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「おひさま」第2週 [物語]

今週は、陽子の次兄・須藤茂樹(永山絢斗)が何かと話題に上った。予科練を密かに目指して
いる話が主軸だが、長兄・春樹(田中圭)が親友・川原功一(金子ノブアキ)と一緒に帰宅した
夕食の膳での珍騒動にも絡んでくる。茂樹は前から竹ひご細工の紙飛行機を作っていたが、
飛行機の胴体部が立体的になり、複雑度が向上してきている。相当、腕を上げてきている?
私も小学生時代?夢中になって作ったものである。ロウソクの火で竹ひごを曲げて主翼や尾翼の
先端部分の曲線を設計図通りに出すところに技術が必要で、神経を集中しなければならない。
折りしも茂樹がその難しい部分の製作中に、良一の怒声や、呵呵大笑に邪魔されて作業は中断。
映画から帰ってきた陽子(井上真央)は父の良一(寺脇康文)に映画館での一部始終を話して
父と娘の絆は強化されたが、茂樹の神聖な作業は妨害されたというわけである。

珍騒動は屁の妙なる「音色」から始まる。屁の音色では「ゲゲゲ」の茂の話が思い出される。
「音色」の後、茂樹が陽子に疑惑の発言。それで慌てた陽子が必死に否定した。これが逆効果!
陽子の様子に陽子かも知れないと、春樹のみならず川原迄が、犯人を名乗り出たから堪らない。
茂樹を呪い殺すつもりで、寝ている部屋に忍び入り、予科練募集の資料を見つけてしまった。
翌朝、茂樹は陽子に真犯人を告白して謝るが、弁当の焼鮭を没収される。後でそっと戻したが。
予科練募集の件は、陽子の脳裏から離れず、親友の育子(満島ひかり)や真知子(マイコ)に
予科練入試の難易度を確認し、超難関と知って、安堵するところで今週は終わったが。果して
予想通りに茂樹は落第するだろうか?私は、どうも受験に成功して戦死するような気がする?

今週のもう1つの話題は、陽子の二人の男関係、一人はレモン飴の様な淡い初恋の人?
陽子は、玄関先に現れた春樹の親友・川原功一に一目ぼれ?更に陽子の心を深く捉えたのは、
夜中に功一がハーモニカで奏でる憂愁の「月の沙漠」のメロディ。春樹が功一によく演奏を依頼
していたらしいが亡母とのつながりは明かさなかった。この辺に、何やら春樹の複雑な事情が
ありそうな雰囲気がする。「月の沙漠」は大正12年(1923)に生れた曲だが、昭和2年(1927)
にラジオ放送されて評判となり、昭和7年(1932)にレコード化されて、一般に、より知られる
ようになったというから、昭和8年に逝った母・紘子(原田知世)の愛唱歌だったのか?
若干、疑問に感じる。因みに陽子の一回り上の、私の母(戌年)の愛唱歌でもあった。

もう一人の男関係は、映画館の隣席で陽子の手を握った“玉ねぎ男”(千原せいじ)?
今週の最終、出征兵士として路上で陽子と目が合った“玉ねぎ男”は、目を伏せてしまう。
陽子は、そのしょぼくれた後姿に、「武運長久をお祈りいたします」と大声で呼びかけた。
彼は振り返り感謝して笑顔に戻って行進した。痴漢というには余りに牧歌的な光景だった。
今週の「乙女の祈り」の具体的対象は、茂樹の落第と、玉ねぎ男の「武運長久」?如何なものか
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「おひさま」第2週・前半 [物語]

今週の御題は「乙女の祈り」。今日までのところ私には意味不明である。時は昭和13年(1938)
陽子(井上真央)は16歳。次兄・茂樹(永山絢斗)を、蹴飛ばして起す花も恥らう乙女?第7回は
真央時代になり、生涯の大切な人間関係の紹介?先ず日傘のおばさん(樋口可南子)は松本の
蕎麦屋?陽子の蕎麦の先生になるのか?今だ謎の存在だ。次が生涯の親友(白紙同盟)を
誓うお嬢様・相馬真知子(マイコ)と本屋の娘・筒井育子(満島ひかり)の紹介。
「女の癖に」が口癖の英語教師オクトパス・飯田小太郎(近藤芳正)に義憤を感じた真知子が
試験のボイコットを提案し、クラス全員で白紙提出を言い合わせるも結局、白紙提出したのは
真知子、育子、陽子の三人だけ。罰の便所掃除で互いを裏切らない永遠の友情を誓い合った。

第8回から昭和14年(1939)秋。学校帰り白紙同盟三人が飴屋に立寄り、雑誌「スタイル」の
「舞踏会の手帖」という映画の広告を見ながら松本に映画に行く計画を立て、決行するのだが
散々な結果に終わってしまう。

今週前半で興味ある時代考証的事柄は、修身の先生が示した「温良貞淑 良妻賢母」という
「女性の理想像」の受け止め方である。大正モダンの流れの中にいた白紙同盟の一人・育子は
自由・活発な女性像を追っていた。陽子もそれに近い?真知子は二人と異なる?地域きっての
資産家の娘。学校卒業後は顔も知らない許婚と結婚する運命。時代遅れに思える真知子だが、
答案白紙提出の様に自分で出来る範囲と、その限界を見極める冷静な考えを持っている?
1939年9月に日本の同盟国ドイツが既に第二次世界大戦を起こしていた。
「温良貞淑 良妻賢母」は基本として大切な素養だと思う。しかし間違った事には
敢然と立向う心構えも必要である。「温良貞淑 良妻賢母」を否定した自由で活発な女性像は
単なる我儘になってしまう?現代の理想像は、その様な我儘な理想像になっていないか?

我母は陽子より12,3歳年長。「温良貞淑 良妻賢母」を地でいく様な人だった。大正モダンを
肌で感じて育った人だったから、民主主義、自由主義を是としながらも、昭和30年代以降の
日本の素晴らしい伝統が失われていくのが忍びなかった?だから早死したのでは?と考えた。
陽子の母・紘子(原田知世)が戦争の始まる前に亡くなった様に。
我母の生き方、考え方に誇りを持っているが、惜しむらくは自らの生きる力の継続性である。
人は誰でも心を意の儘に出来ないが、生きる力は心のあり方によると中村天風はいっている。
社会や環境に関心を持ち、広い視野と深い思索で現実から様々な発見をする事よって、自らの
心を浄化し、さらに素晴らしい感受性を高めることで生きる力の継続ができると私は考える。
自分の外に向かった関心は、自分自身への関心でもある。関心は愛の別称。如何なものか




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菅の悪い「大震災対応」 [社会]

民主党政権の無能ぶりについては再三再四書いてきたが、今回の「東日本大震災」の対応で
露呈した菅内閣の無能ぶりによって、私の書いた事が裏書された。裏書とは何を意味するか?
その事を整理して述べるために、まずは月刊「文芸春秋」5月特別号の、石原慎太郎の書いた
「試練に耐えて、われなお力あり」に書かれている菅政権批判部分を以下に整理した。

1.事務次官会議を開かない。次官会議廃止を宣言した民主党は開けない?
  次官会議を廃止した前提には、今回の大震災のような災害は想定されていなかった。
  民主党という政党は小さいコミュニティ・市民団体向きで、国を扱えるレベルではない。
2.従って各省庁間の調整が取れず、官邸一人慌てふためいて危機管理能力欠如を曝け出した。
  蓮舫、海江田、細野など一本釣で、担当相をつくるも機能せず。
  石原氏は、大勢のテレビクルーを引き連れて節電依頼に来た蓮舫に、オイルショック時の
  事例を引用して政府主導で節電の政令を作る様に言ったが、子どもの使い並みとか。
  亀井・国民新党代表も、「バカバカバカの三人が増えるだけ」と菅政権を見捨てている?
  民主党は欲の皮の厚い国民を騙すスタンドプレーの能しかない?国を扱える実力ではない?
3.「東日本大震災」の様な災害の際は、緊急の安全保障会議を開く事になっている。
  指揮系統の一本化を図ることが非常時にもっとも大切だ。そういう大局観が民主党にない!
  市民運動上がりや、何でも政府に反対すれば良いという輩の集団で、「東日本大震災」は
  想定外。民主党にとっては、コップの中の嵐として、政権交代を叫んでいたに過ぎない。
4.石原都知事の記事によると、東京都の消防隊の援助活動は酷い扱いを受けた。
  その理由は、現地本部が、ほとんど実働しておらず、お偉い方々は安全な場所(東京)に
  いて、遠隔で偉そうに命令しているためである。私も再三、現場無視を問題にした。
  指揮系統を統一し、官僚を有効に活用する術も知らず、しかも、現場はスタンドプレーの
  場でしかないという、全く、箸にも棒にもかからない民主党の体たらくである。

こうやって整理してみると、私が民主党を批判してきた最大の問題点が浮き彫りになる。
今、「東日本大震災」を目の前にして、石原氏は老骨に鞭打って、“今こそ総理は国民に
「我慢」を呼びかけるべきだ”といい、この難局に当ろうとしている。数年前TVで環境問題に
関する街頭インタビュで、30台前後からアラフォーを含む人々の多くが一様に“我慢はしたく
ないから”、“辛抱は悪だから”、といった前置き(言い訳?)をして対応策を答えていた。
そういう「東日本大震災」など想定外の能天気な人々が無責任な風評に乗って、国レベルの
大きな問題など想定外の無責任な民主党に、無責任に投票をして出来たのが民主党政権では?
「我慢」を嫌がる国民に立向える政府でなければ国は持たないと思うが、如何なものか
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統一地方選_2011 [社会]

前置を1つ。メジャー第1戦 75周年「マスターズ」は、今年も数々のドラマを生んだ。
首位に4打差からスタートしたチャール・シュワルツェルが、メジャー初優勝を飾った。
一時はトップに5人が並ぶ大混戦だったが、上がり4ホールを怒涛のバーディラッシュで
この日、ベストスコア「66」をマークして、通算14アンダーの見事な逆転優勝を飾った。
優勝者の母国・南アフリカの英雄ゲーリー・プレーヤーが1961年にアメリカ人以外の選手と
して初めてマスターズで優勝してからちょうど50年という節目の年で、優勝に花を添えた。
プレーヤーは試合直後、「ものすごく喜んでいる。おめでとう。彼や彼の家族、そして彼を
支えるチームは本当によくやった」とメッセージ。圧巻の4連続バーディによる上がりを
「これが王者のフィニッシュだ!」と讃えていた、という。
南アフリカの優勝者は、これで3人目という。 “事実は、小説よりも奇なり”。
4日間のスコアと順位などは、石川遼:71-71-73-70(285:-3) 20位タイ
松山英樹:72-73-68-74(287:-1) 27位タイ ベストアマで日本人初の表彰台に立った。
石川遼や松山英樹が、日本のゲーリー・プレーヤーになる日はいつの日か?

前置きはそれ位にして、統一地方選の話に移りたい。最初に取上げたい話題は、
「地域政党(首長新党)が躍進し、地方議会で民主、自民など既成政党を脅かす存在になった」
というが、本当にそうだろうか? マスコミの風評被害はこうしてもたらされる?
現時点で言える私の疑う理由は、 1.橋下知事の敗北宣言。2.「維新」当選者の顔ぶれ。
先ず、橋下知事は「大阪都構想は支持されなかった。構想はぼくの考えた通りにならない」と
大阪都構想を白紙化する方針を提示し、低姿勢で臨む構えをみせたことがある。
もう1つは、「維新」当選者の顔ぶれ。「大阪都構想」の推進でも荷が重い?
「大阪都構想」は橋下ブレーンでやるとしても、国政を脅かすような人材とも思えない。
橋下知事を過大評価しすぎではないか? リアリティを無くすと風評被害となる。
民主党同様、地域政党が風評被害で、続伸することを阻止する必要があるのではないか?

もう1つは、相変わらず民主党のリアリティの無さ。岡田幹事長は「大震災の影響で新人には
不利な選挙だった」というが、地域政党(首長新党)は新人(陣笠?)で躍進したのでは?
兎も角、民主党にはスタンドプレーの旨い人材は多いが、立派な政治家としての人材がいない。
そもそも中味のない民主党政権が誕生した背景には、マスコミ系の風評による被害があった。
最近のマスコミは見識がない。見たままを書くのが「リアリティ」だと勘違いしている?
社会現象を、一般人同様の見たままで伝えたのでは、風評被害を伝播してしまうのである。
一般庶民も早く風評被害から目を覚まし、民主党を引き降ろす必要がある?如何なものか
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「おひさま」第1週 [物語]

昨日は久しぶりの雨。傘を差さずとも濡れない?程度だったが、やはり傘差散歩となった。
今朝は早く目が覚めたので、マスターズの中継放送を見た。眠い!日本人二人が予選通過。

今日で「おひさま」も1週目を終えた。母の葬式を終えて、残された父子4人が桜の下で
大笑いするシーンは、今までの湿っぽいシーンからは、少し不釣合いな感じがした。しかし
考えてみると、母・紘子(原田知世)が病弱で、10歳の陽子(八木優希)が、父や兄の弁当を
作っていたというのだから、手の掛かる病人がいなくなってホッとしたという面もあったろう。
更に私は、この出来事から、須藤夫婦の性格を勝手に想像してみた。父・良一(寺脇康文)は
強く明るく親切だが、大雑把な人、紘子は、優しく、きめ細かだが、我儘な人という風に。
良一の性格が、母を亡くした子ども達の悲しみを救ったのだと思う。

今日気にかかったのは、老後の陽子(若尾文子)が、自分史を語る途中の休憩時間で訪問客
(斉藤由貴)に語った話である。客の「昭和7年がどんな時代だったのだろう?」の言葉に
老後の陽子は、「私はね、そう悪くない時代だったんじゃないかな?と思っている。」と語り
だすのである。「特に女性にとってはね。まあでもね、女性の立場は弱かったし、大変だった
と思う。ユキちゃん(荒川ちか)のような子もたくさんいた。でもね、母が言ったように
これから女性も、何でも出来る時代がくるんだ。地球にとって月の様な存在だった女性が
太陽の様に輝く時代が来るんだって、そういう空気がね、有ったと思う。」と、続けた。
そして戦争が、その流れを止めてしまったのかも知れない。母は良い時代に亡くなった、と
締め括った。昭和7年(1932)は、上海事変勃発、満州国建国、515事件のあった年である。
今日の放送分で一気に5年経過、昭和13(1938)年となり陽子(井上真央)は16歳になった。

父性・母性、太陽・月という様なジェンダ関連話題は、現代では微妙。それはそれとして
老後の陽子が言いたい事は「日本人自ら日本人女性のために、日本人女性解放できる空気が
あった。」という事ではないだろうか?
しかし私の見方は違う。「空気を読みすぎると“皆で渡れば怖くない”式の独善に陥る」
結局「空気は戦争を止められなかった。」。所詮「空気は空気」、「KY」を恐れ、調子を
合わせていると、どこに行くかわからない。現代の日本にも同じ事が言える様に思う。
今回のドラマも、人間関係や「こころ」の問題を扱うのだろうが、中途半端な取組みでは
視聴者は満足しないのでは?女性史観も相当にいい加減?
がんばれ!「おひさま」 如何なものか
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「おひさま」第5回 [思い出]

民放TVは、日がな1日、ACのご親切なフレーズが垂れ流される。NHKも「東日本大震災」の
影響か、肝心な情報は余り流されない。随所に、素晴らしく深い慈善心を持った芸能人などの
お見舞いのお言葉などが挟まれているために、そんな場面に思いもかけずたびたび遭遇する。
従って私などが、拝聴するのも恐れ多く、どうも最近は、TV拝聴恐怖症になった。
「おひさま」は、ACフレーズもお見舞いのお言葉も出てこない数少ない番組であるために
継続して見る事に決めた。私の父母が生きた戦前の時代を感じる事が、当面の目的である。

既に昭和8年(1923)の春を過ぎ、陽子(八木優希)は小学校5年生になった。
昭和8年(1923)といえば、日本が、国際連盟を離脱した年である。 さて物語の陽子だが
母の様態が悪く、学校行事の常念岳登山をためらうが、母に勧められて予定通り参加した。
今日は、陽子が常念岳の頂上を極めたころに、母・紘子(原田知世)が亡くなった。
地平線から立ち昇る旭日は、母が天上の人になることを暗示している。日の出を眺めながら
陽子は、母親が、地上の命の灯火から、天上の光へと切替ったのを直感した。そして
雄々しく輝く旭日にならって、自らの力で輝き、世界を明るくすることを誓ったのだ。

さて今日の画面で気になったのが、常念岳登山の子ども達の装備だ。肩から背中にかけて
肩幅よりも少し大きめ、丈は腰の下までのハーフコート並みの「縁取りした茣蓙(ござ)」。
胴に巻いた荷物(弁当や水筒?)も、覆える様になっている。首の所は襟ぐりがあり、襟の
紐を体の前に下ろし、腰の部分で茣蓙に通して、最後は腰に巻きつけて固定する様だ。
どうみても、雨具?防寒具?どうもコート風「縁取り茣蓙」は「みの」の変形版のようだ。
「みの」は一般に藁(わら)で作られるが、コート風「縁取り茣蓙」はイグサで作られる。
「みの」は、羽織のご先祖のようだ。昭和10年代まで生き残っていたらしい。(島根の民具)

寺田寅彦(1878年(明治11年)- 1935年(昭和10年))の随筆「日本の自然観」で、
「みの」が「バーバリーコート」よりも優れているという話を紹介したことがある。
(ブログ「2009-03-11自然観」)。昭和10年は、随筆「日本の自然観」を発行し、大晦日に
寺田寅彦が亡くなった年だが、翌年は、226事件、日独伊防共協定成立とつながる。

もう1つ、陽子の母・紘子の年齢であるが、当時、30代後半のアラフォーではなかったか?
髪形が大正ロマン風?私の母は陽子より12歳くらい年長だと思われるが、私の記憶に残る
母の髪形は、ほとんど紘子と同じ。56歳で亡くなったが、終生、同じ髪形だったように思う。
母も大正ロマン風の髪形がよく似合う美人だった。あまりに早すぎる別れ?如何なものか
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「おひさま」第4回 [閑話]

まるで少女漫画の様な、甘ったるくて、陳腐な内容にうんざりしながら惰性で見ている。今日は
奉公に出される友人・ユキ(荒川ちか)が、見送りに来た陽子(八木優希)に「勉強できる事に
感謝する心を忘れないで!」と言った言葉が、印象に残った。昭和7年(1932)には
小学校も卒業できない子どもがいたのである。しかし、ナレータ(若尾文子)の説明では、
ユキは苦学して後年、成功し、困っていた陽子を助けたという。

だとすれば、ユキの方が、結局、小学校時代と一緒で陽子よりも、勉強ができたのでは?
そこで私は、「勉強」とか「学問」という意味が、当時と現代とでは大きく違ってきていると
気付いたのである。昔の「勉強or学問」というのは、‘「実学」=実際の社会に役立つこと’
であった。それが、何時の間にか、学習塾だ、ナンダ、カンダの「受験テクニック」へと
変貌してしまったのである。だから今の子らに学ぶ事への感謝の念がないことを責めても
仕方ない。「受験テクニック」学習に感謝しろ!というのは、どだい無理筋である。

現代は、金がなければ子どもは育てられないと、「子ども手当」を税金から払う世の中だ。
私の考えでは民主党は、受験産業の回し者?莫大な政治献金を受けている?としか思えない。
現代の歪は拡大するばかりである。石原都知事が、「東日本大震災」を「天罰」と言って
平謝りに謝ったが、これに類する発言は、著名人の中でも随分と多い。但しそれらの人には
「民主党、及び菅首相の失政に対する」という但書があった。阪神・淡路大震災の時には
村山首相だったという、ご丁寧な注釈まで有った。

金融危機の後は、政権交代でバカな政治が始まり、追い討ちをかけて「東日本大震災」、
そして、ヤケッパチで減税党が大躍進するのか?社会の歯車が狂いだすと止められない?
自民党も?だが、民主党よりはマシだった?減税党は民主党よりお粗末?の可能性は十分。
何故なら「受験テクニック」と「実学」を使い分けて、世に出た人間(政治家など)には
もう一段、深い「真」を極めねばならない。「実学」と「真」を混同している人間には
政治家として世の中に出ても役立つ人間になれない?
今の政権党の様に、幾ら社会的地位を得てもミスマッチではいけない?
天罰が下り、何の罪もない庶民を不幸にしてしまう?
これ以上の混迷が発生すると、またまた、これ以上の天罰が下る心配がある。
お手並み拝見。 如何なものか
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多様な花見? [閑話]

一昨日に続けて、今日も酒津に花見に行ってきた。最初の二枚の写真が、一昨日撮影。
201104041142柳001.jpg201104041145桜.jpg






以下の8枚が今日の撮影。花見客が賑わう。桜以外に、雪柳、タンポポ、菜の花も見物。
他にも多様な花を見かけたが、名前の分らないものや時期遅れもあり、取り下げた。
DSC20110404桜.JPGDSC08735桜.JPGDSC08737桜.JPG

DSC08738小手毬.JPGDSC08739タンポポ.JPGDSC08744菜の花.JPG










最後の二枚、柳越しにみる酒津池の桜(まだ6分咲きか?)と、満開の木の花。
DSC08741柳と桜.JPGDSC08742桜.JPG











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花見宴会自粛の是非? [閑話]

私は、昨日酒津公園に花見に行ってきた時点では、花見宴会自粛を詳しくは知らなかった。
そんな中、岩手県の日本酒 南部美人の蔵元2代目が東北の酒や名産を花見宴会で消費して、
応援してほしい!とyoutube動画で呼びかけたことを、昨夜のニュースで知った。
また、花見宴会自粛が、都知事選の争点になるような勢いで取上げられていた。

花見宴会自粛は、石原都知事が言い出したことらしい。その理由を整理すると
1.東京都の上野公園や井の頭公園は、夜桜のための照明などの電力消費が馬鹿にならない?
2.また、仮設トイレは被災地に運んだため、確保が難しい状況にある?という。
まあ、東京は人口密集度が半端ではないから、電力消費や仮設トイレも桁外れなのかも?
その代わり、宴会中止による外食産業や、観光産業への影響も半端ではないだろう。

花見宴会自粛というような問題は、都知事選の争点になるようなことではなかろう。
政府にリーダシップがないから、元々主体性のないマスコミも、ネジが狂っているのでは?
私は、石原都知事の先見の明を評価する。都は、計画停電が始まった14日以降に自粛要請を
始めたという。打つ手が早いのである。民主党政権のお座成り災害対応とは次元が違う。
しかも、都知事選の真っ最中の3/29に、自ら記者会見で、「桜が咲いたからって一杯飲んで
歓談するような状況じゃないと思いますよ。少なくとも夜間、明かりをつけての花見なんて
自粛すべきだと思っております」と憎まれ口?憎まれっ子を引き受けるのもリーダの役割!

政治とは、何を優先し、何を犠牲にするか?の決断である。そういう大きな方針をキッチリ
打ち出した上で、リーダ自らが責任を引き受ける。そして様々な紆余曲折があって、適当な
落しどころに落しこんでいくのが政治である。政治は方針のない意見の寄せ集めではない。
国民皆を喜ばせる事など出来ないし、最少不幸社会など「絵に描いた餅」でしかない事は
今回の大震災が証明している。人災や自然災害によって、大きな不幸が発生するのである。
統計などをいじくっていて、立派な政治など、できはしないのだ。

より大切な方向を普通の人にはできない早さで選択できなければ、高位の政治リーダとして
一文の値打ちもないのだ。高位の政治リーダは、自己の人生経験で培った心、胆力、謙虚さ
をフル活用して、犠牲にするものを選択することが、最も大切な仕事なのだ。
政治家に社会を最適化など出来ない。その時々に、進路を決めることしか出来ないのである。
石原都知事の決断は間違っていないと思う。悪影響のある人々には、また手を打てば良いし、
酒を消費するなら、花見でなくとも良いのでは? 如何なものか
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「てっぱん」から「おひさま」 [物語]

pic03_11.jpg今週から、NHKTV小説も「てっぱん」から
「おひさま」へと替わった。半年前のブログ
“2010-09-29「ゲゲゲ」から「てっぱん」”では、
意表をつく展開に何となく期待した。その期待は
あまり裏切られず、しり上がりに盛り上がった。
今日、「おひさま」を見た感想は、正直言って、
まったく期待できそうもない?
(写真は、てっぱん最終回、鼓岩で初音がラッパを捨てる真似するところ)

「おひさま」のヒロイン・陽子が、いきなりおばあさん(若尾文子)で、出てきた。
陽子は昭和7年(1932)で10歳・大正11年(1922)生れ、今年卆寿。我が妻の母親の世代。
これからの半年で、70~80年の女の一生を物語ろうというのである。時間が足りない?
我々より上の、戦前の記憶のある世代(昭和シングル)は、自らの一生を重ねて、自分史を
整理するいい機会になるかも知れないが、我々世代にどの程度参考になるか疑問である。

「ゲゲゲの女房」が、或る意味で、女の一生物語で有るにも拘らず、興味を持ったのは
妖怪という見えない世界を信じる茂を支える女房だったからだ。言い換えれば、
私の興味の対象は、見えない世界=科学の及ばない世界、を信じる人種の生き方なのである。
「だんだん」や「てっぱん」も、科学で割り切れない事に、真っ向から立向う人々だった。
「おひさま」が、そういう真っ向勝負の人かどうか?少し、確認するかもしれない。ただ、
太陽の陽子、自ら輝く人間、等という安直な言葉の羅列からは、多くを期待できない?

そして一言、蛇足を加えると、「東日本大震災」後の政府やマスコミは「東日本大震災」の
本質を何もわからないで、如何にも仕事をしている振りをしているだけだということである。
科学で割り切れない事に、真っ向から立向うには、その本質を弁えていなければならない。
「東日本大震災」後の政府やマスコミの対応がお粗末なのは、本質を弁える心、胆力、謙虚さ
が、欠如しているためであると考えるが、如何なものか
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