「おひさま」第21週 [物語]
この頃の散歩は、真夏の日差しの中にも秋風を感じる。
昨日なども、酒津貯水池の木陰で休むと、心地よい風が水面を渡って挨拶してくれる。
ひなたでも風のある事もあるが、建物や街路樹のひかげさえ、陰が風を起こすのだろうか?
ひなたに風がなくとも僅かな陰でさえ、陰の大きさに比例するように、風が起こる。
夏の散歩では、ひなたは暑くて嫌われものだが、ひかげは実にありがたいものである。
今週の「おひさま」のお題は「ひなたの夢」。人はひなたで夢をみて胸膨らませ
ひかげで夢破れて胸ふさぐ、という循環をしながら、年を経ていくのだろうか?
昭和25年(1950)、丸庵も本物のそばを出せるようになり、外で働いていた若夫婦の
和成(高良健吾)・陽子(井上真央)も、出稼ぎをやめて一緒に丸庵で働く様になった。
育子(満島ひかり)は、東京で街頭録音に度々登場して演説をぶっていた。愛する人・
秦野(中村竜)と結婚した真知子(マイコ)は結婚式も挙げず、会社を二人で起こす夢を
熱く語っていた。親友の二人は、あたらしい時代の波に乗っている?陽子は乗り遅れた?
そんな陽子が、丸庵一家で安曇野に出かけたときに、一家の人たちと夢を語り合った。
陽子の「戦争当時を思うと、一緒にいられるだけで幸せだと思うけれど、もうそこから
少し抜け出しても良いのではないか?」という語り出しから、それぞれの夢が話された。
そしてある日、近所のオバチャン達・宮沢節子(白川由美)・岩本保子(吉村実子)が
宝くじを買ってきた事で、丸庵の人々を含め、当ったらどうするかで盛り上がっていた。
その時に、客の一人がコップを床に叩きつけて怒鳴りだした。「ふざけるな貴様ら!
何が夢だ、何が幸せだ!最低だお前ら!どうなってんだこの国は?すっかりなかった事に
なっているのか戦争は!冗談じゃねえ、よくそんなにへらへら笑っていられるな!」
怒鳴り出した男は陽子の初恋の人・川原(金子ノブアキ)だった。
川原は、大志を抱いて渡った大陸で、希望を失くし、愛する妻を亡くして、失意の中で、
怒りと悲しみの感情をどうすることもできなかった。負の感情で陰気になった日陰の男。
怒り悲しみ等、後向きの感情は、潜在意識に消極的要素を増加させ、人間を消極的にする。
一方、夢や希望は積極的にみえるが、ひなたでは元気でも日陰では萎びてしまう様なもの
ではどうしようもない。和成は「夢のないつまらぬ男だが、強いて言えば幸せになりたい」
と言ったが、それはどういう意味だろうか?幸せとは現在ただいまの事ではないのか?
幸せを追いかけるのは、自分の影を追いかけるのと同じ事ではないか?ひなたも日影も、
夏も冬も、随所にそのよさを感じ取ることでしかないのではないか?如何なものか
昨日なども、酒津貯水池の木陰で休むと、心地よい風が水面を渡って挨拶してくれる。
ひなたでも風のある事もあるが、建物や街路樹のひかげさえ、陰が風を起こすのだろうか?
ひなたに風がなくとも僅かな陰でさえ、陰の大きさに比例するように、風が起こる。
夏の散歩では、ひなたは暑くて嫌われものだが、ひかげは実にありがたいものである。
今週の「おひさま」のお題は「ひなたの夢」。人はひなたで夢をみて胸膨らませ
ひかげで夢破れて胸ふさぐ、という循環をしながら、年を経ていくのだろうか?
昭和25年(1950)、丸庵も本物のそばを出せるようになり、外で働いていた若夫婦の
和成(高良健吾)・陽子(井上真央)も、出稼ぎをやめて一緒に丸庵で働く様になった。
育子(満島ひかり)は、東京で街頭録音に度々登場して演説をぶっていた。愛する人・
秦野(中村竜)と結婚した真知子(マイコ)は結婚式も挙げず、会社を二人で起こす夢を
熱く語っていた。親友の二人は、あたらしい時代の波に乗っている?陽子は乗り遅れた?
そんな陽子が、丸庵一家で安曇野に出かけたときに、一家の人たちと夢を語り合った。
陽子の「戦争当時を思うと、一緒にいられるだけで幸せだと思うけれど、もうそこから
少し抜け出しても良いのではないか?」という語り出しから、それぞれの夢が話された。
そしてある日、近所のオバチャン達・宮沢節子(白川由美)・岩本保子(吉村実子)が
宝くじを買ってきた事で、丸庵の人々を含め、当ったらどうするかで盛り上がっていた。
その時に、客の一人がコップを床に叩きつけて怒鳴りだした。「ふざけるな貴様ら!
何が夢だ、何が幸せだ!最低だお前ら!どうなってんだこの国は?すっかりなかった事に
なっているのか戦争は!冗談じゃねえ、よくそんなにへらへら笑っていられるな!」
怒鳴り出した男は陽子の初恋の人・川原(金子ノブアキ)だった。
川原は、大志を抱いて渡った大陸で、希望を失くし、愛する妻を亡くして、失意の中で、
怒りと悲しみの感情をどうすることもできなかった。負の感情で陰気になった日陰の男。
怒り悲しみ等、後向きの感情は、潜在意識に消極的要素を増加させ、人間を消極的にする。
一方、夢や希望は積極的にみえるが、ひなたでは元気でも日陰では萎びてしまう様なもの
ではどうしようもない。和成は「夢のないつまらぬ男だが、強いて言えば幸せになりたい」
と言ったが、それはどういう意味だろうか?幸せとは現在ただいまの事ではないのか?
幸せを追いかけるのは、自分の影を追いかけるのと同じ事ではないか?ひなたも日影も、
夏も冬も、随所にそのよさを感じ取ることでしかないのではないか?如何なものか