SSブログ

久々のカーネーション [物語]

NHK・連続TV小説「カーネーション」だが、突発的に85・86回だけ見た感想を書いておく。
土曜も今日も全く見ようという意思はなかった。昨日玉枝(濱田マリ)が奈津(栗山千明)を
助けようと、病身を押して会いに行く場面は非常に印象的で、結果を見たいと思ったが
今朝は全く忘れていた。それなのにまた偶然に放送開始直後にチャンネルが合ってしまった。
この偶然を不思議に思い、この切なくも美しい物語について、書く気になったのである。

前後の経緯は良く知らないが、玉枝(濱田マリ)は息子たちを亡くし最早生きる屍状態?
そしてお嬢様で美女の奈津(栗山千明)もまた、借金のために人生の裏街道の人間になった?
あのしっかり者の玉枝おばちゃんが、精神的に参ってしまい瀕死の床に伏せっている?
心ある友人・知人なら何とかして上げたいと思うのが昔の人情である。そこで元気者の糸子
(尾野真千子)がお節介を焼く。身を持ち崩した奈津を救えるのは、昔から奈津が心を許す
玉枝しかいない、と気転を利かしたのである。そして玉枝の家に頼みに行く。しかし
玉枝は、「人を救う余裕なんかない」と、けんもほろろに追い返された。

しかし数日後、嫁の八重子(田丸麻紀)からの電話で玉枝が奈津に会う決心をした事を聞く。
奈津を助けてやりたい一心の玉枝は、背負われ短距離も杖つきヨタヨタ歩きでも会って話した。
両親を亡くし、借金漬けの奈津。自慢の息子たちを亡くした玉枝。傷心の二人の出会いは
涙なしでは見る事ができなかった。両親を亡くしたとはいえ奈津には若さがある。しかし
大きな借金を抱えているハンデがある。老いた玉枝には借金はないが最早未来は見えてこない。
玉枝は奈津の力になる事によって、生甲斐を感じられる様になり、生きている感謝の気持が
甦った。今迄世話になった嫁の八重子にも、深い思いやりを持てる余裕ができたのである。

八重子だって最愛の人を亡くし、どんなにか辛かったろう。しかし八重子は若さもあり、
姑を助けたいという思いやりの心が、辛さを乗越えて、強く生きる力を得ていたのだ。
奈津と玉枝・八重子そして糸子や町内の連中が絡んだ今回のエピソードには、愛があった。
一人の人間は弱い。しかし互いに思いやる事によって、大きな力に育っていくのである。
「情けは人の為ならず」という諺があるが、正に、この諺にぴったりのエピソードだった。

敗戦後の日本が立ち直っていく過程において、この様な物語が幾つも有ったのではないか?
互助の精神というのは、助ける力がないと思う人でも発揮する事が、自分の力になるのだ。
互助から自助の力も湧いて来るのである。「互助」という考え方が如何に大切かがわかる。
国の助けより、顔の見える関係の互助こそ、真の生甲斐の源泉では? 如何なものか
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

古今集&散歩 [散歩]

古今集の雑歌という分類の中に、なかなか味わいのある歌がある。
◎ 紫のひともとゆえに 武蔵野の草は皆がら あわれとぞみる よみ人しらず
歌意:一株の紫草があるだけで、武蔵野の広大な草原全体に一層の情趣が加わる。
従って、この歌は、様々な状況に転じて、応用できるのではなかろうか?
ある本では、紫草を妻に例え、愛情こまやかな一人(妻)がいるので、親子、兄弟の絆が
強く結ばれ、愛と親しみの中に暮らせるのだという意を含んでいると解釈している。
しかし現代では、それは家族に限らず、さまざまなチームなどにも言えるのではないか?
   
次は、時の移ろいに関する感慨を歌ったものを集めてみた。
◎ 止めあえず むべも疾しとは言われけり しかもつれなく過ぐる齢(よわい)か
歌意:年月は止める事ができないから、疾駆すると言われるのも尤も(むべ) しかも
   つれなく素知らぬ顔で、私の年齢は過ぎて行くよ 
◎ かくしつつ 世をや尽くさむ 高砂の尾上に立てる松ならなくに
歌意:私は、この様にして一生を終えよう。高砂の尾上の松ではないのだから。
この歌は、自分の寿命が、有名な長寿の象徴である高砂の尾上の松と比べ物にならないから
自分らしく生きようと決意したものと読み取れる。しかしこれは、寿命の観点だけではなく
さまざまな観点にも応用できるものだ。己の生き様を再確認した素晴らしい歌ではないか!

散歩の話に替わる。昨日と気温は変らなかったが、風の強さが違ったのか暖かく感じた。
SJ(スロージョギング)でスタート。20分で汗が出そうになったので、そこからは歩く事にした。
散歩で目に映る景色、風の肌触り、出会う人の様子などから様々な連想が湧いてくる。
人間の考えなど、時間の経過で随分変るものだ。昔はそれで良かったと思っていた事が
今では、それは間違いだと気づかされる。考えの次元には、さまざまな次元がある。

今日も散歩の途中に美観地区を通った。人通りはまばらだが、この季節に人が来てくれる。
ありがたい事である。さすが、老舗観光地だけのことはある。週末はまた賑わう事だろう。
駅の北側に出たが、ARIOは混雑しているだろうし、時間が遅くなったので帰路についた。
SJを再開。40分弱(39分39秒)までやった。感謝のサンキュー・サンキューである。
最近は、SJもセイブしている。膝関節の問題もあるが、頑張り過ぎは良くない?と考えた。
膝関節問題に関しては、昨年暮辺りから、「グルコサミン」を飲んでいる。サプリメントは
これがはじめての使用だ。飲んだ途端に利いた様な?そんな気がしてならないの、赤坂!
この正月、カラオケで孫達にせがまれ、久しぶりに歌った「コモエスタ赤坂」の一節(^^)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ドラマは韓流か?華流か? [閑話]

さて帰省する孫達のため短期、多チャンネルTVにして、失敗した私は、契約切れの2月末迄に
増加契約料の元を取るため、契約切れ以降見られなくなる番組を、見る努力をしている。
まあ、良い機会だから見聞を広めようというわけである。殆どが再放送番組だから、
どうしてもスポーツや囲碁等よりも、今迄見なかった海外ドラマ、特に韓流ドラマに目が行く。

そんな中で、華流ドラマ(台湾が主か?)というのがある事を知った。
あちらこちらチャンネルを切替えて、面白そうなものを渉猟するのだから、最初は
韓流と華流の区別が付かなかったが、「君には絶対恋してない」というのを、何度か
断片的に見る内に、どこか韓流と違う事に気付き、まずは言葉からはっきり認識した。

韓流と華流には幾つかの明らかな違いがある。(数少ない経験で間違いもある?)
言葉が、韓流は甘えたような柔らかい感じに対し、華流は荒っぽくてきつい感じである。
その分物語の作りも、「君には絶対恋してない」は恋愛物語というよりも、コメディ?
グオ役は面白すぎる役者(Ella)。これは悲恋物語になりそうな中国語の冷たい雰囲気を
和らげ、ハッピーエンドの恋愛物語に仕上げるためには必須ではなかろうか。
嫁いびり的な場面で、コメディタッチは遺憾なく発揮され、物語を明るくした。

韓流ドラマも、断片的に「製パン王キム・タック」と「パリの恋人」を見た。
こちらは、男女関係のどろどろ、出来の悪いおじさんやお父さん等という障害がある。
韓国語は、言葉が柔らかく聞こえるから、恋人同士の会話としては最適かも?
一方、嫁いびり的な場面では、韓流の方がしつこくねっとりとしていた。
この辺の韓流のやり方は、日本のドラマと相通じるものがあるように思う。
「製パン王キム・タック」は、恋愛ものではなく、若者の成功物語、或は成長物語?
今度BSで日ドラ「結婚できない男」の再放送が始まった。日韓華の比較は、如何なものか

続きを読む


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

暖冬&健康情報 [閑話]

今日は鏡開きである。妻が今風鏡餅を使って、ぜんざいを作ってくれ美味しく頂いた。感謝!
昔、私の子どもの頃は近所が寄り合って暮に餅つきをした。そして鏡餅も作った。
大きい方の餅は、直径30センチ近かった。大きなお餅を二つ重ねて、暮から床の間に飾って置く。
鏡開きの日に食べるのだが、暖房の乏しかった昔は部屋も寒かったから、御餅はカチカチ。
小さく切るのも一苦労だった。トンカチで割るようなこともした覚えがある。
小さくしたお餅を火鉢などで焼いて、ぜんざい等に入れて食べるが、なかなか美味しかった。
普通の小さな御餅よりも美味しく感じるのは、どういう訳か?
現在では、正式の鏡餅を搗くこともなくなったが、仮に搗いて床の間に飾ったら、
暖房のために、カビだらけになって食べる気がしないだろう。

鏡開きの今日は、寒の入りから5日目になる。寒は、昔の人の解釈では、「冬至を過ぎても
日出が遅くなり、陰気に逆らうから、そのせいで寒の入りから、ますます冷える」となる。
あまり科学的な説明ではないが、冬至を過ぎても日出が遅くなるという観察眼は正しい。
日出が最も遅くなり、早くなる方に切替る時期が1月7日前後で、寒の入りとほぼ重なる。
これも、昔の人の解釈に、何らかの示唆を与えたのかも知れない。
今年は小寒の日は寒かったが、此処連日少しずつ冷込みは弱まり、残念ながら暖かくなった。
この冬(2012年冬)は、暖冬になるのだろうか?

サプリメントのTV広告に出ていた由紀さおりが「健康情報を持ってるものが勝ち」という
ニュアンスの発言をしているのを聞いたが、その時少し、アレッという違和感を持った。
由紀さおりは健康に苦労のない健康な人と思っていたからか?結構苦労しているらしい。
私も健康苦労人だから、健康情報に関しては、人頼みではなく自分でせっせと集める。
健康情報は、人によって、有効性が異なるからである。

現在、読んでいる安保徹著「自分ですぐできる免疫革命」は、目から鱗の情報満載。
以下に、私が特に記憶しておきたい事を抜書きしておく。
◎ ガンを治す四ヶ条。1.ストレスの多い生活パターン改善 2.恐怖から自由になる
  3.三大治療(手術・放射能・抗がん剤)を受けない 4.副交感神経の活性化
◎ 病気は必ず治ると、自分の無意識レベルまで沁みこませる (復唱やポスター)
◎ 深呼吸やガムなど噛むことで、副交感神経の活性化を図ろう。
◎ リンパ球が多すぎても、リラックス過剰で血流障害→リンパ球輸送障害→ガン
その他、関節修復も血流改善で可能・・・・等々。記載内容は大変興味深い。如何なものか
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

隠居の寝言:世界情勢 [閑話]

最近は、隠居の寝言の様な閑話が多いが、今日も隠居の寝言の日本と世界情勢を書きたい。
ギリシャの金融危機は国境を越えた金融システム問題で、ソブリンリスクではない。
国家が責任をとれない構造の為、現状ではリスク回避対策が難しい。
EU全体として回避策を練っているが、中々難しい様である。EUの経済システムは、
ユーロ(共通通貨)によって、金融はEU、財政は個々の国家が仕切るという構造で
ユーロ圏の国家財政危機が全体に波及した場合の最終的な責任者(ソブリン)がいなかった。
そこに矛盾があった。即ちEUはソブリンではなかった。

さて日本は、昨年東日本大震災という大変な災害を経験した。今年の運勢や如何に?
昨年末の紅白歌合戦は、孫達の来訪で、大家族が揃って見たものである。
震災復興をテーマに国家的な鎮魂・法要を目指した様だが、その役割は果たしたのだろうか?
視聴率は最近5年間で第三位の41・6%を記録したという。しかし実質は、
例年の視聴率よりもダウンしているらしい。それでも大震災以来の「絆」ではなく
「あしたを歌おう」というテーマにしたのがよかったのではないか。
年の変り目を良い機会に、気持を切り替える事は大切な気がする。

OECD(経済協力開発機構)は昨年12月、 加盟国全体の2012年の実質経済成長率は1.6%?
~マイナスもあり得ると予測。 だが日本は復興景気で世界平均を上回る2.0%と予測?
この大震災によって、日本が生れ変ったことを期待されている?東日本大震災対策等で
23年度補正予算は、1次4兆円、 2次2兆円、 3次12兆円、 4次2.5兆円規模が組まれた。
OECDの見通しは、復興ブームが到来して景気も良くなるということらしい。
貴重な国民の血税を無駄にせず、日本の再生を図れば、景気回復に貢献できるのでは?
一方で千葉県が、統計開始以来、東京圏1都3県のトップを切って昨年人口減少した。
しかし人口減少も考え方である。人口減少社会でも心豊かに生きることは可能だろう。

世界情勢のニュースには暗い話が多い。だから日本の情勢も暗いニュースが多くなる?
自然現象と同じで、良いニュース、悪いニュースは、マクロに見ればバランスしている?
明るいあしたを信じて、良いニュース、悪いニュースに一喜一憂するなかれ!だ。
良いニュースも悪いニュースも、それを活かす様に努力して、生きて行く事だと思う。
私の様な年寄が口出しすると碌なことはない? こりゃまた失礼しました!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

多チャンネル放送と韓流ドラマ [閑話]

私はそれ程テレビを見る習慣はなく、食事時等に偶然見る以外は、余ほど見たいと思う番組を
ビデオで見る程度である。広告時間はカットして見られるし、見たい時に見られるからである。
それなのに最近、多くのチャンネルを見られるサービスを受けている。暮から正月に孫達が
来るので見せてやろうと思ったからだ。しかし、その思惑は見事外れてしまった。

初めて見た韓流ドラマ(韓ドラ):ユジンとキ・テヨン主演の「恋人づくり」が面白かったので
多チャンネル利用法として他に面白い韓ドラ番組を考えた。驚いた事に韓ドラが犇めいている
ではないか?恐らくチャンネル数が爆発的に増大して、放送番組制作が間に合わないのでは?
日本だけではなく、韓ドラをはじめ様々な国の放送作品を使いまわしていると考えるのが妥当
であろう。それでも、間に合わないから、テレビショッピング番組にやたらとぶち当たる事になる。

テレビとはいったい何のタメにあるのか?を考えさせられてしまう。
ラジオは、放送の仕組みや受信装置において、テレビに比較して省エネ的、経済的であるから
聞き流していても罪悪感がない。一方生の演劇、演奏等で居眠りするのは役者や演奏者に対し
失礼だろう。テレビは、ラジオの様に聞き流すのは、省エネ時代にそぐわないのでは?
だとすれば、一体こんなにたくさんのチャンネルを、中味も薄いのに放送する意味はあるのか?
こんなテレビ放送で、楽しめるとしたら、時間の有り余っている高齢者であろう。特に
病気など、外出もままならない人で、目や耳が使える人には、暇つぶしになるかも知れない。
私の場合は、韓ドラを開拓する意味を見出したが、結局これという番組に出会えなかった。

こうしてみると、個人的にはどうでもよい番組を垂れ流している?という疑惑が湧く。
そんなテレビがなぜ、こんな多チャンネルになるのか?以下に、私の考えを述べてみたい。
結局、多チャンネルテレビ放送は、消費・浪費のための洗脳を目的としていると思う。
様々な世界をぬくぬくとした居間で見て、行って体験したごとく錯覚し、グルメや温泉その他
様々な旅行気分を味わい、世界のニュースを聞きかじり分かったような気分になる。
所謂、全能感に浸る事ができるという訳である。そういう全能感をもって生きていけば
日常生活において、エネルギーの無駄遣い、お金の無駄遣いをしても後悔も反省も起きない。

ストレスが高い現代社会では、こういう全能感への洗脳を行える社会構造にして、ストレスとの
バランスをとろうとしているのだろう?しかし全能感への洗脳は一時の気休めになっても、
浪費によってストレスを益々増大させる事になる。ストレスとのバランスに必要なものは、
不健康な全能感ではなく、現実を正しく認識できる健康な精神ではなかろうか?如何なものか
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

散歩つれづれ'12.01 [散歩]

寒さが募ってくると外に出るのも億劫になるせいか、散歩に出るのが遅くなってしまった。
そこで歩いて15分ほどのイタリアン:「パルパスタ」で昼食を摂る事にした。(写真参照)
DSC09204.JPGDSC09205.JPG
普段、あまり入らない店だが、店員さんの感じがよかった。ランチセットを注文。
お好みのパスタに野菜サラダとドリンクバー、それにパンかパスタの大盛りを選択できる。
左の写真は、オーロラドレッシングの野菜サラダ。ドレッシングの味がよかった。
喉の渇きを複数のドリンクで癒す事が出来るドリンクバーも、散歩人間にはありがたい。
メインは、キャベツとベーコン入りパスタ(写真右)。ペペロンチーノに近いという説明。
私は最近、免疫学に凝っていて、昼は日本そばか、ペペロンチーノなどがメインなのだ。
大盛を頼んだが、食べやすくなかなか美味しくて、ぺろりと平らげてしまった。

食事中に、隣の席の話し声が自然と耳に入ってきた。「年寄が口出すと碌なことは無い」
人間の耳は高性能だ。他人の会話は普通、雑音として聞き流されている。しかしひょんな
言葉で、急に話し声が雑音ではなくなるらしい。今回の場合は、“年寄”がキーワード?
何せ、私もあと数年で後期高齢者の仲間入り。レッキとした年寄りである。

そのフレーズを口にした人を伺うと、何と妙齢の美女ではないか?興味が湧き聞くとはなく
耳にしたところによると、ご本人の結婚話に年寄(お爺ちゃん)が口出しして、娘さんは
家を出て、正式の式もせず、結婚生活に入っている模様。同様の状況に陥りかけている?
話相手(本人ではなく関係者?)の相談に乗っている最中の会話らしい。
話の内容は暗いが、妙齢の美女は誠に明るく朗らかで、現在の状況を全く気にしてない様子。
お爺ちゃんに関して何の悪意も感じられなかった。口出しの罪を憎んでも、人は憎まない?
飛んだ盗み聞きだったけれど、実に爽やかな気分だった。それでも今回の経験から、年寄が
何かにつけてでしゃばらない様に、(私としても)気をつけたい。如何なものか
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

続・2012正月 [大家族]

正月の三が日も今日で終りである。
毎日が日曜日の私ではあるが、孫達の来る正月は特別の年末年始になる。
昨日で孫達は帰宅したが、我々夫婦はその余韻に浸りたくて、今日も正月気分で過ごした。
散歩のついでに、様々な店に立ち寄って、初売りセールを楽しんだり
普段よりはちょっぴり贅沢な昼食を嗜んだり、観光気分で美観地区を散策したり。

◎ たつ年に たつの絵のある 橋にたつ
この川柳とも俳句ともつかない句を掲載したいために撮った写真が下の画像である。
NEC_0075.jpgNEC_0072.jpg

DSC_0711a.jpgDSC_0737a.jpg帰宅してみると、娘から来倉時の写真が送られてきた。
一枚目は元旦・金毘羅参りの帰り道で
の石段である。夕刻になり時雨の後で
薄暗くなっている。何の変哲もない写真
だが、我々夫婦の後姿を捉えて撮って
くれている貴重な一枚である。
もう一枚は、昨日、近所のグランドでryu
とkotoと野球遊びをしている所である。

NEC_0076.jpgボールを投げたり、受けたり、捕りこぼしたボールを拾ったりする普通の動作が
高齢化と共に決して普通に出来ない事を実感した。散歩だけでなく、もっと色々
多彩な運動をしなければ孫に付いていけなくなりそう!最近良い言葉に出会った。
“「失う」のではなく「手放す」” 若さも、健康も、愚かさも、いとしさも、何もかも
執着を捨てる! 如何なものか
  (写真はクリックで拡大できます)
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

2012正月 [大家族]

◎ 一夜明け 金毘羅さんに 初詣  ◎ 賑やかな 暮と正月 二日ずつ
一夜明ければ元旦。今年の元旦は、最初は好天だったが後半崩れた。暮の二日と正月の二日
子どもと孫達が、わが家に帰省し、賑やかに、楽しく過ごして、また風のように去った。

DSC09163参道1.JPGDSC09169参道2.JPG
上の画像は元旦の金毘羅さん参道の状況。左は最も混雑していた時。右は少し緩和した時。
混雑は、あらゆる生活のリズムと同様に、波動性があるようだ。

◎ 初詣 時雨にけぶる 讃岐富士  ◎ 孫達が 好むお菓子屋 橘香堂
DSC09173讃岐富士.JPGDSC09191孫5.JPG
上左の画像は、金毘羅本宮横の高台から眺めた時雨れ讃岐富士。そして今日の孫達の写真。
初詣は一台の車では乗れないので、電車組と自動車組の二手に分かれて参拝。行きは、
ボックス席を確保できたが、帰宅時は混雑した。785段の石段と冷たい空気と時雨などで
体が冷えたのか?暖かい車内で睡魔が猛然と襲ってきた。最後の写真は、今日の夕方、
孫たちが帰る直前、美観地区入口の橘香堂に寄った時の光景。何か食べている。むらすずめ?
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。