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梅ちゃん先生 55回・心中 [物語]

今回は、昭和26年12月頃?梅子(堀北真希)が暖かそうなコートを着て登場した。
朝鮮動乱による景気の上昇は、昭和26年(1951)6月にピークを迎えたが、その後、後退。
1951.10に底を打ったが、そこからの回復は鈍かった様である。
梅子の暖かそうなコートは、動乱景気で、父・建造(高橋克実)の懐が暖かだったから?
インターンは、無給に近かったと思うから、梅子が、自前では購入できなかったと思う。

梅子は、インターン最後の3ヶ月で、建造が主任教授の第二内科に配属された。
其処には建造から依頼されて厳しく指導すると宣言する狭山助教授(石井正則)が居る。
狭山はやたらドイツ語を使いまくるので、勉強不十分の梅子はついていくのが大変!
狭山から、内科の難しさを教えられ、それに耐えうる専門的知識が必要だという事を
十分に教え込むと言われ「良く分かりました」と答える梅子に、「不十分!」の一声。
「インターンの最後に試験をするから、毎日学んだ事を十分に復習して覚える様に!」
と、引導を渡された梅子は、またもや窮地に立たされたのである。

今週のテーマは、「恋の後始末」となっているが、心中未遂の片割男の話しでは
初対面で意気投合して睡眠薬を飲んで心中を図ったという。こういう刹那的なものを
果たして心中といえるのか?ましてや、元気になって逃げ出したその男と、残された
片岡弓子(馬渕英俚可)との関係は、「恋」と、呼べるのだろうか?
「ロミオとジュリエット」の様な相思相愛の中なら心中と呼べるだろうが。

動乱景気後、すぐに厳しい不景気風が吹いて、厳しい状況に立たされた人々も多かった?
主要国の自殺率長期推移(1901-2010)〔人/人口10万人〕(以下のURL参照
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2774.html)によれば、
1951年頃、自殺率は戦争中等より相対的に増加している。
しかし戦争中の自殺率は人口10万人当り15人以下であり、1901-2010中で最低水準。
直近の1990年代末~2010は、人口10万人当り約25人。
そういう流れを踏まえた上で、男女心中未遂の急患について今後を見守るのも一興?

松岡(高橋光臣)が、廊下で会っても梅子を無視する理由は、論文発表の準備のためだと
分かったが、梅子は、そんな事を気にしている場合ではない?
まして、心中未遂の後始末のお手伝いなど、している場合ではない?
もっと、性根を入れて勉強しないと、インターンを卒業できないのでは?如何なものか
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