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家族崩壊を考える② [大家族]

今日は、月刊雑誌「世界」2月号の“児童虐待”に関する津崎哲郎氏の記事を参考にして
既に崩壊しかかっている?家族について、考えてゆきたい。
“児童虐待”は、人口の減少、少子化に反比例して増加していると言う。その要因は、
1) 個々の家庭における子育て機能の衰退(例えば、親の精神的・人格的未熟性、夫婦不和、
一人親など)
2)家族を取巻く親族や地域による家庭をサポートする機能の弱体化
3)生活の経済的困窮。 その対応策として、家族への社会的介入を法制化したという。
戦後日本は戦前の治安維持法等、家庭や個人への露骨な介入への反省に立ち、民事不介入の
原則を守ってきたが、家族への社会的介入は、新しい時代の流れに沿って生じてきたそうな。

民事不介入の原則については諸説あるようで雑誌記事の説明のみではなさそうだ。
戦後日本の警察が、少数精鋭で良く治安維持できたのは、家族や地域の治安維持、管理・監督
が立派だったという事?此処までまとめると、“児童虐待”は、家族や地域の治安維持、管理・
監督の衰退、(大家族の解体)が、大きな原因ということになる。

今後の“児童虐待”の改善策として、1)家庭養育機能のサポート施策整備、2)多問題に
切り込む援助枠組み、を提言している。多問題とは、アルコール依存やギャンブル依存など
生活の負の連鎖問題である。雑誌には、2)の提言に関して具体的に述べている。例えば、
裁判所の積極的役割、親と行政が対立した場合の第三者の調整機能などである。
NPO組織等で、“児童虐待”に関するノウハウの蓄積、人材育成もされてきているらしい。
a)児童相談所に代る新たな民間活用、b)省庁を超えた幅広い機関が役割分担など、
公民を越えた社会全体の取組み!という対策提案で結んでいる。
“児童虐待”の問題と対策からも、「子ども手当」が如何に方向音痴政策であるか!明白だ。

雑誌に書かれている“児童虐待”の改善策は、予防対策や、いざという保険等のレベルの対策
ではなく、完全な後追い対策である。事後対策とは別に、政治が考えなければならないのは
“児童虐待”などの負のサイクルにはまり込まない「強く、逞しく、そして思いやりもある
優しい立派な市民、国民を育てる施策ではなかろうか?「思い遣りも自己中心、自己中心で
人の顔色ばかり伺う様な人間、金儲けしか考えない人間」を育てる教育をしていないか?
政治家自体が、選挙民の顔色ばかり伺って政治を行っている。時代遅れの「お客様は神様」的
マーケティング手法から脱していない。政治家がそう言う状態だから、学校の教師もモンスター
ペアレントにヘコヘコしてしまう。今、橋下知事や河村市長が支持されているのは、そういう
政治に飽き足りない民衆の声なき声である。哲学のある民衆教育・民衆学習こそ大切である。



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家族崩壊を考える [希望]

私は、「2010-11-20「てっぱん」8週・絆の再構築」、「2010-12-04「てっぱん」10週・絆の
解体と再構築」などのブログで度々、「家族の絆」、「人間の絆」について論じてきた。
昨日たまたま、月刊雑誌「世界」2月号、「家族の崩壊」に関する記事を読み出した。
最初の二神能基×雨宮処凛の対談記事に関し何か違和感を覚えた。記事の内容を追いながら、
その原因などを考察してみたいと思う。

「経済戦士を育てる工場になっている家族で、家庭内暴力が拡がる」
「明治維新」以後、家族は様々な戦士を育ててきたが、家庭内暴力現象が顕著になったのは
ここ数十年の事。従って、「戦士育成工場」が家庭内暴力の原因ではない?

「ニュースタート(二神の運営する事務局)に来る若者の家族のイメージは“泥沼”」
この発言は特殊な若者に限定すれば肯けるが、一般化したいと言う意図が見え見えである。
これは、針小棒大のイカサマレトリック?こういうイカサマを使って世の中を歪曲し、それを
自らの飯の種にしようとしている様に思える。雨宮も二神も若い頃に悩んだ経験がある様だから
解るだろうが、悩みから覚めてみれば、何と言うことのない迷い?コケてもタダでは起きない
根性で「迷いの経験」を、社会に活かそうというなら立派だ。しかし対談記事を読んでいると
迷いの体験で迷える子羊たちを導く似非伝道師と見えるのだが? もう少しだけ進める。

「若者は、家族は「偽装」なんだと気付いている。・・・相談が行き詰ってきた時に、家族解散宣言!
を親にいうと、母親はひどく明るい顔になる。・・・このまま行けば(家族は)絶滅に至る。」
二神のこの発言は、悩める家族をオチョくっている。「偽装」などという言葉を使う事によって、
相手の意表を突く。ご託宣を告げるインチキ霊能師さながらの演技?若い頃に悩んだ経験は
素晴らしい方向に活かす事もできるが、こういう方向に逝かす事も可能なのか?

「親世代が若者の未来を奪い取っている」、「一触即発の冷戦家族」・・様々な現代社会の歪を
書き並べているが、過去にはもっと酷い「間引き」、「人身売買」、「姨捨」等もあった。
そうでない日本社会が日本歴史上、どこにあった?真実を見ず、精神的自立が出来ない人は、
貪欲な人々の餌食にされてしまう?それが自然の摂理?社会正義を振りかざして国家の破綻を
面白がる人間が蔓延っている?自立した人間は踊らされるな! 如何なものか。





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菅2次改造内閣と「てっぱん」 [物語]

菅2次改造内閣が発足した。余り書く事もないが、NHKTV小説「てっぱん」の後に付け足す。
今週の「てっぱん」のテーマは、
一つは、先週の駅伝君(長田成哉)&根本コーチ(松田悟志)の挫折からの立ち直り、そして
二つは、鰹節会社「浜庄」の大黒柱・松下小夜子(川中美幸)&レストラン社長有馬圭介
(谷口高史)の心温まる婚約話、そして、長年、小夜子にあこがれていた神田英治(赤井英和)
の果敢で、しかも鰹節のごとく味のある失恋であった。二人の婚約披露での「小夜子を鰹節に
例えて賛美した名(迷?)演説」は、心を打つものがあった。

それらの物語の中でキーとなる言葉が、「人生は失敗したもん勝ち」 という小夜子の言葉。
この言葉のお陰で、あかり(瀧本美織)も嫌な客と、お好み焼きで勝負する勇気が持てた。
あかりから聞いたこの言葉によって、駅伝君もマラソンに気持を切替えて再出発することが
できた。神田も小夜子に、「ズッと前から好きや!」と、正面からぶつけることができた。
ただし、小夜子の反応にいち早く気付いた神田は、付け足した。「鰹節」と。
「浜庄」の社長・浜野一(趙 珉和)も、最初は小夜子の引抜き話に動転していたにも拘らず
小夜子の幸せを願って、小夜子の代役として失職中の根本コーチを雇用する覚悟を決めた。

この物語を見ていると、人情の美しさが輝いて見える。苦しい中で、お互いが思いやる。
人生、金やない。人と人との信頼関係、暖かいつながりこそ、生きる力になるのだと。
絆は “ほだし(束縛)”にもなりかねない。しかし、それは “心の置き所一つ” である。
「人生は失敗したもん勝ち」 という気持一つで、失敗も、次への踏み台になるのだ。
世の中は変化して止まない。その人生を自分のものにするのは、金でも人でもなく自分では?

さて菅2次改造内閣だが、参院で問責が可決された仙谷官房長官と馬淵国土交通相に加え
岡崎国家公安委員長を交代させ、国家公安委員長の後任に中野寛成元衆院副議長を充てる。
また江田五月前参院議長が法相として入閣する。消費税率引き上げや環太平洋経済連携協定
(TPP)参加に積極的な海江田経済財政政策担当は、経済産業相へ横滑り、与謝野馨氏が、
立ち上がれ日本を離党して海江田氏の後釜に就任する。失敗続きの民主党政府、「失敗した
もん勝ち」と居直っている?やけっぱち・失敗居直り内閣?しかし政権与党、政府は庶民と
違うのではなかろうか? 庶民は失敗を繰返しても社会の重荷にならぬ様に頑張るしかない。
だがこの程度の政権与党・政府なら幾らでも替わりはいるのでは?程々に!如何なものか。
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続・NHKドラマ10「フェイク」② [物語]

NHKドラマ10「フェイク」②で、浦野右(財前直見)が高村光太郎の詩集・智恵子抄の中の、「美の
監禁に手渡す者」という詩を引用した意図は何だったのか?(詩の内容は「追記」を参照)
白石亜子(南野陽子)の、「(贋作者=謎の男・Kを)二人でいつか懲らしめてやりましょう!」
という言葉だけでは言い尽くされていない何かがある?

上杉省和は、「智恵子抄の光と影」に、この詩を取上げている。
詩の大要を、“税金滞納で差押通告でも受けたのか、手放し難い作品を金に換えるべく、光太郎
は寒夜に知人宅を訪ねたものと思われる。その帰途の情景と心境を謳った詩” と書いている。
また弟・豊周の言葉を借りて、光太郎が経済的にそれ程、困窮していたとは思われないことを
におわせている。しかし、話はそんなに単純なものではなさそうである。

光太郎は家督相続をしていなかった。大正5年・最初の詩集「道程」を自費出版。
“僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る”と「道程」を詠んだ光太郎は、一個の人間として
生きようとした自我意識の強い人であった。弟・豊周は、父母が光太郎を支援していたという。
しかし光太郎の母親・わか(68歳)は大正14年(1925)に、父・光雲も大正15年(1926)に東京
美術学校を退職し、昭和9年に没している。高村家よりズッと富豪だった智恵子の生家長沼家は、
昭和4年に破産。智恵子発症の遠因となった?
従って、「美の監禁に手渡す者」を書いた昭和6年3月頃は、経済的に逼迫していたろう。
そして直後の昭和6年夏、光太郎が三陸海岸出張中、智恵子に精神異常の徴候があらわれた。

詩・「美の監禁に手渡す者」は、「造形の秘技」、「創造の喜」と「生活」とが対立する苦衷の詩?
「生活」とは、多分に「造形の秘技」、「創造の喜」を生む活力源のことも含まれていると思う。
光太郎は“売る事の理不尽”=美を売る事は道理に適っていない!と考えた。
“美を購入して所有する事は、他の人から引き離して自分一人のものにすること”
“美の監禁に手渡すもの、我”とは、理不尽な“美の監禁”に自分は手を貸している、となる。

“美の監禁”に関わるのは、制作者のみではない。購入し所有するものこそ“美の監禁”実行犯?
右(ゆう)は、贋作者を問題にするのは当然として、美術品を独り占めして悦に入っている外道
(美術愛好の正しい道を外した者)を問題にしているのではなかろうか?そういう外道愛好家が
蔓延るから贋作物が蔓延するということか?宮部小百合(淡路恵子)が軽蔑する「高村(ドラマ)の
ような人を仰山生んだ何や大きなもん」と、外道愛好家はつながっている? 如何なものか。

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NHKドラマ10「フェイク」② [物語]

今回の骨董品のフェイクは宋代の作という信長ゆかりの「油滴天目茶碗」、そして葛飾北斎の
肉筆画であった。もう一つのフェイク(虚報)が、隠し味となっている。物語は、刑事課長の
真野琢磨(佐野史朗)が、骨董店主・浦野曜子(藤村志保)と雑談しながら骨董品の品定めを
しているところから始まる。浦野曜子は、浦野右(財前直見)の母親だったのである。さて
不動産会社社長・高村(田中健)が茶会中に殺されて、伝説の茶碗がなくなっている事から、
浦野右(ゆう)の出番となった。右は茶席の禁花“冬知らず” が茶席に生けられている事から
行動を起す。高村の茶道の師匠・宮部小百合(淡路恵子)と右(ゆう)の茶席でのやり取りで
小百合は、高村が茶を商売の道具と心得、「和敬静寂」の茶の心を持っていなかったと非難。
その思いは、小百合が高村と対決する回想シーンで、「あんたを軽蔑しているのではない。
あんたみたいな人を仰山生んだ何や大きなもんを軽蔑してるんや。」と語っていた。

小百合の父・宮部宗久は、戦前、出征する若者達の壮行の茶席で、必ず「油滴天目茶碗」を
使っていたという。信長ゆかりの「油滴天目茶碗」は本能寺の戦火を潜り抜けてきたからだ。
茶碗の由来を説明する事で、当時は決して言えぬ「生きて帰れ!」という気持を伝えたいと
父親が心から思っていた事が良くわかった、と小百合は語った。

捜査当局は高村殺害犯行を、西陣の再開発反対運動に絞った。再開発反対の中心的場所で
ある寺院の境内に戦没者慰霊碑があり、“冬知らず”が咲いていた。碑の新聞記事(昭和22年)
から、碑建立代表は宗久で “冬知らず” は戦場から帰らぬ若者達の魂だと思った理由も
わかった。「茶道の世界では冬知らずは禁花とされています。しかし私は今後自分の茶席に
冬知らずをかざることをいとわないでしょう。」という宗久の談話も掲載されていた。
しかし、真犯人は小百合ではなく、推理マニアには物足らない、意外な結末となった。
小百合は壮行会当時(昭和19年)女学生だから、もう80歳のおばあさん。犯行は無理?

虚報の隠し味は「京都に空襲はなかった」というのと、もう一つは、金の亡者・高村の遺族に
遺品で一番高価な美術品に、葛飾北斎の肉筆画を示唆しながら、最後には贋作を告げたこと。
この贋作は右(ゆう)をパリでも苦しめた天才贋作者=謎の男・Kの作品だったのである。
右(ゆう)は、高村光太郎の詩・智恵子抄の一節、「美の監禁に手渡す者」を引用して言う。
「美術品を手に入れる事は本来罪なのではないか? たまには罰も必要なのかも知れない」と。
そして刑事・白石亜子(南野陽子)の、「二人でいつか懲らしめてやりましょう!」で幕。
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旧友を偲ぶ [思い出]

我が家では、今日はこの冬1番の冷え込みだったが、幸い晴天で日中は暖かだった。
今日は鏡開きであるが、妻が孫のところに行っているので、面倒だから省略した。
さて、植村達男君が逝って、早一ヶ月近く経ったが、本を探していて彼の本が見つかった。
最も初期の頃の作品、「本のある風景」と「神戸の本棚」である。

前回、2010.12.24のブログ「旧友を悼む」で、本好きの彼ほどではないものの、私も同様だった
から彼の懐かしい作品にふれたかった。しかしいくら探しても出てこない。大体、本を探している
時に出てこない事が多いのである。今回探している本も出てこなかった。要は整理が悪い?

彼の著作の中でも、「本のある風景」と「神戸の本棚」は、私にとって、特別の思いがある。
入社以降数年で地方に転出、工場勤務を十数年経験した後、本社地区に戻ったのが昭和58年
(1983)、その年の関東地区同窓会で、彼の「本のある風景」を勧められた。その時の、彼の
親しみのある眼差しが思い出される。「生活の歓び」が、あの優しさを生み出すのだろうか?

野呂邦暢は、“「本のある風景」に寄せて”という文章の中で、「‘生きる’と言う言葉が、私はあまり
好きではない。・・・中略・・・‘生きる’ことには抒情もへったくれもありはしないが、生活には抒情が
ある。抒情とは人生の歓びである。」、と書いてある。小島直記も「出世を急がぬ男たち」の 「本の
ある風景」という本 という章で、「生きる叡智、そしてよろこびとは何かを、さりげなくわれわれの
胸にしみこませるものがある。」と書いている。彼の眼差しは生きる叡智、人生の歓びとは何か?
を見つめていたのだろう。そしてそこから吸収したものを創作の中で、或いは対人関係の中で
あらわし、さりげなく我々の心に届けてくれたのだろう。

「神戸の本棚」では、“港が見える丘”という懐メロの歌詞の場所は横浜ではなく、神戸だった?と
書いてあったという記憶が残っていた。今回、改めて確認したら、この歌の作詞家・東辰三とほぼ
同時期に両人の母校・神戸高商(現神戸大学)で在籍していた古林喜楽(元神戸大学学長)の言
として紹介していた。この本を読んだ当時の私は、まだ横浜に住んで数年、「港の見える丘公園」
を知って違和感を持っていたのでなるほど!と感心したものである。今は神戸と横浜どちらも
長いご縁ができた。元学長の名が「ふるいことやし きらくにいこう」と言っている?
“港が見える丘”は全国にある。あまり拘る話でもない?おきらくに! 如何なものか。
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浪漫主義と民主党 [社会]

今日は成人の日と言うが、当地では前日に式を行っており静かなものである。
さて、文芸春秋2月特別号の西岡武夫参議院議長の「菅・仙谷には国を任せられない」を読んだ
感想を書き留めておきたいと思う。まず、西岡氏の指摘した点を簡潔にまとめておこう。
1.仙谷官房長官の国会答弁の問題 (丸山和也議員の電話での内容を曝露された時の対応、
  「自衛隊=暴力装置」発言、弁護士特有の法廷闘争のやり方<論点をそらす>など) 
2.諸島問題における検察の政治的判断(船長釈放にあたっての那覇地検・次席検事の
  「国民への影響と日中関係を考慮して」という会見内容)はあってはならないこと。
3.菅首相の思いつき発言・スタンドプレー(諫早湾干拓事業の潮受入れ開門、子ども手当
TPP<関税引下げは農業分野に限らず、保険、金融、不動産取引など広範囲に及ぶ>など)
4.各国は、食糧危機などを念頭に農地争奪戦を世界各地で繰り広げている。食糧問題を
  レアアース問題と対比させて、問題の重要性を認識していないと指摘している。
5.菅政権は、政策無策に止まらず、政治「哲学」すらないのではないか?
  (普天間基地移設問題、小沢問題、)
6.民主党は右から左まで抱え、政党の柱である綱領さえ作れない。与野党共に、行き詰って
  「大連立」などという野合は、あってはならない。

この記事を読んでいて、またも、夏目漱石の浪漫主義と自然主義の話が頭をよぎった。
浪漫主義文学とは、例えば偉人伝や、英雄譚、或いは「忠臣蔵」などもその1つだろう。
漱石は文芸と道徳の関係を説いた(明治44年<1911>の講演)中で、浪漫主義の道徳は
親や年長者、上司、支配者に都合のよい義務の分担関係であって過去のものであると語った。
100年前に漱石も気付いたが、漱石はマルクス的階級闘争には向かわなかった。それは、
若冲の<外界と内面>の観察の大切さを知っていたからである。哲学も浪漫主義時代は知らず
自然主義が勃興した近代以降の哲学は、外界から内面へと重心が移ってきている。

民主党、或いは他党で平成維新を声高に語っている人たちは、自分達は支配者の立場になって
上から目線で浪漫主義道徳を打ち壊し、民衆を解放してやろう!と考えているのだろうか?
しかし自らは、明治維新の元勲達と同様に、地位や名誉、名声を欲しがる浪漫主義道徳亡者?
漱石に倣って勲章辞退は如何? 兎も角、明治維新を金科玉条の様に言っている人たちは、
日本の国内問題、外交問題に関する観察眼がなさ過ぎるのではないか? そればかりではない。
人間<自己>の内面を見つめる目もないのでは?奥さんの目だけではダメ?いかがなものか
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孫との交流 [大家族]

今日は七日正月。若菜の節句、七草の節句、人日ともいう。
本来は旧暦だから二月の立春の後になる。今だ寒いが、七草粥で春を迎える行事だった?
現在は寒の期間なので本来の気分は出ないが、これから本格的な冬を乗り切る覚悟の‘粥’と
思えば、それはまたそれで、身も心もあたたまって良いのではなかろうか?

最近、チョコチョコ、NHK教育TVの子供向けアニメ「はなかっぱ」をビデオで撮ってみている。
11月下旬に上京した際、孫が踊ってくれた「はなかっぱ踊り」が、機縁になった。
「はなかっぱ踊り」は、♪Let's get together now ----- という歌詞の歌と共に踊る。
Hearing力がおそまつ君の私には、良く聞き取れなかったし、番組も見た事がなく、
♪明日も元気 ♪また会えるよね ♪大好きなキミがそばにいる ♪それだけで大丈夫
♪どんな問題も解ける などという歌詞は、早いテンポに撹乱されて意味が取れなかった。
そんなこんなで踊ってくれた時は、それほど感激もしなかった。
帰宅してしばらく経って、「はなかっぱ」は、「ぜんまいざむらい」の後番組ということを
妻から聴き、俄然、興味を持ったが如何せん!仕事がたまっていて見る事ができなかった。
最近ボチボチ、番組を見たり、インターネットで調べたりして、今頃よさを認識している。

最近、ネットの普及発展の影響で、テレビ離れ、新聞離れが進んでいるそうである。
昔は、日経を読まずして、ビジネスマンと言うなかれ!という雰囲気があった。
何を読んでいたか?結構「失楽園」だったりするのだ。「失楽園」を話題にして鼻の下を
伸ばしている上級社員では、現代は通用しないのかも知れない。
冗談はさておき、現代が、護送船団方式から、自己責任の競争社会に変質したのなら
ネット社会への移行は当然だろう。新聞やテレビという、所謂マスコミが醸成した情報を
ベースに動いていたのではリアクションが遅すぎる。マスコミや民衆の声なき声も含め
あらゆる情報解読の基盤は、自己責任で収集した情報を基にしなければならない。
従って、受身の情報ではなく、能動的に情報を収集するネットに重心が移るのは当然?

もう一つは、多様化が肯定され、趣味の世界も個性化に傾くだろう。そうなれば新聞や
テレビなどでは満足できないし、趣味の世界に忙しくて見たり読んだりする閑もない?
一方、人間的つながりも大切な要素。それは携帯やネットメール、ブログなども含めて、既存の
ラジオ、新聞、テレビなど様々なメディアが多様化し活用される? 如何なものか。
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続・NHK連ドラ「フェイク」① [物語]

今日は、二十四節気の1つ小寒、寒の入りである。心なしか風が冷たく感じた。
さて、NHK連続ドラマ「フェイク」第1回目の続編である。
久美(松本明子)は若冲の名前の由来に関する浦沢ゆう(財前直見)の説明を聞いて、“若冲は
本当に満ち足りていたのだろうか?”と反論した。その答えは、ドラマの中では出ていない。

そこで私は考えた。若冲の生涯を辿れば答えは見つかるのではないか?と。
伊藤若冲は画業修行と共に、写生の重要性に目覚め、リアリズムに徹し動植物の生態を描写し
見つめ続けた。だが彼は、写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」との評価も高かった。
若い頃から相国寺に参禅するなど禅に傾倒し、晩年、黄檗宗・石峰寺の近くに草庵を結んだ。
石峰寺の背後の山には、若冲が下絵を書いて石工に彫らせたと言う五百羅漢が点在している。

私は、そこ(五百羅漢のたたずまいの中)に立った時、まさに一個の宇宙を感じた。
写生や奇想から解脱した若冲の自由な精神が輝いてみえた。若冲の名前の由来、「大盈若沖」
“本当に満ち足りている者はむなしいようにみえる”と、ぴたり整合している。85年の生涯を全う
した若冲は、実に自然体で「大盈若沖」になり、“むなしきがごとき”満ち足りた生涯であった
というのが、私の出した結論である。

劇中人物の久美(松本明子)は、若冲を館長(宅麻伸)に見立てたから、満ちたりていないと
思ったのだろう。館長にはライバルがいる。天才的目利き・浦沢右(ゆう)の上司・大学教授
(寺田農)との競争意識が、いつしかひた向きな情熱を、我欲に変質させたのだろう。
久美と館長は、我欲に囚われたために贋作を掴んでしまい、罪を犯してしまった?
(写真は、石峰寺の墓石に刻まれた「斗米庵若冲居士」の一部)DSC08671若冲2.jpg
浦沢右は若冲の名前の由来をもう1つ、「良賈は深く蔵してむなしき
がごとし」を引用して説明していた。出展はしらない。“良賈”とは
素晴らしいお宝だから、人に知られないように深く隠し持っている。
だから無いのと同じにみえるとの意。これも若冲の人物を言い表して
いるのではなかろうか?在世当時は有名だったが、その後の評価は
落ちていた若冲は、いま大きく見直されている。深く蔵した本物の
人間的な魅力は、時空を超えて顕れる? 如何なものか。
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NHK連ドラ「フェイク」① [物語]

DSC08669番鶏図 (2).JPG私は、昨夜見た標題のサスペンスドラマの何に魅せられたのか?
第1回の昨夜は、伊藤若冲の幻の絵画「松樹番鶏図」(左の写真を参照)に纏わる物語だった事が大きな要因だった。昨年、12月中旬に伏見を訪れ、若冲ゆかりの石峰寺に詣でたことの因縁ではないか?と思ったからである。この番組があることを知ったキッカケも、そういった因果の糸に手繰り寄せられたとしか思えなかった。
伊藤若冲は正徳6年(1716)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生れた。4代目枡屋源左衛門を襲名。家業に熱心ではなく、若い頃から画業に励んでいた様である。初期作品には「景和」、「汝鈞」等と署名したが、「松樹番鶏図」は、若冲の名を号した最初の絵と、ドラマでは伝えていたがどんなものか?百年前から行方不明。今回のドラマで白黒の写真から復元したと言う。

ドラマは、ロンドンで発見された「松樹番鶏図」を中心に展覧会を企画した美術館の内覧会から始まる。そこに「盗難予告」が舞い込み、三条警察署刑事・白石亜子(南野陽子)等が警戒している最中、警察から依頼された美術の目利き:大学講師・浦沢ゆう(財前直見)が、「松樹番鶏図」を内覧会場で見て、「贋作が展示されている」とのメモ書きを美術館館長・向井忠(宅麻伸)に手渡す。それと前後して、六角通りのアパートで倉沢という男が殺されているという連絡が入る。警察は、倉沢が絵を持ち出し、それを依頼した首謀者が倉沢を殺したという筋立てで捜査を進めるが、浦沢ゆうは、絵を持ち出した日が雨だったことから、その筋立てを疑い、真相にたどり着く。
DSC08672若冲1.jpg
この物語の悲劇のヒロインは、美術館学芸員・小和田久美(松本明子)。
彼女は館長・向井忠と「松樹番鶏図」を追って世界中を探す旅を続ける内に、館長を思う様になってしまう。ゆうと久美が贋作の前若冲の名前の由来を話し合うシーン。ゆうが老子45章の「大盈若沖(冲は沖の俗字)」の意味「本当に満ち足りている者はむなしいようにみえる」と言うのに対して、久美は「(若冲は)ほんまに満ちたりていたんやろか?生涯独身、(40歳で)家業からも身を引き、ひたすら絵の道を究めた人生。まるで見つめるためだけに生れてきたみたいや」とつぶやいた。この言葉は、自分の思いに気付かないで、若冲の絵をひたすら追い求める館長のことを言っていたのである。写真は、久美が死に場所に選んだ石峰寺の若冲の墓を訪なうラストシーン。
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