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老後の健康 [大家族]

 今日は午前中曇り後雨。午後は雨の予報。10時以降、雨が降り出すとみて早めに外出。
雨中散歩も趣があるが、傘差しスロージョギング(SJ)は、気分が乗らないからである。
今回の雨は、高気圧が東に移動し、南から暖かい湿った空気が北の冷たい空気と出会って
降るという。SJ開始約30分経過後から、雨とも霧ともつかない細かな水滴が落ちてきた。

 この小雨は、まるで10m四方程度の雨の濃淡がある感じだ。これは地上近くの空気層で、
寒暖のムラがあるために雨ともつかない霧のような雨の濃淡が出来るのではなかろうか?
雨も細かく観察すると、本格的に降るまでに、何段階もの変化を経ていると感じる。

 さて、老後の健康の話に入ろう。今日の散歩途中で立話した年長のA氏曰く
「肩がこるので整形外科に行ったら軟骨が磨り減っているといわれた」、とのこと。
老化は筋肉の衰えと共にやってくるということのようだ。
 私も老化防止のために散歩やささやかな我流筋トレをしているが、何処まで通用するか?
遺伝子による予定説というのもあって、長寿家系の友人などは、盛んにこの予定説を強調。
「どんなに頑張っても人間の寿命等というのは、遺伝子に組み込まれていて決まっている」
と、のたまうのである。平均寿命以下であの世に行くのは、様々な要因があるだろうが、
悪性疾患か、急性疾患、事故・災害等。全てそれらは、遺伝子的、運命的なものだろう。
 だから、私が健康のために、散歩や我流筋トレ等をしているのは寿命延長の為ではない。
寿命のある間に、なるべく社会や周りの人々に迷惑をかけないためだ。

 先に話題にした年長のA氏は、性格は温厚、家族に優しく、地域との交流も盛んであり、
運動も、いろいろとやっておられる。私から見ても(或は御家族の見解も)平均寿命を越え
更なる長寿を全うされるという予想である。A氏と比較すると、私の健康度の評価は
肉体的な評価軸が主体で、対人的、社会的な側面に欠けている所が、難点である。
 しかし、ヒンドゥー教の四住期という考え方もある。古希を過ぎた人間ならば、
精神的・社会的な健康度の評価などという固苦しい考え方から自由であってよいのでは?
 私は今も、「家住期」的環境に身を置いているが、「林住期」的に、自然の中を散歩し、
或る時には「遁世期」的に一人旅も良いではないか?そして、日々の中で、「学生期」の
ごとく、勉強に明け暮れる時間を過ごすのもまた一興ではなかろうか?
 人的交流はボケ防止には大変有効らしいが、そういう機会が豊富な人ばかりではない。
私にとって「林住期」・「遁世期」を生きる「青春」の心、すなわち情熱、驚きや憧憬、
探究心、挑戦する心、喜び、敬愛、信念、自信等、を失わない事こそ大切。如何なものか
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