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町の標語と「てっぱん」12週 [閑話]

散歩の途中に “友だちを 思いやる子に いじめなし” という標語の看板があった。
友だちを思いやる様な子は、いじめないし、いじめられない。という意味だろうか?
私は小学校前半はいじめられッ子で、後半はイジメに遭うのが怖く強がってガキ大将ぶって
いた。イジメをした事は余りなかったが、一度だけ何かをキッカケにして、朋輩を語らって
A君を難詰した事があった。A君は警察官の息子で父親を深く尊敬し、いつも糞真面目な意見
ばかりいう大人びた子だった。イジメは君子面が気に食わぬというインネンだったのか?

今週の「てっぱん」は、伝さん(竜雷太)の孫・美咲(中山心)が登校拒否で伝さんの家に
居つく話である。美咲が学校に興味を失くすというのも一種のイジメに遭っているという
見方も出来るだろう。美咲は向う意気の強そうな子だからいじめられそうもないと思う?
しかし、妥協を許さないのは内向的性格の大きな特徴である。自分一人孤高を気取る人も
いじめの標的になりやすいのではなかろうか?いじめられ、いじめた人間としての経験から
私は、いじめられタイプの人間は、概して内向的性格の人間で、孤立していると思う。

美咲は、おのみっちゃんグループの暖かい人間関係の輪の中で、意固地さを溶かされ、また
家族と共に普段の生活に戻っていった。私の育った時代は、“おのみっちゃんグループ”が
何処にでもあって、誰でもが毎日の生活の中で、意固地さを溶かされ、人間関係を保てた。
だから、いじめられている時でも、学校に行くのがイヤになる事などなかった。学校もまた
“おのみっちゃんグループ”だったのだ。“おのみっちゃんグループ”の中にも駅伝君
(長田成哉)の様に自らを追込んで挑戦し、人にも厳しい人間もいる。だから、イジメと
登校拒否や引篭もり、自殺等の直接的因果関係を云々する人々は、少しおかしいのでは?

信頼できる人間関係の中では、喧嘩や厳しい忠告(イジメ?)に遭っても、登校拒否や
引篭もり、自殺等になる事はない?最近の犯罪や自殺、その他の不可思議な行動を考える時
当事者において信頼できる人間関係があるかどうかという視点は大切なのではなかろうか?
最近TVで、保育士が中心となって人間関係を再構築する活動が活性化している話を聞いた。
残念ながら、忙しくて詳しい内容や番組名までわからなかったが、私の考える方向性と近い
のではないかと思った。人間は本来、内向的な部分を持っている。しかし、今の世の中は、
それを「悪」とし、皆が外向的でなければならない様に、毎日を祭りの様に演出している?
それでは本当の人間関係など出来ない。よい加減な真面目さも必要では? 如何なものか。
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