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梅ちゃん先生・36回に思う [物語]

「梅ちゃん先生」・36回は、ダンスパーティ当日の話題であった。
家族みんなで行きたいという梅子(堀北真希)が、頑なにパーティ参加を拒否する
父・建造(高橋克実)を、参加させるために説得する場面が秀逸だった。
梅子は、小さい頃好きだった木登りを例え話にして、父親の存在価値を賞賛し
遂に、説得に成功する。

「私も竹夫兄さん(小出恵介)と松子姉さん(ミムラ)も、お父さんやお母さんが
心配してくれるから、もう少し先に行ってみようと思えるの」
「お父さんが心配してくれているから私たち、きっと大丈夫!」
「何時も心配してくれてありがとう!」 実に素晴らしいセリフである。

昨日のブログでは、戦後の子どもが、小うるさい親を避ける口実に
「権利」や「自由」などの戦後の価値観を、用いてきた現実を先取りして記述した。
しかしドラマの中の梅子は、戦後の並みの子ども達とは一味違った。
一夜(数夜?)の内に、素晴らしい発想の転換をし、精神的に大きく成長した。即ち
‘父の姿を遠くに感じる’という事を、子ども達が、小うるさい親を煙たがって遠のく
のではなく、「小うるさい親」の存在を評価し、新しい事に挑戦している、と解釈した。

「東日本大震災」以来、“絆”が随分、再評価された。
しかし“絆”は半面、“ほだし”という人を束縛する面を持っている。
災害における「互助」活動の“社会の絆”を声高に叫んでいる人たちの“親子の絆”、
“家族の絆”は、大丈夫なのか?
“親子の絆”、“家族の絆”という基本的な“人間の絆”がしっかりしていなければ
「偽善」政治家によって、社会は崩壊へと向かっていく。

今日の梅子の“親子の絆”の解釈は、“絆”が“ほだし”に変化しないだけでなく
「権利」や「自由」など、戦後の価値観とも共存できる大切な複眼思考である。
こうしてみると、梅子の考え方は、「カーネーション」の糸子の時流に合わせる生き方とは
一線を画しているようにも思われる。梅子は、「おひさま」の陽子(井上真央)や
「ゲゲゲの女房」の布美枝(松下奈緒)の考え方とは、趣きを異にする事は確かである。
父・建造似でチョッと理屈っぽいが、ある面、時流に流されぬ生き方なのかも知れない。
如何なものか
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