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梅ちゃん_50回 [物語]

インターンの面接試験で、「ひがわりていしょく」とつぶやいた梅子のその後やいかに?
試験官の一人から、その理由を聞かれて、梅子(堀北真希)は臆せず、「此処の病院の
日替定食は美味しいそうで」と切り出した。試験官の一人・建造(高橋克実)からまたも
「医学と何の関係があるのですか?」と突っ込まれた。それでもなお「食事は生きる基本
・・・云々、栄養が体を作る・・・云々、(従って)医者が食事を疎かにしてはいけない・・・云々」
と大先生方に向かって食い下がる根性は、建造に鍛えられた成果といえる?それに対しても
「一般論としてはそうですが、日替定食にこだわる理由は?」と、建造の追及は弛まない。
梅子は「毎日の食事には、日替の変化が必要だからです」と答えた後、間をおいて開き直る。

「良い先生は、他にも沢山いると仰いましたが、此処にしかいない先生がいます。」此処に
しかいない先生とは、医者を志す事になった原体験 <建造が重病のヒロシ(細田龍之介)を
救った時に梅子も手伝った> における建造の事である。梅子は原体験を話した後、続けた。
「私は、医者って素晴らしい仕事だと思いました。医者は人を笑顔にする仕事です。私も
その人みたいな良い医者になって、皆が日替定食を楽しめる様に・・・」途切れたが、続けて
「とにかく、その人が医者として働く姿をまだ少ししか見た事がありません。もっと近くで
見たいんです。もっと間近で、その人から色々な事を学びたいんです」 面接は終わった。
昨日の最後に書いたが、面接最後の下りは、芳子(南果歩)の「存分に照れくさくして
あげれば!」の照れくささを通り越して、建造は感動の涙目だったような気がした。

「梅ちゃん先生」は、今回で約1/3を経過した事になる。今回で医専を卒業したから
一応は学生時代を終了した。

そこで最近視聴した「女の一生」物語における4ヒロイン比較に学生時代を取上げてみた。
梅子<昭和4年(1929)生>は、初回から終戦間際の、女学生・勤労奉仕時代から始まる。
4ヒロインの女学生以上の学生時代は、糸子:実時間約半年・放送7回。
陽子:実時間3年・放送30回。布美枝(松下奈緒):0年・放送0回。
梅子:実時間約6年・放送50回。梅子は4ヒロイン中、学生時代の放送時間最長を誇る。
糸子<大正3年(1914)生>は、第6回、昭和2年(1927)女学校に入学するも、
放送第12回目、1年生の内に女学校を止めてパッチ屋に奉公に行った。
糸子(尾野真千子)は、女学校で裁縫は抜群だった。
そういえば陽子<大正11年(1922)生>は、女学校在学中、裁縫が下手で超有名?
陽子は第7回から昭和13年(1938)16歳の女学生(井上真央)になり、女学生時代の
話は長かったが、二年間の師範学校生活は1日でおしまい。そして陽子は
第36回の放送で、昭和16年(1941)に卒業と共に、小学校の先生として赴任。

布美枝<昭和7年(1932)生>の学生生活は、最短で、子役時代の第6回で終了だった。
第7回から昭和28年(1953)、ヒロインは21才で俳優も松下奈緒になった。

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