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スロージョギングのコツ [散歩]

今日もスロージョギング(SJ)。今日は快調だった。マイペースがよかったのだろう。
SJは、慣れてくるとスピードを出したくなるが、私の様に頑健でない老人は無理をしない。
急ぎ足か、それ以下の普段の歩行速度で充分である。それではSJと歩行は何が違う?
微妙に違う。私は、去年の6月の「ためしてがってん」再放送をキッカケに、挫折しながら
今年の1月からずっとSJを継続しながら、その事を考え続けていた。そして今日、
同行の妻とSJをしながら話していて良いたとえを思いついた。その前に少しSJの整理を。

生活習慣病予防や回復のために、歩行や走行は「帯に短したすきに長し」。即ち、歩行では
効果が薄い。走行では、きつ過ぎて心臓や足の関節・筋肉に余病を併発する危険がある?
歩行よりも、もう少し全身に適度の刺激を与えると共に余病を併発させない程度の運動として
SJ{歩(走)行}が、歩行と走行の中間的な位置づけとして考案されたのだと思う。
SJは、その為に速度は歩行と同じで良いが、運動効果を高めるために、歩行よりも体内の
組織・細胞全体を揺らすことを目的としているのである。そこでSJ運動のたとえである。

阿波(女)踊をイメージしてほしい。阿波踊は“元祖・SJ”と言っても過言ではない。
しかし阿波踊をしながら歩くのは、普通は問題になる。そこで、阿波踊の振りを失くす。
ただし、身体の上下動はそのまま。足の着地は、そっと置くが、爪先からではなく全体。
これを阿波踊のリズムに合わせて、歩行時より、小刻み(小さい歩幅)に進む。
そうすると大体、歩行と同じくらいか、少しは早くなるだろう。

そうしてSJを実行していると、結構、疲れてくる。これは、歩行よりもきついのだから
仕方がないのだが、徐々に疲れが蓄積されてくる。その辺で、挫折するケースが多い?
そこで、SJ実行に、もう一工夫を凝らす必要がある。それは身体を揺らす揺らし方である。
そのためにSJの歩(走)行に、天秤棒で液体を入れた桶を担ぐ歩き方をイメージすれば色々
利点がある。天秤棒で液体を入れた桶を担ぐ歩き方は液体をこぼさない様にリズムをとる。
この要領で、自分の身体の組織・細胞を桶の中の液体と思ってリズムをとるのである。
組織・細胞の全てが、SJの運動に協力してくれるように、全身の組織・細胞の端々にまで
気を配って、呼吸や身体の動きを調節するのである。そうする事によって、組織・細胞間の
イザコザが起きないために、運動後に嫌な疲れが残らず快い汗を感じ、疲労も蓄積しない。
これがスロージョギングのコツ? 今だ道半ばながら一説を披露した。 如何なものか。
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町の標語と「てっぱん」12週 [閑話]

散歩の途中に “友だちを 思いやる子に いじめなし” という標語の看板があった。
友だちを思いやる様な子は、いじめないし、いじめられない。という意味だろうか?
私は小学校前半はいじめられッ子で、後半はイジメに遭うのが怖く強がってガキ大将ぶって
いた。イジメをした事は余りなかったが、一度だけ何かをキッカケにして、朋輩を語らって
A君を難詰した事があった。A君は警察官の息子で父親を深く尊敬し、いつも糞真面目な意見
ばかりいう大人びた子だった。イジメは君子面が気に食わぬというインネンだったのか?

今週の「てっぱん」は、伝さん(竜雷太)の孫・美咲(中山心)が登校拒否で伝さんの家に
居つく話である。美咲が学校に興味を失くすというのも一種のイジメに遭っているという
見方も出来るだろう。美咲は向う意気の強そうな子だからいじめられそうもないと思う?
しかし、妥協を許さないのは内向的性格の大きな特徴である。自分一人孤高を気取る人も
いじめの標的になりやすいのではなかろうか?いじめられ、いじめた人間としての経験から
私は、いじめられタイプの人間は、概して内向的性格の人間で、孤立していると思う。

美咲は、おのみっちゃんグループの暖かい人間関係の輪の中で、意固地さを溶かされ、また
家族と共に普段の生活に戻っていった。私の育った時代は、“おのみっちゃんグループ”が
何処にでもあって、誰でもが毎日の生活の中で、意固地さを溶かされ、人間関係を保てた。
だから、いじめられている時でも、学校に行くのがイヤになる事などなかった。学校もまた
“おのみっちゃんグループ”だったのだ。“おのみっちゃんグループ”の中にも駅伝君
(長田成哉)の様に自らを追込んで挑戦し、人にも厳しい人間もいる。だから、イジメと
登校拒否や引篭もり、自殺等の直接的因果関係を云々する人々は、少しおかしいのでは?

信頼できる人間関係の中では、喧嘩や厳しい忠告(イジメ?)に遭っても、登校拒否や
引篭もり、自殺等になる事はない?最近の犯罪や自殺、その他の不可思議な行動を考える時
当事者において信頼できる人間関係があるかどうかという視点は大切なのではなかろうか?
最近TVで、保育士が中心となって人間関係を再構築する活動が活性化している話を聞いた。
残念ながら、忙しくて詳しい内容や番組名までわからなかったが、私の考える方向性と近い
のではないかと思った。人間は本来、内向的な部分を持っている。しかし、今の世の中は、
それを「悪」とし、皆が外向的でなければならない様に、毎日を祭りの様に演出している?
それでは本当の人間関係など出来ない。よい加減な真面目さも必要では? 如何なものか。
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伏見散歩'10.12月-Ⅱ [散歩]

今日は5日振りにスロージョギングをしたら脹脛や足首がだるくなった。使わない筋肉が
少し劣化したのかも知れない。とりあえず続行していたらダルさも徐々に収まった。
人によって筋肉の衰えの速度も異なるのだろうが、私の場合は衰えが早いのではないか?
私の体質なら、余り長期の旅行など、非日常的な生活は、健康に良くない?
さて伏見散歩だが、石峰寺へは伏見稲荷の境内にある東丸神社の横の細い道を抜けて行く。
その途中に「ぬりこべ地蔵」の祠がある。歯痛平癒祈願のお地蔵さんというので、歯の悪い
私としては、“何とか一日でも長く自分の歯で食事ができるように!”と、お願いした。
私と同じ様、願っても甲斐ない願懸けをした幾多の諸先輩の事を思わずにはいられない。
◎ 落ち葉ふる 地蔵だのみの 歯弱爺

京阪電鉄の深草駅の手前にある食堂で昼食をとったが、其処の女将が気さくな好人物で、
話し方が、親戚のおばさんに似ているのも懐かしかった。徳島の出身で、半田麺を故郷から
取り寄せて店に出している。冷込む日だったので、鍋焼き半田麺とおでんを食べたが美味。
そうめんに似ているが、暖かい麺でもコシがあって歯ごたえが良かった。(歯の悪い私でも
噛み切れるから、コシがあるといっても、歯の悪い人にも心配はご無用である。) それと
気付かず食した事はあるのかもしれないが、鍋焼き半田麺は私にとって初体験であった。

深草駅の横を流れる琵琶湖疎水の細い散歩道を南に下っていく。綿森橋、町通橋、きとら橋
堀田橋、極楽橋、藤森橋、高田橋、北新橋、墨染橋などを過ぎて、墨染寺に参詣した。
小野小町のもとへ「百夜通い」をしたという伝説の人物・深草の少将の屋敷がその辺り?
墨染寺という寺名または地名は、関白・藤原基経(836-91)の死を悼んで詠んだ和歌
◎ 深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け 作:平安歌人・上野峰雄
にちなんだものという。

その後は、伏見の酒蔵を巡った。キンシ正宗、宝酒造、招徳酒造などを歩いたが
お酒を造って(或いは売って)いるだけ?利き酒や見学などについては、黄桜酒造の
カッパカントリー、月桂冠の大倉記念館などを見て回った。カッパカントリーでは、
昔懐かしい清水昆のカッパの絵をたくさん見る事ができた。月桂冠の大倉記念館には、
立派な見学コースがある。酒造りの工程は、精米、洗米、浸積、蒸米、麹、酒母、醪(もろみ)
、上槽、滓引き・濾過(おりびき・ろか)、火入れ、貯蔵、という事になっている。
楽しい見学と利き酒、そして吟醸酒、酒饅頭などの土産を買った。
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伏見散歩'10.12月 [散歩]

最近は、親族の通院介助や墓参り等と共に、京都・大阪・奈良・神戸など関西・四都の散歩を
楽しむ目的で、だいたい二ヶ月一度程度の割合で出かけることが多い。今回は伏見散歩だった。
伏見といえば京都の南に位置して、大阪、奈良との交通の要衝として栄えた処である。しかし
お稲荷さん、桃山城、そして‘灘’と並ぶ酒造りで有名な処という位しか知らなかったが、
京都駅の?(インフォメーション)の案内のプロの口ぶりからすると、伏見は、京都市の中では別格?
そんな話を聞いて、食わず嫌い(例の龍馬で有名な寺田屋)を返上して、伏見の中心部を探索
することにした。

最初に訪れたのは深草の「石峰寺」。伊藤若冲が下絵を描いて石工に彫らせたという五百羅漢
で有名である。羅漢とは、釈迦の説法を聞き、一般人から施しを受ける価値のある人である。
即ち、釈迦の教えを実践し、世の中を良くする影響力を持っているということであろう。
私は、「京都の寺社 505を歩く」山折哲雄監修・槙野修著でその事を知り、是非行きたいと
思っていた。石峰寺の裏山にひっそりと苔むしている五百羅漢は、まるで釈迦の絵巻物を見る
思いだった。来迎菩薩、出山の釈迦、十八羅漢、説法場、托鉢修行、諸羅漢坐禅屈、涅槃場、
賽の河原などと立札が、五百羅漢の群像グループに割り振られている。
写真は撮影禁止であるが、入山のパンフレットには、4枚の羅漢さんの写真があった。
そこに写っている羅漢石像がどこにあったか、何度も山を巡り、全てを見つけ出した。
そうしている間に、石像の表情が心に沁みてきて、仏の教えの有難さを思った。

◎ 愚鈍なる 我を導く 羅漢かな201012161543市電.jpg

早、紙幅も尽きかけている。伏見の中心街に至る前の深草で、古の少将のごとく
小町への恋路ならぬ、伏見地区中心街の散策路にも届かなくなってしまった。
今日の締括りは伏見中心部の「西岸寺」としよう。寺田屋から歩いて5分程度
油掛通の北側に位置する。商売繁盛、願望成就、家内安全の「油掛地蔵尊」
や芭蕉の句碑で有名だが、今回は竹田街道と油掛通の角に建てられている
「日本における電気鉄道発祥の地」の写真を掲載した。
明治28年に油掛通から京都駅迄、日本初の電気鉄道(後の市電)が営業を開始した。
伏見は重層的歴史を今に感じさせてくれる興味尽きない町である。如何なものか。
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防衛と消費 [社会]

先日のブログで、マーケティングの世界ですら顧客第一主義から、第3のマーケティングに
革新するということを書いた。ましてや、政治の世界では、その先を進むことが必要だろう。
国防と消費は平和と健康(生存)に必要だが、“直接的には生産的でない”という意味で共通
していると考える。
消費は個人の要素が大きいが、それでも地球規模に拡大してくると、文明度の高い地域ほど
消費に関心をもち、全体としての適正なバランス点を探っていかなければならない。
国防の場合は、個人的な要素として分割し辛い問題であるが、日本の国防の現状を考える時に
沖縄問題とはいえ、個人が無関心で済まされる状況ではないことも又、事実であろう。

昨日のNHKスペシャル「日米安保50年・第4回」をみた。出席者の真摯な議論には拍手。
しかし残念ながら私の期待するような内容ではなかった。期待する方が無理なのだと悟った。
尖閣問題、北朝鮮軍砲撃事件、北方領土問題等の根元は、国防問題にも拘らず継続性を無視し
日米安保関係を不安定にした民主党鳩山前内閣の不手際によるものだ。その継続内閣も、
尖閣ビデオ問題に象徴されるように、情報統制という上から目線で問題を処理しようとする。
平和ボケは一般国民だけでなく、広範囲の人々をも蝕んでいるのである。

そこで前向きに日本人が国防に関して取組むためにどう考えればいいのか?私なりに考えた。
まず、私の乏しい書籍の中から、現代日本の政治家の著書で、「国防」を論じたものは?と
探してみた。残念ながら、余り目ぼしいものは見当たらなかった。日本の「国防」音痴は、
政治家の顧客第一主義、又は、国防議論の輪が広がらないことに大きな問題があると思う。

昨日のNHKスペシャルでも感じたが、今や現代日本の問題は、一握りのエリートや政治家、
官僚、オピニオンリーダによって解決できるようなものではないのではないか?
いくら「維新」を叫んでも、いまの様に独り善がりの政策を押し付けて喜んでいる政権に、
何度替わっても、同じ繰り返しではないのか?今までの考え方を転換すべきでは?即ち
国民の確りした考え方を育てる為に「教育・指導」から「学習・協調」への転換である。
上から目線ではなく、互いに学習した内容を尊重して、協力・強調し問題解決するような
社会学習システムを構築するという考え方である。しかし従来の異質性を排除する仲良し
学習システムではない。独創性を尊重する社会学習研鑽システムへと発展させるのである。
勿論、簡単ではない。地道な努力で納得できるものを作り上げられないか?如何なものか。
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政策は政争の道具か? [社会]

月刊「文芸春秋」2011・1月号に古賀茂明(前公務員改革事務局審議官)の取材記事が
載っていた。「通産省キャリア 覚悟の手記」取材・構成は横田由美子(ルポライター)。
主題は、“誰が公務員改革を潰したのか” である。
古賀氏は記事の最初に「平成維新」、「第三の開国」、「過去と不連続の改革」を謳っている。
いつもの私なら、そこから先には読み進まなかった。考え方が違いすぎて参考にならない?
しかし、公務員改革は、既に誰かに潰されたようだから、改革議論にはならないだろうと。
今回は、主題の公務員改革を潰した犯人探しのために先に進んだ。結論から言えば、
改革潰しの主犯は影の総理らしい。(私の読み間違いかも知れないので婉曲表現とした)

この記事は、福田政権下の2008.07月に古賀氏が改革審議官に就任して以来の公務員
改革の紆余曲折を知る上で便利な文献だと思う(特に私のような素人にとっては)。
私は公務員改革などに全くの素人だが、官僚制度改革は行わないといけないと思っていた。
理由は、江戸幕府末期の無能官僚群のようになってはならないと考えていたからである。
しかし、渡辺喜美氏の本を読んで、そこに書いてある公務員改革は、急進的で、日本的な
風土にはそぐわないと思っていた。古賀氏の公務員改革も、大体、その線の様である。
明治維新後の日本の歴史を考えるとき、不連続改革は、日本的プリンシプルを喪失し、
行方定めぬ航海に出てしまう恐れがある。私見では、日本の改革は、不断の努力によって、
改良を重ねる事で、革新につなげる「トヨタ式生産方式」的な方法論をとるべきだと思う。

公務員改革は一旦潰れそうだが、潰してしまうわけにも行かない。
それにしても、この記事を読むと、政策というのは政争の道具だと言う事がよく分かる。
民主党のやり方は特に酷い。国民の関心の深い政策(例えば子ども手当)は、財源無でも
ごり押しで子孫に負債を残す事など屁とも思わない。また公務員改革は票になりそうだと
チョッカイを出して、労働組合の反対に会い、国民の関心が低いと思えばポイ捨てである。
民主党のマニフェストに謳っていた内閣人事局や、国家戦略スタッフ構想、公務員改革等は
自民党からのパクリだったのである。敵のマネをしても、勉強して前に進めるならまだしも
ろくに勉強もせず、政権をとってから付け焼刃の勉強会をしている。準備不足も甚だしい。
古賀氏は、心ない民主党の政治家に翻弄されてエリート官僚の道を断たれるかも知れない。
それでも彼は、「派遣切りされた方々に比べればなんと幸せなことか!」 また「ガン再発の
不安に比べれば、仕事のリスクに鈍感になれる(思い切って仕事が出来る)」といっている。
彼の様な官僚を活かして国の安泰・国民の幸せに結びつけるのが政治家のリーダシップでは
なかろうか? そういう政治家を生む原動力は国民の創意と総意である。如何なものか。
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四方山話2010師走 [閑話]

私の関係している会社からカレンダーと手帳が送られてきて、やっと師走を実感した。
そろそろ仕事も潮時だと考えている。もう来年はカレンダーや手帳も来なくなるかも?
今日のお昼のTVで、漫談家の綾小路きみまろ師匠が、今日、還暦を迎えたと言う。
毒舌漫談というジャンルに属し、中高年に関して毒舌を吐くが、どういう訳か気に入られ
「中高年のアイドル」と親しまれている。きみまろ自身「ご本人は自分の事と思っていない。
隣の人か、あるいは同級生の事と思ってるんですよ。そこがまた彼らの良い所です。」
と、言っている。しかし今時の中高年は、それほどバカではない。
中高年が、なぜ腹を立てず、きみまろの毒舌を、笑って喜んでいるのだろうか?

それは、きみまろが、中高年の様々な生態を分かりやすく指摘しているからである。
その表現が、実に巧妙で善意にも悪意にもとれるのだが、その微妙な境界線上の至芸が
観客の心を刺激し、ほぐし、精神にも肉体にも快い “笑い” を誘うのだと思う。
TV番組の出演者が、「彼の毒舌には “愛” がある 」と、言っていた。
きみまろが書き止めたネタ本は、段ボールに何箱もあるという。その為に、きみまろは
広く深く、中高年の人々を観察したことだろう。お金のため、仕事のためもあるだろう。
だが、彼の芸域に到達するためには、中高年の人々に深い関心がなければ無理なのでは?
マザーテレサの「無関心は愛の反対語」は、此処にも適用できそうだ。

さて、芸能人話題の関連で、海老蔵の謝罪会見での「おごり」について書いておきたい。
謝罪会見で、海老蔵は、「日頃のおごりが(今回のトラブルを)招いたと思います」と
語っていた。「おごり」とは、上から目線の態度であるが、関心や愛とは無縁である。
私は日本の本当の良さ、素晴らしさは、庶民文化の素晴らしさであり、生きる力だと思う。
親が子どもに対するとき、同じ目線になって子どもが何を求めているのか?を一生懸命に
受け止めようとする。そしてそれに応え様と努力する。これが人間関係の原点である。
そして、日本の本質的な問題は、支配者が、庶民の声に謙虚に耳を傾けようとせずに
いつの間にか「おごり」高ぶって、上から偉そうに自説を押し付けようとする事である。

新聞にまたもや大連立の噂が立っている。政策が前に進まないから、マスコミ界の大物が
仲介役をかったとか、公明党に対する揺さぶりだとか、政界雀は喧(かまびす)しい。
全く国民の意向を無視して党利党略に走っている。民主党の「おごり」?如何なものか
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「坂の上」から「坂の下」へ [歴史]

今日は太平洋戦争開戦記念日。明治維新・坂ノ下→日露・坂の上→坂ノ下→敗戦・奈落の底。
昨日、日本帝国陸軍が日露戦争(1904-5)・旅順攻撃において大きなミスをしたと書いたが
その元ネタは、高原友生著「悲しき帝国陸軍」である。高原氏の祖父・石原廬(いおり)は
第11師団歩兵第44連隊長として日露戦争に従軍した。当時の事を書き残していたのである。
当時、参謀本部の作戦計画の失敗や現地参謀の独走によって、第44連隊が如何に苦境に立ち
多くの犠牲者を出しながら任務を全うしたことを「子孫に伝える」ためであった。
司令官・乃木希典からの感状(感謝状)も添えてあった。

高原友生氏は、祖父の非公開の記録を読んだ感想として、次のように書いている。
「国民や将兵が、強国ロシアに勝つための凄まじい努力、精進、そして膨大な犠牲を正しく
評価すべきであるのと同時に、日清戦争に既に萌芽がみられる‘驕り’、非合理的精神主義
などに懲りず、無反省に同一路線を踏襲したことを残念に思う。」 また、高原友生氏は
祖父の記録から、日露戦争当時を峠に「坂の下の淵」へ降下する原因について述べている。
日露戦争後、参謀本部は「戦史」編纂に当たって通達を出し、反省点に重点をおかず
不都合な記述を行わなかった。国を誤らせる芽が、「坂の上」の頂点で育っていた、と
高原友生氏は書いているが、その芽のタネは、既に明治維新において蒔かれていた、と
いうのが、私の考えである。明治維新の覇権を勝ち取ったグループが、勤皇攘夷すなわち
「天皇を擁し鎖国を継続し、外国を打ち砕く」というマニフェストを掲げていたのだから。
彼らは、自分達グループの「志」が変わっている事に対して何の反省もなかったのだ。
正に、「勝てば官軍、負ければ賊軍」。勝ちさえすればいいという価値観で、「義」も
何もあったものでは無い。そういう伝統がズッと継続しているのが日本である。

直近の権力者・民主党も、在来日本の権力者の正統な流れを汲んでいると思う?票欲しさの
マニフェストを掲げ、有る有る探検隊ならぬ「有る有る財源」が無くとも何の反省も無く、
厚顔無恥に推し進めるところは、日清・日露から第二次世界大戦までの日本帝国軍隊と、
精神構造は、ほとんど何の違いもないのではなかろうか?折りしも、驕り高ぶって舞台に
大穴を空けるという空前絶後の大失態を演じた歌舞伎界の名門御曹司が、お詫びの記者会見
をした。チラリと拝見したが、自分の言葉なのか疑問?誰かから指導された通りに話して
いる様に思えた。この問題は「良い加減」が好きな日本人の良さを発揮して、丸く納まって
くれればいい。しかし政治的な問題は、「良い加減」から「いいかげん」にならない様に
批判精神を養い、グローバルな正義を見失わないために、努力すべきでは?如何なものか。
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明治維新の歴史認識 [歴史]

やっと、「龍馬伝」が終わったと思ったらまた、「坂の上の雲」が放送されている。
相も変わらず、明治維新を美化するドラマが国営放送・NHKで延々と放送されている。
坂本龍馬や秋山兄弟など、維新期、明治時代に立派な人物がいたことは確かである。
しかしそれなら、明治維新期に限らず、いつの時代でも個人的に立派な人たちはいた。
結局、明治初期の物語が語られる背景には、「明治維新の美化」がある。
歴史認識の一助に、明治維新の実態に関して、少し皮肉な見方をしておきたいと思う。

明治維新そのものが、自発的な活動でなかった点を充分に確認しておく必要がある。
黒船の来航などによる「外圧」に負けて、開国した当時の政府・徳川幕府と、外様大名の
権力争いというのが、正直な実態である。龍馬暗殺事件がそのことを雄弁に物語っている。
新政府となった薩長藩閥政治は、何の展望も持っていなかった。現代の民主党に似てない?
自分達の権力収奪が目的であった。その証拠には、憲法の制定に多年を要し、かつ民衆から
沸き起こる自由民権運動を抑圧し、彼らの創案した素晴らしい「日本国憲法」を踏みにじり
例の明治憲法を作った。

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」で始まる福沢諭吉の「学問のすすめ」
は、明治5年(1872)に発行された。翌年、各県が組織的に購入し、小学校用教科書として
採用されたが、明治13年(1880)に文部省は、「学問のすすめ」を危険書物に指定した。
「学問のすすめ」は、当時の発行部数で300万部以上もあったという。日本人の自立への
意思は、当初から封殺されたのである。その傾向は、現代にまでに及んでいる?

日清・日露の戦争に勝って、国民は喜んだが、これらの戦争も非常に問題がある。
日清戦争(1894-5)は当初、「清国は、韓国の文明開化に干渉する賊国であり、義戦」と
宣伝されていたが、実は明治政府が朝鮮王朝の完全支配を狙ったもの?いわば後追い
植民地主義である。この戦争が、以後の歴史の方向を決めたと言っていい。明治政府の
無能ぶり、明治維新の大きな欠点が此処にある。この後、三国干渉に国民が怒り、日露へと
至る。日露戦争(1904-5)での旅順攻撃は、乃木希典司令官が無能という事になっていたが
実は情報不足による参謀本部の作戦計画の失敗や現地参謀の独走が原因だった。
こういう課題を陸軍内部の反省として伝わらない体質こそが、本質的な問題なのである。
明治維新を美化して、第二次世界大戦のみを悪者にしても仕方ないのでは?歴史を多角的な
観点から認識して過去の課題を組織として確認・改革する事が大切と思うが、如何なものか。
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マルクスと家族 [歴史]

エンゲルス編・マルクス「資本論」の中で扱われている家族は、ほとんど18~19世紀頃の
急激な工業化・資本主義化で揺れ動く激動の時代の‘労働組織’としての「家族」である。
工業化によって、それ以前の家族形態が崩れた?そして、未成年者労働の問題等で、
当時の世間は、「親が親権を楯に、無慈悲な労働を強いた」というのに対して、マルクスは
「資本主義的搾取様式が、親権の乱用に至らしめた」と書いている。(岩波文庫二・p510)
最近の幼児虐待問題も、この論法でいけば、「資本主義が悪い」と言う事になる。

工業化以前の社会でも、子どもに無慈悲な労働を強いた親もいた。ただそれが工業化以前は
隠蔽されていただけだ。工業化後に、そういう実態が顕在化しただけである。
幼児虐待も、以前は隠蔽されていたし、様々なお節介焼きのご近所等による援助・圧力で
大きく顕在化されなかった。ある意味、親の権利を守ることで、社会秩序を保ってきた。

「資本論」を掻い摘んで読んでいると、マルクスは、資本主義を解明し、資本主義が社会の
変革契機と新たな社会の形成要素を成熟させるという。これを革命と結びつけるのは問題?
「資本論」で、マルクスは資本主義的生産の‘無政府性’という言葉を繰返すが、これは
明らかに間違っているのではないか?マルクス思想を革命思想とするところに問題がある。
「資本論」の中には、老荘思想を尊重するようなところが随所にある。従って「資本論」を
ポスト資本主義以降を、老荘思想的な理想郷の社会を夢見て書いた物と考える観点もある?

人類の長い歴史の中で、「家族」は、何度も崩壊しているが、必ず再構築されている。
現に、資本主義社会になって既に二世紀は経過しているが、未だに家族はなくならない。
NHK・TV小説「てっぱん」を見ていても、決して核家族に萎縮する方向ではなく、様々な
人間の絆を深めて、拡大する方向性を持っている。
今や、「家族」は‘労働組織’ではない。そういう観点から、親は何の権威もなくなった。
しかし、「家族」は、人間を一人前に育てるための‘インキュベータ’なのである。
どんな時代でも、「家族」が、子どもを一人前にしてきた。社会における相互扶助的な
子育ては、満足な「家族」が居ない子どもを援助し、子どもが満足な「家族」を再構築する
手助けをするだけなのである。そのためにお金も要る?しかし子どもに与えるのではない。
飽く迄、援助・支援する人々の経費などである筈だ。民主党の子育て思想は間違っている?
百年?千年?万年?老荘思想的理想郷社会を夢見るのは良いが現実と混同してはならない。
子育てする「家族」を尊重せず、軽視する考え方は、百年?千年?早い。如何なものか。
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