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映画「Railways2」 [大家族]

先日、久しぶりに劇場映画で“Railways2”を見てきた。私はめったに劇場映画を見ない。
高齢者割引で安く見られるが、戦後の貧しい時代の経験からか「勿体ない」精神、平たく言えば
「ドケチ」精神が働くのか、ドラマや映画は、テレビの録画で十分と思ってしまうからである。
それでもブログを書き始めてから見た劇場映画は、ブログで振り返ると、次のようになる。
1)2007-11-27~12-03 映画「Always 続・三丁目の夕日」
2)2008-03-08~13 映画「明日への遺言」 3)2008-05-11~12 映画「靖国」
4)2009-02-24~27 映画「おくりびと」  私の映画の好みは何だか訳が分からない?
私の目的は、その時点の問題意識に立脚し、過去への追憶と未来の展望を行う為なのである。

さて、映画「Railways2」だが、従って、“鉄ちゃん趣味”で見たわけではない。
私の鑑賞目的は、老後の夫婦の生き方に関する問題意識から、私の約10年後輩の物語をみて
自らを振り返ると共に、今後の我々夫婦の将来の展望を考えるためであった。

定年離婚という大問題は、現役時代に既に十分研究、或は話合いをしておかないといけない。
しかし一般の日本男性は、この映画の主人公:滝島徹(三浦友和)同様、懸命に働いて家族を
養うことで精一杯。定年離婚への準備など思いも及ばないという人が多いだろう。
徹は、自分の仕事という現実の中で戦う事に目を奪われて、夫婦の現実に目を背けていたのだ。
徹は、定年の慰安旅行で酔っ払った勢いで冗談交じりに、運転士仲間の親友:島村(岩松了)に
離婚の一件を相談した。その時、島村は、「悪かったら謝る。俺に原因がなかったか考える」と
やんわりと徹に忠告した。しかし佐和子(余貴美子)の家出・別居の意図を理解しようともせず
徹と佐和子は談判決裂。佐和子は徹に、自分の署名入りの離婚届を突きつけて出て行った。
それでも徹・佐和子夫婦の様に定年離婚が顕在化する方が、まだ良いかも知れない。何故なら
嫌でも、自分が見ていた現実とは違う現実を、直視しなければならないからだ。佐和子は、
徹という人間を知った上で自己の新しい生き方のために離婚を決意した。しかし、徹は、
佐和子という人間を知らないで自分勝手な定年後の生活を描いていた。佐和子が、がん検診で
疑われた事を徹に話さなかったのは、徹が、佐和子という人間を見ていなかったからでは?

私の娘の世代以降は、旦那が家事・育児にも協力的に見える。それでも義務感が強い。今日
Arioのトイレで若い父親が、楽しそうに赤ちゃんのおしめ交換をしていた。家事・育児に
心底協力的な男性をトイレで始めて見た。トイレでの父子には、普通、外と別の面がある。夫婦が
互いの現実、互いの人間を知る事は難しい。徹・佐和子夫婦の様に、現実の一部を見落とし
互いを決め付けるのが人間の常だ。過ち多き愚か者という反省が大切? 如何なものか
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恋人づくり・19回の見所 [物語]

今回の話題は、1)サンウン(ユジン)とヨジュン(キ・テヨン)の秘密契約発覚と対応、
2)ソンヒョングループ財閥の会長(ヘソンの父親)が、ユニ家に乗込んでの罵詈暴言場面、
3)それらに関連したゴタゴタ、であったが、見所は何と言っても秘密契約発覚事件である。

秘密契約発覚は、パソコンの外部メモリを探して持ってきて貰うヨジュンの依頼電話が、引き金。
姉のユニ(キム・ジョンナン)に頼むはずが、母親が居合わせたヘリム(イ・ソンミン)に
探させたために、交際偽装の秘密契約書が、ヘリムの目に曝されてしまったのである。
ヘリムから聞き知ったサンウンは、ヨジュンの元に駆けつける。ヨジュン「俺にまかせろ」
サンウンとヨジュンの家族が集合した前で、二人は徹底的につるし上げられる破目になる。

吊るし上げは以下の様な次第になる。サンウンの祖父ソクジュとヨジュンの祖母オンナンの
いがみ合いから始まる。そして詰問の最初は、祖母の「どちらが悪知恵をだしたのか?」
それには答えずヨジュンは「今は愛している」。しかし騙されたと思う親族達は「そんな事
信じられるか!」と口々にいう。それにサンウンは「今まで信じていたでしょ、もう一度・・」
と言うが、祖父が「信じてた我々を裏切ったのは誰だ?」と厳しい追及。そこでヨジュンは
「婚約する」と、伝家の宝刀を抜き放った。驚いたサンウンの様子が、なかなかよかった。
皆も驚く。(ヨ)本気だ、信じてくれ。(祖父)婚約してまで騙す気か!ふざけるな!誰がさせるか!
(祖母)とことん私達を愚弄する気ね!もう結構よ。騙されるのは一度で十分。テクス、二人共
追出して!(祖父)サンウンはしばらく外出禁止だ!(テクス)状況がわかっていない。考えてみろ。
(ヨ)わかっているから婚約を決めたんだ。最初は偽装だったけど、今は真剣なんだ!
(サ)ヨジュンさん落着いて!(ヨ)俺は冷静だ。俺に任せろと言っただろ。

私が、長々と、この修羅場を再現したのには理由がある。それは様式美ということだ。日本の
この種のドラマのこういう場面では、嘘っぽいか変に深刻がるかだ。韓流はスッキリして良い。
関係者の主だった人たちが、皆に代わってズバリと言いたい事をビシリと直球勝負だ。それに
被告席のヨジュンもズバリと直球で答える。それにまた、ふざけるな!とか、出て行け!等と
打返し、押返す。どれ程の覚悟があるのか、どれ程真剣なのか?言葉はきついが問うている。
そこで、ヨジュンは最後の切札を切る。爺婆に対する殺し文句である。
「最初は拒んだけど今は期待に答えるよ。サンウンと結婚して念願のひ孫も見せてあげるよ」
これには参った爺婆。祖父の「本気で言っているのか?どうせまた騙す気だろう?」という
弱々しい反撃が限界? それに期せずして二人が、「違います」と答えた。これで一件落着!



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恋人づくり・18回の見所 [物語]

さて、第18回の「恋人づくり」の見所を述べてみたい。最初の見所はこうだ。
サンウン(ユジン)とヨジュン(キ・テヨン)とのデートの直前に邪魔が入る。
ヨジュンの友人:ギュハン(チョン・ソグオン)の義妹:ヘリム(イ・ソンミン)の策謀だ。
その為にヨジュンとヘリム、サンウンとセウォン(リュ・サンウク)が鉢合わせ。それで
ヘリムを送った後に来たヨジュンと、サンウンを送って来たセウォンの三人が、サンウンの
家の前で祖父ソクジュ(イム・ヒョンシク)と父ギョンテ(カン・ナムギル)と出会う。
その機会を捉えて、祖父ソクジュは、若者2人と飲食して、二人をテストするわけだ。

韓国の年長者は凄い権威を持っているのか、2人の若者は、祖父の申出に唯々諾々と従う。
飲食中の会話は、私の様な日本人から見るとセウォンの圧勝。セウォンは、酒も強いし、
いう事が、祖父の気に入るような事ばかりなのである。それに引換え、ヨジュンは酒が弱い?
祖父に薦められて、セウォンとの対抗意識上、一気に飲み干すが、気分が悪そうで、話も
正直一辺倒、祖父のご機嫌をとるような、気転に富む内容ではなかった。

この場面で私が感じた事は、サンウンの様な年頃の娘を持った親族は、粘り強く最良の婿探しを
するのではないか?という事だ。サンウンに結婚を前提にしたヨジュンとの交際を勧めたのは、
アメリカ人との結婚に反対するための口実に過ぎなかったのである。もしサンウンがセウォンを
好きになったら?という可能性を考えて、セウォンとヨジュンとを並べてテストしたのだ。
セウォンの人物テストをするという事は、財産等の世俗的条件は、すこぶる良いからである。
別の表現をすれば、年頃の娘を持った親族は、自分たちのプライドを傷つけないで、如何に
世俗的条件の良い男と結婚させるか、という事になる。こういう事は家族制度が厳然とあった
戦前だけではなく、戦後も家族制度をそれなりに維持している家庭では多かれ少なかれある?
このドラマを見ると韓国は、堅実な家庭では、相当程度家族制度を維持している様に見える。
若者二人が帰った後の、祖父と父親が二人の人物評を話している場面が面白かった。
祖父は、明らかにセウォン贔屓だが、ヨジュンが酒も飲めないのに良く耐えた!と評価した。

もう一つの見所は、サンウンとヨジュンとの距離がますます縮まっていくところである。
1つは、祖父と飲んだ帰り、送ってきたサンウンとベンチに座ったまま、サンウンの手を握り
サンウンの肩に頭をもたせて眠り込んでしまう場面である。サンウンが、ヨジュンを嫌がらず
自分がしていた長い紺の毛編みの襟巻きを、優しくヨジュンに巻いてやるのである。
もう一つはサンウンと妹ヒョウン(カン・ビョル)、ヨジュン、チョルホ(ペク・ジョンミン)が
遊園地に行くシーン。高所恐怖症のサンウンに、見えなければ怖くなかろうと、ヨジュンが
自分の上着を二人の頭からかぶり、優しく額にキスする。こういう場面は何時見ても良いね。
今回のテーマは「ヘソン(ビョン・カミン)の改心」だが、若者に的を絞った。如何なものか
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恋人づくり・17回の見所 [物語]

初体験の韓流ドラマ「恋人づくり」・17回を見て、面白かった所を書き止めておきたい。
第17回の見所は、カン・ヘソン(ビョン・カミン)と父親との親子喧嘩である。
ヘソンの父(シム・ヤンホン)は、ソンヒョングループ財閥の会長。礼を重んじる韓国では、
親であるだけで大変な権威がある上に、ヘソンの父親は世間的にも絶大な権力がある。
そういう父親に対し、遂にヘソンは、自己の信念を通すために啖呵を切った! 
ヘソンの父「結婚するなら役に立つ女にしろ!あの女がお前に求めているのは金だ。だから子を
 産んだんだ。」 ヘソン「正直に答えてくれ。妊娠を知ってわざと結婚式に招待したのか?」
父「もう済んだ事だ。」 ヘソン「俺は知らなかった。妊娠を知っていたら結婚しなかった」
父「もう終りにしろ」 ヘソン「どうやって?・・・中略・・・
 やっと気づいたんだ。金で解決できない事が世の中にはずっと多い。・・中略・・会社を辞める。
 愛する者を守る事もできない金に未練は無い!」父「ヘソン!目を覚ませ!」

日本でも昔は世間の色んなシガラミから、義理と人情との板ばさみの様な話はあった。しかし、
このドラマは現代話である。財閥の御曹司ではなく、普通の金持の話でも韓国にヘソンの様な
純情な中年男がいるのだろうか? 俄かには信じられない。このドラマが日本への輸出向けで、
日本人の郷愁を誘う趣向でつくったと解釈すれば納得行く。ただ私は現代の日本にも韓国にも
ヘソンの様に生きる事ができれば!と、憧れる人々が沢山いることを期待したい。
いくら資本主義社会だからと言って、拝金主義者に成るばかりが能では無いだろう。

ヘソンの父親がキム・ユニ(キム・ジョンナン)の事を、金目的といったのは、邪推ではない。
‘ヨジュンやユニの母親であるクムジャ’の弟:パク・ボクマン(イ・ジョンフン)が言っていた。
「娘の親なら、大金持の息子との結婚を泣いて喜ぶ」と。
親族の結束が強い韓国や昔の日本では、頼りになる人間と“縁”を結びたいのは当然だから。
ヨジュンやユニの祖母:チョン・オンナン(パン・ヒョジョン)はじめ家族がヘソンを憎むのは
ユニを裏切ったからである。しかし、その裏切にはヘソンの父親の陰謀があった事が、
視聴者には今回、明らかになった。ユニの親族にはまだ知らされていないが。

もう一つ見逃し難かったのは、ヨジュン(キ・テヨン)とサンウン(ユジン)が散歩中に始めて
手を握る場面。並んで歩いている最中、手が触れ合い、互いに意識するが、なかなか手を握る所まで行かない。結局ヨジュンが、カフェに案内するために手を引っ張るという形で、はじめて
手を握った。サンウンのにんまりした顔が幸せそうだった。戦後の日本に勝気な娘が受ける傾向
があるが、現代の韓国でも、そういう娘が受けるのだろうか? 勝気な娘といえば、
サンウンの妹:ハン・ヒョウン(カン・ビョル)もその一人。血は争えないということか?


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縁作り [物語]

最近、韓流ドラマにはまっている。「恋人づくりSeeking Love」という題で、毎週
月~金の午後0時~1時、BS日テレで放送されている。初回は、既に2009-2010年に
放映されたらしい。今回放送分も11.18から開始され、3週間、16回分の放送終了。
私は、たまたま、第6回放送を目撃し、週一回の放送と勘違いして、第11回放送分を
録画して見てなかなか面白い!と感じ、初めて週5回の再放送である事を知った。

韓流ドラマは、冬ソナで大人気を博したが、当時、全く興味なく、今日に至っていた。
在日韓国人も沢山いるし、古来、韓国からの渡来人も多い。それだけに、直接関係ない
日本人には、余りに身近な存在であるが故の微妙な心理による無関心的態度がある?
そういう微妙な心理の襞(ひだ)に埋もれていた関心が、このドラマで呼び覚まされた?
サンウンは、留学先アメリカで出会った外国人との結婚を父ギョンテから猛反対される。
ヨジュンも仕事熱心すぎて、ゲイの噂が立つ。父親同士のギョンテとテクスは、それぞれの
娘、息子の問題を解決するために、サンウンとヨジュンを幼い頃からの許婚という事にして
早急に結婚させようと企んで、サンウンとヨジュンの交際が始まった。

このドラマの脚本・ヒョン・ゴウンは、ドラマの原作「縁作り」の著者でもあるそうな。
このドラマの制作は2009年で、携帯もあり、既に繁栄している現代の韓国という設定。
この物語を、即、現代の韓国にありそうな話と考えるのは、早計であるかもしれない。
原作「縁作り」という題名から、日本のドラマ市場を狙ったつくり話とも勘ぐれる。
それでも「縁作り」とは、また日本的枯淡の響きがある。私は、このドラマを見ていて、
戦前のドラマ、或は戦後でも、昭和30年代前半(三丁目の夕日)までの時代を思い出す。
日本の古きよき時代の香りがするのである。

ヒロインのハン・サンウン(ユジン)の祖父:ユン・ソクジュ(イム・ヒョンシク)と
相手役:キム・ヨジュン(キ・テヨン)の祖母:チョン・オンナン(パン・ヒョジョン)の
存在が実に大きい。サンウンと父:ハン・ギョンテ(カン・ナムギル)も、祖父:ソクジュ
には、絶対的に服従?ヨジュンと父:キム・テクス(チェ・サンフン)、母:パク・グムジャ
(ヤン・ヒギョン)も、祖母:オンナンには歯が立たない。年長者には、親族だけではなく
知人や敵対するような関係者であっても礼を尽くす様だ。韓国の年長者は、文化や習慣に
よって、権威を守られている? そういった秩序の中で、様々な行違いや意地悪や障害を
乗越え、最初は険悪な関係だったサンウンとヨジュンは、エニシ(縁)を感じ始めた。なぜか
サンウンは恋人も捨て、ヨジュンに引かれていく。これも古風な伝統の故か?如何なものか
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免疫力とマクロビオティック [健康]

最新刊・石原結實著「石原式 病気をよせつけない超・免疫力」(朝日新書)に書いてあった
“がん細胞は「血液浄化装置」”ということを、2011-12-03のブログ「歴史的転換点と健康」
に引用したら、CMTで【みなと】さんが、マクロビオティックとの関連性を指摘してくれた。
マクロビオティック (Macrobiotic) とは、第二世界大戦前後に食文化研究家の桜沢如一が考案した
食生活法・食事療法の一種で、名称は「長寿法」を意味するそうだ。(引用・ウィキペディア)

ウィキペディアによれば、
スティーブ・ジョブズは、早期治療を行えば完治可能なタイプの膵臓癌に罹ったが、
マクロバイオティックを用いて治そうとした結果、適切な治療を受けずに癌を放置し、
結果として命を落としたという。
2011.10.21付け「ジョブズは早期手術で命が助かったのに拒否した。なぜ?」
というネット記事を参照のこと。)
2011.10.21付けのジョブズの記事によれば、マクロバイオティック≒呪術 という見解?

東洋医学からの発想による血液の浄化で、人間の健康問題が全て解決するかどうか?
それは十分に考慮すべきだと思う。石原式の健康法は、飽くまで健康な人間や、
体質に合ったある種の人間に適用可能なのであって、全てに適用可能ではなかろう。
人間は、非常に精神的な生き物であり、自分の文化や習慣と切離して考えられない。
免疫力も、食習慣その他、様々な文化・習慣の異なる人種や地域では、血液の浄化や
老廃物を排泄する作用など、免疫力を支える要素の内容も異なるだろう。
日本人でも幼少時から昔の食習慣を維持した人間と、西洋的食習慣に馴染んだ人では
同一に論じて良いものかどうかはわからないだろう。皆、顔が違う様に、
万人に有効な健康法などないに違いない。それでも人体は、飽食時代よりも、
飢餓時代に適応すると考えた方が幸せな人々の方が、圧倒的に多いのではなかろうか?

長崎出身の石原氏の近著で注目を引いたのは、東日本大震災で問題の放射能対策である。
原爆体験者の追跡調査等で、原爆症に罹った人、罹らなかった人がいるという。それは、
体内の放射性物質を対外へ出す力(超・免疫力)の差だという。玄米、大豆発酵食品は
放射性物質を吸着し、体外へ排出する。そして放射性物質の排泄を助ける物質、すなわち
玄米の「フィチン酸」、大豆発酵食品の「ジピコリン酸」等に頼るだけでなく、自らの
新陳代謝を良くすることも大切という。最悪なのは、放射能過敏症のストレスであり、
放射性物質を体外へ排泄する作用が、さらにもっと悪化するらしい。いかがなものか
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弱者は何を語る? [物語]

最近、連続テレビ小説「カーネーション」も興味が薄れてきた。しかし今日の放送分は面白かった。
と言っても最後の方だけだったが。今朝は、たまたまBSを付けたら、「カーネーション」の後半、
安岡玉枝(濱田マリ)が、恐ろしい顔の幽霊の様に雨の中に突っ立っていた場面だった。
余りに衝撃的な顔つきで、度肝を抜かれ、ドラマに引き摺り込まれてしまった。 
(玉枝が来た事に気付き)出てきた糸子(尾野真千子)に、すごい剣幕でまくし立てる。

「世の中ちゅうのはな、皆があんたみたいに強いんちゃうんや。・・・・中略・・・・
 皆もっと弱いんや。・・・・中略・・・・うまい事いかんで悲しいて、惨めなんも分かってる。
 そやけど生きていかないかんさかい どないかこないかやってんねん!
 あんたにそんな気持ちわかるか?・・・・中略・・・・あんたはな、なーんもわかってへんわ!
 今の勘助にあんたの図太さは毒や。頼むさかい-もう、うちには来んといて!」

この玉枝の啖呵は、ブログ「2011-11-11カーネーション:糸子の啖呵」の啖呵と全く異質だ。
糸子の啖呵は、生きる世界は別でも図太く生きる人間同士の切磋琢磨のための啖呵であり
強者の啖呵である。それに対して、玉枝は、女の細腕で、二人の息子を苦労して育てたが
精神を病んで戦争から戻ってきた気弱な弱者・勘助(尾上寛之)を労わる優しい母親だ。
糸子から「へたれ、へたれ」と気安く言われても、ジッと耐える忍耐強い女性である。
その玉枝の堪忍袋の緒も切れたというものである。濱田マリの真迫の演技を絶賛したい。

私は「カーネーション」が、何故こんなに面白くないのか?最近、ズッと疑問に思っていた。
しかし、今日の玉枝の啖呵を聴いて、「なるほど!」と、合点がいったのである。
私の好む物語は、「弱者の物語」なのだという事を、改めて再認識した。
「カーネーション」も、最初、面白かったのは父・善作(小林薫)という強者に立向う弱者・糸子
の物語だったからである。しかし何時頃からか、強者の物語になってしまった。
様々な障害や、不幸な環境であっても、時代を先取りした強者の立身出世物語なのだ。

それは、「てっぱん」の初音(富司純子)、あかり(瀧本美織)と比較すれば明らかだ。
初音は、ある意味で人生の敗北者であり、あかりも、高校三年の時に自分が何者であるか?
見失ってしまう運命的な逆境を背負う弱者であった。初音もあかりも平凡な人生である。
しかし、初音とあかりが織り成す物語は、弱者が、自ら周りの人々を助け、助けられながら
平凡な人生の質的な転換、そして周囲の人々や自分たちの精神的成熟を物語るのだった。
そこには、「どないかこないかやっている人々」を勇気付ける何か?がある。如何なものか
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歴史的転換点と健康 [希望]

年も押し詰まり、ブログ(円(MADOKA)の集い日誌)を書き始めた年・2007の12.3のブログで
どんな事を書いたかを見てみた。それは「夕日物語アレコレ・終章」という題で、映画「Always 続・
三丁目の夕日」を見た感想をまとめたものだった。今、この映画を思い出させてくれた事に、
何か運命的なものを感じた。現代の日本人が、過去を振り返ったとき、昭和30年代前半は、
最も輝ける時期であり、時代の大きな転換点だった。映画「Always 三丁目の夕日」は、
そういった深い意味があるのではなかろうか?

最近私が勉強している免疫の基本を解説する本には、いろいろ思い当たる事が書いてある。
例えば、1960(昭和35)年までは、日本にダイエット本は一冊も存在しなかったという。
この頃から高度経済成長が始まり、交通機関の発達、マイカー、電化製品等で運動不足に。
そして高たんぱく、高脂肪の西洋食品志向になる。冷蔵庫の普及で、いつでも食べられる様に
条件付けられ、食いすぎになった。運動不足と食いすぎは、昔は怠け者のすることだった。

もう一つは、がん細胞に関する見解・治療に関する事である。昭和30年代の日本人医学者には
西洋医学と違う見解を持つ学者がいた。自然医学の世界的権威・森下敬一博士が昭和40年代
初めに「ガンは血液の浄化装置である」という理論を打立てたという。血液を浄化しない限り
手術や放射線、抗がん剤でガンを抹殺しても、また新しい血液浄化装置を作る。それがガンの
再発や転移という。ここ35年間で医師数は倍増以上、医学も長足の進歩を遂げ、ガン治療法も
格段に進歩したが、ガン患者数は約2.7倍に激増しているという。
西洋医学のガンに関する見解・治療は森下博士の理論以来40数年経過した今も変ることなく
ガンは日本人の死因の断トツ一位に居座っているそうな。

ガン医学に関して、その正否を云々できる資格はないが、様々な事を考え合わせると、
昭和30年前半という時代の転換点について、もう一度深く受止めるべきではないかと考える。
明治維新以来、西洋に追いつき追い越せは多くの間違いがあったとはいえ、無教養の後進国・
日本だったから致し方なかった。しかし現代は豊富な知識があり、日本人には森下博士の様な
独創的な人々も沢山いる。何時までも西洋を後追いせず、自らの力で進むべきではないか?
西洋人には、自分達を生み育てた社会の根本的過ちに気付く事は至難の業だろう。西洋社会
以外で先進国に一番乗りした日本が、その過ちに気付き、是正した社会を築かなければ、
誰が築けるというのか?時代や環境など、自分以外のものに責任をなすりつけるのではなく、
日本人一人一人が行いを改め、生き方を正して時代の流れを改めなければ誰が改めてくれる
というのか?目先の幸福に囚われ、惰性で時代に流されて良いのか?如何なものか
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初時雨散歩と時期遅れ藤袴 [和歌・俳句]

今週、曇天散歩が続いたが、時雨に会えず、やっと僅か数分だが、めぐり会えた。
◎ 初時雨 会えてうれしい 散歩かな  本日の自作

時雨は、実に変化に富む。変幻自在、千変万化である。この時雨を楽しまなければ損!
そんな気分でなければ、冬、戸外を楽しめないと思う。私の好きな芭蕉の句
◎ 旅人と 我が名呼ばれん 初時雨   貞享四年(1687)初冬 芭蕉44歳の作
 昔の旅は今と違い、わが身を自然に曝して歩く。心から初時雨を楽しむ気分だから
 寒さが募る初冬に旅に出られるのだ。昔の人が如何に時雨を友としていたかが伺える。
◎ 初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり   元禄二年(1689)初冬 芭蕉46歳の作
 この句も、旅の途上、時雨の風情を楽しみながら歩いている楽しげな芭蕉の雰囲気が
 まるで隣にいるように感じられる。落葉した枝にいる猿なのだろうか?
 旅慣れた芭蕉が、この時期の旅に、蓑や傘を忘れるはずはなかろう。芭蕉の蓑を
 猿が、欲しがっているように読み取れる。芭蕉は、チョッと得意げにさえ思える。

時雨に関して、新古今集でも、なかなか味わいのある和歌を見つけた。
◎ 晴れ曇り 時雨は定めなきものを ふりはてぬるは 我が身なりけり 動因法師
 意味:ほぼ文字通りであるが、「ふりはてる」を雨が降ると年をとるという意味にかけて
 時雨は、晴れたり曇ったり降ったりと千変万化だが、我が身は年取るばかりで情けない!
 という様な意味だろう。
動因法師は、藤原敦頼(あつより)という中流貴族で、没年寿永元年(1182)頃?
当時としては珍しく90歳を越える長寿だったというから、謙譲の美徳というところか。
それにしても時雨と我が身を引き比べるとは、なかなかのアイデアマンか。ともかく、
昔の人は、平安時代から江戸時代まで(いやつい最近まで)時雨を身近に感じていた。
DSC09095藤袴.JPG
写真は、先日の散歩中に撮った秋の七草・藤袴である。
◎ 秋風にほころびぬらし 藤袴 つづりさせてふキリギリス鳴く
 作・在原棟梁(むねやな)
 意味:藤袴の花の姿がほころびに見える所から、袴のほころびに
 かけて、キリギリスが“つづりさせ”(擬音)と鳴いている、即ち
 “縫い合わせよ”と鳴いているから、秋風で袴がほころびたのだろう、という。
これは古今集の誹諧歌(滑稽味のあるもの)に分類されている。どういう点が滑稽なのか?
わかり辛いが、西暦800年代後半の人たちと現代人は、滑稽感が異なる?如何なものか
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絶対幸福感覚はあるか? [閑話]

少し免疫の事を勉強して、免疫と幸福感とは、密接な関係がある事に気付いた。
当り前である。健康や貧富と幸福感に深い相関がある事は、以前から良く知られている。
それにも関わらず、免疫力に、幸福感に対するヒントを得ようと考えた動機は、
人間の生存に有害なものを排除する能力があるという点に着目したからである。
しかし、現状の免疫学は、その能力を解明する状況に至っていない?
何故なら免疫力と人間の精神の状態とが相互作用するからである。即ち人間の免疫系は
自己言及系であり、免疫力と精神状態(幸福感)とを分けて考えられないのである。

生体の中で免疫系は、唯一脳の支配を受けないシステムだとされていたが、最近では
脳-免疫系情報交換システムが明らかになったという。脳-免疫系情報交換システムは、
元々は、前向きの心の働きを活用するためのシステムだったと、私は考える。
心を活性化する事によって、免疫系を活性化して、様々な難局を乗越える為である。
昔なら後向きの人間や動物は生存できなかったから、免疫系も-面を考慮しなかった?
しかし現代は、膨大なエネルギーを人体や人間社会に注入する事によって、免疫系の
衰退を招いても生きていける仕掛けを、地球環境を破壊しながら作り出した。
従って+志向、-志向両方の心の働きと、免疫系とが相関する様になってしまった。
免疫系は、人間の心の状態で左右されるから、幸福感の絶対尺度たり得ない訳である。

幸福とは、音感における音程の様に何らかの方法で、絶対値で示し得るのか?否か?
私自身は、この問いに答える資格も、能力もない。そこで思い出した事がある。
 2009-08-11のブログ(下行のURL)で取上げた詩・「病者の祈り」である。
 http://thanks-moto39-inaka.blog.so-net.ne.jp/2009-08-11
 詩の全文を「続きを読む」に掲載しているので参考にして欲しい。
詩の作者は、偉大な業績、幸福、賞賛、享楽等の為に能力、健康、富、権力等を求めた。
求めたものは何一つ得られなかったが、私が望んだ最も重要な事を得た、という。そして
最後に、最高に幸福である(最も豊かに祝福された人々と共にある)と締め括っている。

この詩人は、能力、健康、富、権力等、何一つ無いのに、重要な事を体得したのだ。
詩人の“この感性”こそ、私の求める「絶対幸福感覚」なのである。この詩人は、キッと
苦難の道を経由して、能力、健康、富、権力等の有無に左右されない「絶対幸福感覚」に
到達したのだと思う。しかしそういう「絶対幸福感覚」が存在するのであれば、何らかの
学習方法によって、獲得可能なのではないか?方法や如何に? 如何なものか
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