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GDP比較とグローバル化 [社会]

最近、国際比較にGDP比を使用する例を良く目にする。私自身、官僚経費に関して
2012.02.29のブログ「着眼大局、着手小局」で、OECD比較のデータを参考に掲げた。
月刊「Will」四月号の「TPPで崩壊する日本の医療制度(1)」という山岡淳一郎の記事でも
OECDの加盟34カ国における対GDP比率によって、医療費の国際比較が示されていた。
それに依ると、最上位の米:17.4%からオランダ:12%、仏:11.8%、独:11.6%と続き
日本は8.5%で、24位だという。
これら結果を大雑把に要約すると、日本は先進諸外国に比較して非常に効率よく運営され
税金負担も少なく、世界に類を見ぬ平和や安全・健康等に恵まれた国だという事になる。
ただ、残念ながら日本人は歴史上希に見る、この世の天国に住んでいる実感がないのだ。

客観的なデータから考えれば、現代日本は恵まれ過ぎているのかも知れない。だから
増税も、TPPも受入れていかなければならないのかも知れない。現在の日本人は
「茹で蛙」の様な、危険を予知できない状況というよりは、国内だけを基準にして
世界規模の社会や子孫を思いやる事のできない、狭い了見に陥っているのだろうか?
もしも、その様な自分勝手な自己中心主義になっているとすれば、何が原因だろうか?
何故なら、この種の自己中心性は、幼稚な子どもや見かけは大人でも成長していない
特別の人間ではなく、一般人にも蔓延しているからである。勿論、世界的規模である。
日本が小さな国や地域ではなく、1億を超える人口を抱える国家中で、統計上では最も
優れた運営を誇る国家だとすれば、世界が学びたい素晴らしい精神文化があるはずだ。

そこで思い出した事がある。「臆断(狭い了見での思い切った決断)」という言葉である。
先日のブログで紹介した「ショウジョウバエのオスの生殖細胞にX線を当てて奇形児が
生まれることを証明した実験」も、その手の「臆断」を引き起こした事例である。
そういった「臆断」を起すのは、科学知識を「金の牛」、偶像化するからである。自然に
ついての知識は、当初、神と人間との関係で捉えられていたが、18世紀以降、その関係が
風化したために、科学知識が一人歩きし、「臆断」先行で様々な問題がこんがらがる?

日本人は、何よりも自己の感覚・知覚を大切にする。即ち客観化・普遍化ではなく、
主体の体験を踏まえた認識の共有に重心を置く。従って物事が上滑りではなく、ジックリ
構築されていくので、確実に成長していけるのである。ただ最近の日本の政治家は、
その様な伝統文化を忘れた上滑り人間が多い。上滑りではない人に増税やTPPをジックリと
検討してもらい、是非を国会で堂々と議論してもらいたいものである。如何なものか
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