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戦争を肯定? [閑話]

月刊誌「正論」5月号に、戦争(第二次世界大戦)を肯定する記事を二つ見つけた。
1)歴史捏造への反撃 *緊急鼎談「日本は自衛のために戦った」 マッカーサー証言を
  取り上げた都立高校教材の衝撃 鼎談 猪瀬直樹 八木秀次 野田数
これは、日本を糾弾した東京裁判の責任者であったマッカーサーが、全ての公職を解かれた
1951年・米国上院聴聞会における証言「日本が戦争したのは安全上の理由」をネタの記事。
2)根源へ 草舟立言  執行草舟
この記事では、「運命を生きなくなった日本人」という章の中の一節を取り上げた。
 大東亜戦争で反省すべき事は多々ありますが、日本民族が運命と懸命に戦ったという事は
 間違いありません。それは誇るべき事なのです・・・・以下略

二つの記事は、当時、真面目に生き、同胞を信じ、同胞の為に命を懸けた人々のみが
その是非を論じ、肯定する資格があると思う。戦争の苦労も、戦後の苦難の時代もろくに
知らない連中が、一方的な見方に立って、軽々しく云々するべき事柄では無いと思う。
例えば1951年のマッカーサーの証言も、真実を打ち明けたという証拠は何もない。
1950年の朝鮮戦争勃発で共産主義の脅威が強まり、日本再軍備の必要性に迫られたという
背景があり、そのためのパフォーマンス、政治的発言であったと思われる。
また草舟立言も「運命を生きる」という言葉には、大きな意味があると思うが、
当時の命を懸けた人々を見習わずに、価値観を変え「運命を生きなくなった」戦後日本人の
生き方の問題点を明らかにすべきだと思う。
現代人は、政治的発言を用いて権力を獲得し、社会を支配し、他国をも支配しようとする。

人間を、智恵と信条に従って生きる勇気ある人間Aとして生きるか?少数エリートしか
満足し得ない空虚な快楽生活に憧れる人間Bとして生きるか?に大雑把に分けてみる。
昔、キリスト教が安泰の頃、少数の人間Aと、少数の人間Bが居て、大部分はその間の
グレー領域。しかし社会は、正義の観念が浸透しており、政治的商業的搾取はなかった?

現代は、いかがわしい人間Bが、経済の膨張と共に大きく増大し、操作的知性によって
更に複雑な市場経済、政治的「洗脳」の時代となった。いかがわしい人間Bが、執行草舟
のいう「運命を生きる」はずがないのである。そして、少数の人間Aによる良き影響力も
陰が薄くなった。個人主義が利己主義へと変貌した今、西洋社会は学ぶべき対象ではない。
我々は今、智恵ある人間として在る事を目的とし、「洗脳」的言論に惑わされずに、
操作的知性ではなく、本当の「智恵」を心眼で身につけねばならぬ。如何なものか
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