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意識/無意識と政治 [閑話]

東洋?や日本人は西欧の様に、無意識を毛嫌いせずに、無意識と深く付き合ってきた。
しかし明治以後は、欧化政策による表層だけの近代化を成したに過ぎないにも関わらず
徐々にインテリは西欧的自我意識に目覚めて、無意識との付き合いを良い加減にしてきた?
その傾向は戦後に至り、一般庶民にも波及して行ったと思われる。しかし昨日のブログ
「お水取りと日本人の心」でも書いたが、日本人の美しい心は無意識の中で、今も健在
ではないか?とも考えられる。

そこで西欧的自我意識とは如何なるものか?C.G.ユングの本を読んで調べてみた。
C.G.ユングの本によると意識は、無意識性という暗闇から抜け出して発達してきた非常に
新しいものという。一方無意識は、人生の一大事においては、意識的決断よりは、
無意識的動機の方がしばしば優れているらしい。だが近代自我は意識の中に産み落とされ、
無意識に逆らい排除する?ところが、抑圧された無意識は、自我と入替わる事に、多くを
必要とせず、無意識に支配されるのは健康人のみではなく、集団・共同体、国民全体さえ
無意識の嵐に見舞われるという。

私は従来のブログで「現実を直視する」、「リアリティの喪失」等という言葉を多用したが
現代政治家の無意識に関する無頓着、無神経に対して批判していた事に気付いたのである。
ユングの説通り欧米人は歴史的に早くから自我の確立を優先し、無意識を抑圧し、逆らい、
排除してきた。しかし日本人(東洋?)は、西欧人と異なり、自我と無意識との友好関係を
保つという歴史を担ってきた。抑圧され荒れ狂う嵐の無意識ではなく、人生の一大事の時に
優れた方向に導いてくれる無意識との友好関係である。ユングも、意識と無意識を金槌と
金床とに譬え、その間で鍛えられる鉄を自我に譬えて、それでこそ立派な自我、そして人間
として大成する事を示している。洋の東西の無意識との付合い方に優劣を云々できないが
日本は欧米の真似ではない、伝統・文化に根ざした生き方をしなければならないのでは?

現代日本が、ギリシャの様に財政破綻に陥るとすれば、政治家が国民の無意識を信頼せず
自己の保身の為、即ち票稼ぎの為に、バラマキ政策をドンドンと進めるからである。今回の
消費税増税も、民主党はバラマキ政治から、立派な政治へと変身する事を印象付けるための
パフォーマンスに過ぎないのではないか?この様に騙し続けていると、日本人の無意識は
やがて戦前の様に、荒れ狂う無意識の嵐となって、全てを焼き尽くす事になるだろう。
本当に国の為に消費税増税をしたいならば、堂々と国民の審判を受けてから実施すれば
良いのではなかろうか?民主党は即刻、国民の審判を受けるべきでは?如何なものか
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