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初時雨散歩と時期遅れ藤袴 [和歌・俳句]

今週、曇天散歩が続いたが、時雨に会えず、やっと僅か数分だが、めぐり会えた。
◎ 初時雨 会えてうれしい 散歩かな  本日の自作

時雨は、実に変化に富む。変幻自在、千変万化である。この時雨を楽しまなければ損!
そんな気分でなければ、冬、戸外を楽しめないと思う。私の好きな芭蕉の句
◎ 旅人と 我が名呼ばれん 初時雨   貞享四年(1687)初冬 芭蕉44歳の作
 昔の旅は今と違い、わが身を自然に曝して歩く。心から初時雨を楽しむ気分だから
 寒さが募る初冬に旅に出られるのだ。昔の人が如何に時雨を友としていたかが伺える。
◎ 初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり   元禄二年(1689)初冬 芭蕉46歳の作
 この句も、旅の途上、時雨の風情を楽しみながら歩いている楽しげな芭蕉の雰囲気が
 まるで隣にいるように感じられる。落葉した枝にいる猿なのだろうか?
 旅慣れた芭蕉が、この時期の旅に、蓑や傘を忘れるはずはなかろう。芭蕉の蓑を
 猿が、欲しがっているように読み取れる。芭蕉は、チョッと得意げにさえ思える。

時雨に関して、新古今集でも、なかなか味わいのある和歌を見つけた。
◎ 晴れ曇り 時雨は定めなきものを ふりはてぬるは 我が身なりけり 動因法師
 意味:ほぼ文字通りであるが、「ふりはてる」を雨が降ると年をとるという意味にかけて
 時雨は、晴れたり曇ったり降ったりと千変万化だが、我が身は年取るばかりで情けない!
 という様な意味だろう。
動因法師は、藤原敦頼(あつより)という中流貴族で、没年寿永元年(1182)頃?
当時としては珍しく90歳を越える長寿だったというから、謙譲の美徳というところか。
それにしても時雨と我が身を引き比べるとは、なかなかのアイデアマンか。ともかく、
昔の人は、平安時代から江戸時代まで(いやつい最近まで)時雨を身近に感じていた。
DSC09095藤袴.JPG
写真は、先日の散歩中に撮った秋の七草・藤袴である。
◎ 秋風にほころびぬらし 藤袴 つづりさせてふキリギリス鳴く
 作・在原棟梁(むねやな)
 意味:藤袴の花の姿がほころびに見える所から、袴のほころびに
 かけて、キリギリスが“つづりさせ”(擬音)と鳴いている、即ち
 “縫い合わせよ”と鳴いているから、秋風で袴がほころびたのだろう、という。
これは古今集の誹諧歌(滑稽味のあるもの)に分類されている。どういう点が滑稽なのか?
わかり辛いが、西暦800年代後半の人たちと現代人は、滑稽感が異なる?如何なものか
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