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「おひさま」第18週・1/3 [物語]

今日は土用の丑の日だが、「おひさま」は、昭和22年の第一四半期?長野は寒い?
今週の104回では、萩原校長(矢島健一)から陽子(井上真央)に退職勧告がなされた。
陽子はその帰路、日向子がお世話になっている「村上屋」に寄った時に真知子(マイコ)に
会う。陽子は直にも真知子に相談したかったが、心の整理がつかないで相談できなかった。
陽子は敗戦直後に、教師辞職を決意した後、夏子先生(伊藤歩)に説得されて思い止まった
事がある。ネット上の「おひさま・あらすじ」を参照すると、今回は本当に辞職するらしい。

昭和22年当時は、今では考えられないくらい旧弊な考え方だったから、産休等というものも
明確に制度化されていなかったろうし、乳飲み子を抱えた女性の勤めは難しかった?
私の昭和29年春・小学校卒業時の担任の小母さん先生は、子持ちの共働きだった。勿論
当時、既に子どもさん達は大きかった(私より年上)?だから、優秀な先生は生き残れた?
今回の辞職については、経緯等これから語られるから、社会通念や周囲の人々の考え方から
の考察は置いといて、陽子の「社会的現実と個人的現実の相克」という観点から検討した。

昨日のブログで書いた「社会的現実と個人的現実の相克」とは、「社会的本音or建前と
個人的本音との相克」でもある。個人的建前・意識では折り合っても、本音or無意識では
なかなか折り合いが付かない。その折り合いをどう付けるかが、生き方のキーになる。
折り合い選択方向が負け犬方向でも、犯罪者方向でも問題だろう。折り合い選択方向が、
個人、或いは社会の成長する方向、即ち勝者の選択方向に折り合いを付けるべきだろう。
個人や社会が成長する「勝者の選択方向」は決して単一ではない。選択修正も勿論可能。

前回の教師辞職騒動では、ブログ「2011-07-03「おひさま」第13週」で、陽子の生き方を、
兄達と対比し、「陽子は本音とも建前とも区別できない心境で生きていく」と、私は書いた。
陽子は、本音とも建前とも区別のつかない心境で生きるところに大きな特徴があると思う。
これは言い換えると、意識と無意識の絶妙なバランスで生きているとも言える。

今週これからの2/3の放送で、陽子が教師辞職という課題を日常性の中で、どの様に整理し
克服していくのか?和成(高良健吾)、徳子(樋口可南子)&道夫(串田和美)等の意見、
日向子の事。様々な事情もある。結論は見えているが、それを決断する陽子の心境が、
個人や周りの人々の成長、幸・不幸、そして学校を含む社会の成長に重大な影響を及ぼす。
そこで今週残り2/3の放送を、陽子決断の背景となる心境に注目したい!如何なものか
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