松子の質問に対して、信は
「そんな気ないだろう?」と梅子に問いかけ? 少し間をおいて答えた。
「俺が梅子と結婚するわけないじゃないか。冗談は止めて下さいよ!」
しかしその夜、なにやら意味深長な感じで、信は、その時の場面を回想していた。

坂田先生(世良公則)の突然の死という厳しい現実を突きつけられ、動揺した梅子を
心配した看護婦・相沢(銀粉蝶)が、建造(高橋克美)と相談して決めた見合。
それが機縁となって取り沙汰された幼馴染の信と梅子との結婚話。私としては
最初は二人共に、その気もなく、結婚の条件も厳しそうなので、分析の結果、
この話も時間つなぎだと判断した。だが、なかなか微妙な雰囲気になってきた?
此処まで引っ張ると、視聴者もだまされやすくなる。さすが脚本家のプロである。

それでも、私の独断と偏見で、今週のオチを予測するなら、二人は結婚しない。
その理由は、梅子ではなく信の側にあると考える。結婚しない信側の理由は嫁の条件
(家事や工場の手伝い)だけではないという事。何かはお楽しみ!如何なものか
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梅ちゃん_105回・結婚と職業 [物語]

今日の「梅ちゃん先生」では梅子(堀北真希)が、
患者・早野夫婦(津嘉山正種・丘みつ子)にどうして結婚したのか?
質問する場面があった。同年輩ならいざ知らず、高齢者に意見を聞く理由は何か?
高齢者に意見を聞く理由は、本人達の結婚の評価(結婚が成功だったか?失敗だったか?)を
回答の内容によって推し量ってみようとしたのではないかと思う。
同年配者は、結婚経験が浅く、梅子の疑問に答えられるとは思えないのだろう。
老練な夫婦は、腹の内を探られない様に、曖昧な答え方をしていた。

お見合いと「お見合いの心得」という本を読むように勧めた看護婦の相沢(銀粉蝶)が、
梅子に「質問の成果はありましたか?」と、聞いていたが、成果のあろうはずは無い。
相沢は、どっしり構えるべき梅子が、意外に腹の据わっていない所があると見るのは
こんな一面も含めて、軸がぶれる様に見えるからではなかろうか?

梅子と信(松坂桃李)の見合は、同日、同料亭、隣同士の部屋で行われた。
梅子側(仲人抜き)は、型通り?に粛々と進められたが、安岡家の方は、飛んだ騒動。
その前に、梅子は見合の席も弁えず、「自分は結婚には向いていないのではないか?」と
一くさり、演説した。簡単にいうと、結婚したら旦那を大切にしなければいけないが、
梅子にとり、お世話になった御近所は「大切な人」で、ご恩返ししなければならない。
従って、旦那と、ご近所の患者とは、両立しないのではないか?という。その後で
幸吉(片岡鶴太郎)が、襖を倒して、ビール瓶を持ったまま隣室に転がり込む茶番劇。
そこで見合い相手の浩介(中林大樹)が、「全く下品」と信側の人々を酷評した上で、
そんな人々の住む町を軽蔑し「将来、山の手に医院を移してはどうか」と、提案した。

浩介の「山の手移設提案」は、即座に梅子から拒絶された。その直後仁王立ちになり
この人達(信たち)は、私にとって大切な人達であり、医者になれたのもこの人たちの
お陰であると説明。「全く下品」という前言を謝罪しろとまで要求した。
浩介は、あきれたような顔をしたが、素直に謝った。「金持喧嘩せず!」か?
梅子の結婚観は、「大切」といっても、質の違いを無視した上での論理を積重ねたもの。
医者としての安定感がないのは、論理と感情乃至は直感・感性を一緒くたにする日本人的
思考に由来するのではないか?論理に強い松岡(高橋光臣)の成長が、梅子を安定させる?
梅子が信と視線を交わして、“この人達は、私にとって「大切な人」”というラスト
大変、意味深長にも聞こえるが、私は、やはり時間つなぎと見た。如何なものか
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