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新しい社会?新しい人間? [閑話]

今日は朝から雨が降った。小降りになったと思い散歩に出たが、生憎終りの頃には本降り。
しかも勢い良く通った車に、水溜りの水をザンブとばかり浴びせられてしまった。今日は
近所の小学校の入学式だった様で、着飾ったお父さん、お母さんと子ども達に出会った。
生憎のお天気で気の毒に思ったが、ご本人たちの一生懸命な様子が、微笑ましかった。
さて橋下市長、その他のイカサマ政治家たちが、維新だ何だと大騒ぎして民衆の人気取りを
しているが、今日は、彼らの陰謀に乗せられる理由について、考えて見たいと思う。

従来西洋の近代化、即ちフランス革命の様な革命思想は、政治制度や経済制度の改革に
よって、新しい社会が生まれたら、半自動的に新しい人間を生み出すだろうと考えた。
即ち、社会構造の変革によって、人間の精神が変革され、その善性を発揮し、新しい
(即ち、より完全な)人間が生まれるという仮説に基づいている。

しかし、その考え方は全く観念的思考から生まれた空想である。現実には、新生社会を
運営する革命家やその後継エリートもまた、古い(旧弊な)人間であり、経済的に裕福と
なり福祉が増大しても、不平不満は解消されるどころか益々増大。人間性は益々、劣った
状態になるのである。この様に、西洋の革命思想は既にとっくの昔、破綻している。
昔、ピカソは「破壊は創造である」と言ったとか?それを深遠な思想の様に考えるのは、
間抜けな話で、昔は物に乏しく大切にしたから、素晴らしい発想と思うだけ。今の様に
物が溢れ壊す事に抵抗がなれば、壊して創るのは当り前。偉くも何ともない話だ。
同様に、物に乏しかった昔は、社会改革で、物が豊富になると人間も偉くなると思った。
だが現代の様に物が溢れる時代には、もっと物が豊富になっても人間が偉くなれない事位
分かるはずである。ところがイカサマ政治家に騙され続けるのは、どういう訳か?

それは、騙す側のイカサマ政治家も含めて、未だに「西洋信仰」から抜け出せないから?
その原因の1つに、西洋的論理の世界で、社会改革を伴わないと新しい人間を生めない
という説が根強くあるからである。その根拠は、孤独な人間を統合する手法として社会を
革新する必要があるというのである。しかしこの考え方自体が西洋の限界を語っている。
近代化の悪しき側面が人間を孤独な群衆にしたのであり、マイスターエックハルト(1260 - 1327?)やトマスアクィナス(1225? - 1274)迄遡れば、問題は何もない。先程もTVで
ユーロ圏の経済危機で悩み多きロンドンでは「禅」ブームだと言っていた。人間は
深層心理で繋がっている。新しい社会が新しい人間を生むのではなく、新しい人間が
新しい社会を建設する。新しい人間は内面から生まれ出るのでは? 如何なものか
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