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梅ちゃん_第11週63・64回 [物語]

「梅ちゃん先生」第11週の中盤は、1)文章編、2)見合編、3)出会い編に分類できる。
1)文章編は、更に、a.梅子の医学論文編、b.安岡家新築用の事業計画編に分けられる。
  此処で共通するのが、文章を書く指導に関して、「いろは」から語られるところである。
  a.梅子(堀北真希)の医学論文編では、コーチは松岡(高橋光臣)だったが、これは
    意外に、梅子の父・建造(高橋克実)からの依頼であった。
  b.安岡家新築用の事業計画編でのコーチ役は、教えてもらった事を右から左へ取次ぐ
    梅子であることが、マンガチックで笑いを誘う。
  医学論文も事業計画も、コーチがよかったのか、順調に仕上がっていく。

2)見合編は、信郎の母・安岡和子(大島蓉子)と三上康子(岩崎ひろみ)が紹介してくれた
  見合写真を、梅子の母・芳子(南果歩)と祖母・正枝(倍賞美津子)が品定めする場面と
  松子が選んだ見合相手が気に入らない建造の不機嫌な場面、そして見合当日、艶やかに
  着飾った松子と芳子が、揃って門口に立って、安岡家や加藤(大沢健)と会釈する場面等
  に分かれている。番外編的に、
  梅子と松子(ミムラ)が、松子の見合に関して就寝前にしんみり語り合う場面があった。
3)出会い編は、a.叔父・陽造(鶴見辰吾)の再登場、*竹夫(小出恵介)との再会
  b.梅子が、坂田(医者:世良公則)と出会い、急患の処置に巻き込まれた。

この物語の時代背景は昭和27年(1952)。当時のインターン終了、国家試験合格の医師が
いくら新米とはいえ「ですます」調で論文を書くとか、論文の基本構成すら知らなかった?
これも当時の女子医専卒業者の特殊事情なのだろうか?父・建造が、松岡に指導を依頼した
理由も、そういう事情があったのかもしれない。まあ、普通は有り得ない話の様に思う。
時代考証の上で言えば、松子の見合写真の品定めで、「志村喬」「佐野周二」「森雅之」等
当時の有名俳優の名が挙がっていた。時代的妥当性は判断できないが懐かしかった。因みに
昭和27年(1952)はエリザベス女王即位の年。映画「羅生門」ベネチュア=グランプリ受賞。
「羅生門」の監督は黒沢明、主演は三船敏郎と京マチ子だったが、森雅之、志村喬も競演。

さて梅子と松岡の関係はどうなるのか?気がかりである。論文完成後に、行く約束の映画。
松岡は、建造の了解をまでとる周到な準備をしていた。思えば、梅子と約束する時にも、
本当に待合わせをして、噂を立てられるのなら問題ない、とまで言い切っていた。
松岡は、このデートに何か期する所があったのではないか?それに対して女豪傑・梅子は
映画に行く日を、自分から今日とせっかちに決めておいてデート前に別の用件を入れる?
これが、デートをすっぽかすキッカケになった。緻密な松岡と、大雑把な梅子。お互いが
発想の転換をしない限り、なかなか理解し合えないのではなかろうか?如何なものか
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