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マルクスと家族 [歴史]

エンゲルス編・マルクス「資本論」の中で扱われている家族は、ほとんど18~19世紀頃の
急激な工業化・資本主義化で揺れ動く激動の時代の‘労働組織’としての「家族」である。
工業化によって、それ以前の家族形態が崩れた?そして、未成年者労働の問題等で、
当時の世間は、「親が親権を楯に、無慈悲な労働を強いた」というのに対して、マルクスは
「資本主義的搾取様式が、親権の乱用に至らしめた」と書いている。(岩波文庫二・p510)
最近の幼児虐待問題も、この論法でいけば、「資本主義が悪い」と言う事になる。

工業化以前の社会でも、子どもに無慈悲な労働を強いた親もいた。ただそれが工業化以前は
隠蔽されていただけだ。工業化後に、そういう実態が顕在化しただけである。
幼児虐待も、以前は隠蔽されていたし、様々なお節介焼きのご近所等による援助・圧力で
大きく顕在化されなかった。ある意味、親の権利を守ることで、社会秩序を保ってきた。

「資本論」を掻い摘んで読んでいると、マルクスは、資本主義を解明し、資本主義が社会の
変革契機と新たな社会の形成要素を成熟させるという。これを革命と結びつけるのは問題?
「資本論」で、マルクスは資本主義的生産の‘無政府性’という言葉を繰返すが、これは
明らかに間違っているのではないか?マルクス思想を革命思想とするところに問題がある。
「資本論」の中には、老荘思想を尊重するようなところが随所にある。従って「資本論」を
ポスト資本主義以降を、老荘思想的な理想郷の社会を夢見て書いた物と考える観点もある?

人類の長い歴史の中で、「家族」は、何度も崩壊しているが、必ず再構築されている。
現に、資本主義社会になって既に二世紀は経過しているが、未だに家族はなくならない。
NHK・TV小説「てっぱん」を見ていても、決して核家族に萎縮する方向ではなく、様々な
人間の絆を深めて、拡大する方向性を持っている。
今や、「家族」は‘労働組織’ではない。そういう観点から、親は何の権威もなくなった。
しかし、「家族」は、人間を一人前に育てるための‘インキュベータ’なのである。
どんな時代でも、「家族」が、子どもを一人前にしてきた。社会における相互扶助的な
子育ては、満足な「家族」が居ない子どもを援助し、子どもが満足な「家族」を再構築する
手助けをするだけなのである。そのためにお金も要る?しかし子どもに与えるのではない。
飽く迄、援助・支援する人々の経費などである筈だ。民主党の子育て思想は間違っている?
百年?千年?万年?老荘思想的理想郷社会を夢見るのは良いが現実と混同してはならない。
子育てする「家族」を尊重せず、軽視する考え方は、百年?千年?早い。如何なものか。
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