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「おひさま」第19週 [物語]

TV小説「おひさま」も19週を過ぎ、112回で全体の3/4を経過した事になる。
物語の中間点が、昭和20年(1945)終戦記念日だから、それから2年弱で1/4を費やした。
物語の最初の1/4時点は、昭和16年、陽子が国民学校に教師として赴任した話であった。
文章の“起承転結”でいうと、終戦から今週の話までが「転」。これからが「結」となる。

第112回の話は、白紙同盟三人(井上真央、満島ひかり、マイコ)が、村上堂に集合し、
それぞれの再出発の話をする。育子は、再び東京の出版社に就職。真知子は、結婚を前提の
交際。そして陽子は、教師から食品会社の経理に赤ちゃん同伴で就職。
他にも、かつての女学校時代の裁縫の望月先生(梅沢昌代)の退職と洋裁教室へ転進。
教え子だったケイコ(石橋杏奈)やハナ(土屋太鳳)が、陽子の「夜学教室」に通うのも
再出発のつもりなのだろう。茂樹(永山絢斗)も医者への転進を決意した。
従って、“起承転結”の「転」は、それぞれの再出発の過程を意味しているのだろう。
思い返せば、陽子は終戦直後、教師退職を考えた。陽子は戦前の教育に携わった者として
責任をとるべきだと思っていた?「転」期の1/4は、そういう転進の期間とも考えられる。

再出発以外の「転」について、第19週は何を語っているのだろうか?と考えてみた。
注目したいのが、8/9(110)、陽子が「過去のつらかった事を忘れて良いのか?記憶が
薄れていく自分が後ろめたい」と語っている部分である。もう一つ、おしめ洗濯の場面。
陽子が盥と洗濯板で洗濯したおしめを、満艦色に干した状況の中で、幸せを噛み締める。
干し物がよく乾く好天に感謝する気持を含め、労働の喜びが伝わってくる場面であった。
洗濯機は愚か乾燥機まで自動的に実施できる現代、この幸せ感を想像する事も出来ない?
洗濯板で洗濯するのは楽な仕事ではない。冬はヒビ・アカギレ等にもなる辛い仕事である。
便利になるから却って、労働の喜びも、自然への感謝の気持も、どんどん失われていく。
従って、もう一つの「転」は、「過去のつらかった事を忘れて良いのか?」という陽子の
問いかけに対する和成(高良健吾)の答「忘れずに、しあわせになりたい」生き方の選択。
その辺りに戦後復興のやり方を反省し、日本的良さを活かす道があるのではなかろうか?

私は2011-07-07のブログ「おひさま三人娘」で「おひさま」の魅力は「聖」でも「俗」でも
ない世界(社会)における生き様を描こうとしているのではないか?と、書いた。そして
陽子は「転」期で、右脳と左脳のバランスのとれた本当の生き方を選択したのではないか?
これからの「結」期の物語は、あまり起伏のない平凡な物語に終始するかもしれない。だが
聖・俗を超えで生きるという視点から観るとまた違う風景が見えるかも? 如何なものか
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