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「坂の上」から「坂の下」へ [歴史]

今日は太平洋戦争開戦記念日。明治維新・坂ノ下→日露・坂の上→坂ノ下→敗戦・奈落の底。
昨日、日本帝国陸軍が日露戦争(1904-5)・旅順攻撃において大きなミスをしたと書いたが
その元ネタは、高原友生著「悲しき帝国陸軍」である。高原氏の祖父・石原廬(いおり)は
第11師団歩兵第44連隊長として日露戦争に従軍した。当時の事を書き残していたのである。
当時、参謀本部の作戦計画の失敗や現地参謀の独走によって、第44連隊が如何に苦境に立ち
多くの犠牲者を出しながら任務を全うしたことを「子孫に伝える」ためであった。
司令官・乃木希典からの感状(感謝状)も添えてあった。

高原友生氏は、祖父の非公開の記録を読んだ感想として、次のように書いている。
「国民や将兵が、強国ロシアに勝つための凄まじい努力、精進、そして膨大な犠牲を正しく
評価すべきであるのと同時に、日清戦争に既に萌芽がみられる‘驕り’、非合理的精神主義
などに懲りず、無反省に同一路線を踏襲したことを残念に思う。」 また、高原友生氏は
祖父の記録から、日露戦争当時を峠に「坂の下の淵」へ降下する原因について述べている。
日露戦争後、参謀本部は「戦史」編纂に当たって通達を出し、反省点に重点をおかず
不都合な記述を行わなかった。国を誤らせる芽が、「坂の上」の頂点で育っていた、と
高原友生氏は書いているが、その芽のタネは、既に明治維新において蒔かれていた、と
いうのが、私の考えである。明治維新の覇権を勝ち取ったグループが、勤皇攘夷すなわち
「天皇を擁し鎖国を継続し、外国を打ち砕く」というマニフェストを掲げていたのだから。
彼らは、自分達グループの「志」が変わっている事に対して何の反省もなかったのだ。
正に、「勝てば官軍、負ければ賊軍」。勝ちさえすればいいという価値観で、「義」も
何もあったものでは無い。そういう伝統がズッと継続しているのが日本である。

直近の権力者・民主党も、在来日本の権力者の正統な流れを汲んでいると思う?票欲しさの
マニフェストを掲げ、有る有る探検隊ならぬ「有る有る財源」が無くとも何の反省も無く、
厚顔無恥に推し進めるところは、日清・日露から第二次世界大戦までの日本帝国軍隊と、
精神構造は、ほとんど何の違いもないのではなかろうか?折りしも、驕り高ぶって舞台に
大穴を空けるという空前絶後の大失態を演じた歌舞伎界の名門御曹司が、お詫びの記者会見
をした。チラリと拝見したが、自分の言葉なのか疑問?誰かから指導された通りに話して
いる様に思えた。この問題は「良い加減」が好きな日本人の良さを発揮して、丸く納まって
くれればいい。しかし政治的な問題は、「良い加減」から「いいかげん」にならない様に
批判精神を養い、グローバルな正義を見失わないために、努力すべきでは?如何なものか。
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