SSブログ

逮捕見送り記者会見'10.11.16 [社会]

尖閣諸島沖中国漁船衝突映像流出問題で、神戸海上保安部・海上保安官逮捕見送りになった
事に対し、今日行われた仙谷由人官房長官の記者会見発言は、大きな問題をはらんでいる。
第一 > 捜査のやり方に問題はないというが、捜査関係資料流出を問題にした点。
検察には文句を付けなかったが、国内の海上保安官には、文句を付けたのは片手落ち?
検察には中国船長釈放時に文句を付けなかったのだから、今回もいえるはずはない。しかし
中国船長釈放時、中国船長の当逃げに関して何も文句を付けなかったのに、海上保安官には
文句を付けたのは何故か?事実関係も明らかになっていない段階で、失礼では?片手落ち?
中国船長の悪事を承知の上で黙認したことを棚にあげて、海上保安官を責める資格ありや?
衝突映像を見て検察の釈放判断を是とし、釈放時、船長に何の注文も付けなかったのなら、
建て前上は、衝突映像には何の問題もないと、政府が判断したということではないのか?
或いは、衝突映像は周知のように漁船が体当たりして来ており、問題があるにも拘らず釈放
した検察を黙認したとするならば、映像を公開して検察の判断を問うのは当然ではないか?

第二 > 衝突映像が、捜査関係資料なのか?
再三再四 繰返すが、今回の中国漁船衝突事件は、船長釈放で、捜査の目的(犯人の逮捕)を
失ってしまっている。また衝突映像から船長は犯人であることが明白であり、本件の捜査は
事実上終了している。仮に何らかの密約で、ある期間、衝突映像を非公開にすれば、船長の
再逮捕があると仮定した場合でも、衝突映像は捜査上、守らなければならない秘密ではない。
密約は密約であって、法律上の規制にはならないのだから。密約をした人間が身体を張って
秘密を守るしかない。この点においても、民主党、および民主党政府は大甘ちゃんである。

第三 > 流出映像は、守秘義務の対象になるのか?
第二の項で述べたごとく、衝突映像は、すでに一般に言われている「捜査関係資料」では
なくなっていると考えられる。平成11年(2001)12月に奄美大島沖の東シナ海で発生した
北朝鮮工作船事件は、事件から2日後に映像公開した事実からも明らかなように、今回の
衝突映像も、「捜査関係資料」という位置づけが、根本的に可笑しいのではないか?

以上、仙谷官房長官の記者会見発言は、中国船長に篤く、国内の保安官にやたら厳しい
片手落ち!流出映像は「捜査関係資料」とし、守秘義務で保安官を責め、検察を結果的に
非難している訳で、船長釈放時と全く違う。何処の国の官房長官なのか疑わしい。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

閑話'10.11.15 [閑話]

今日は、七五三の日。そして岡山県立測候所(現岡山地方気象台)が、明治23年(1890)に
創立した記念日だという。創立120周年という節目の年に当たる。最近、気象データで色々と
お世話になっているので、岡山の最初の気象データを検索したら、1891年からであった。
入物が出来ても、適切な人材がいなければ、信頼性のあるデータは取れなかったのだろう。

話はコロリと変わるが、11/11-11/14に実施された男子プロゴルフツアー「三井住友VISA
太平洋マスターズ」で石川遼が、04/29-05/02の「中日クラウンズ 」、09/02-09/05の
「フジサンケイクラシック」についで、今季3勝目を上げた。遼君と首位タイでスタートした
藤田寛之は伸び悩んだが、3日目に‘63’という好スコアを出した。気を良くしたのか?
いつもは控えめな人が、「いまのゴルフ界は、遼くんとチーム芹澤が支えている」とコメント
して話題になった。その上に「その一番上にいるのが芹澤さん」とまで付け加えたという。
チーム芹澤とは、シニアツアーで初勝利した51歳の芹澤信雄が師匠で、藤田寛之、宮本勝昌
などが弟子である。芹澤信雄は藤田の言葉にテレながらも、弟子の言葉・成績にまんざらでも
なかった?芹澤信雄はこの大会に主催者推薦で出場していた。主な選手の成績は以下の通り
1位 石川 遼 4日間スコア 70-72-65-67=274 (-14)
2位 B・ジョーンズ  71-73-65-67=276 (-12)
3位T 宮本勝昌  68-70-73-67=278 (-10)
6位T 藤田寛之  69-75-63-72=279 (-9)
10位T 金 庚泰  71-74-68-68=281 (-7) <現在賞金王。遼との賞金差・1300万円>
46位T 芹澤信雄  76-72-69-73=290 (+2)

石川遼の稼ぎはゴルフ賞金よりも、副収入の方が多いと思うが、金ではないのである。
優勝インタビューで、「・・・・残り3戦も結果を残そうという気持を出しすぎずに、しっかりと
自分のゴルフを見つめ直して、チョッとずつでも上達しながら最終戦を終えられるように
頑張りたいと思う」と語っていた。ゴルフで戦うのは、「名声」を博し「名誉」を獲得するため
なのだ。高度な体力・技を競い、己に打ち勝つ強靭な精神力に万雷の拍手を惜しまない。
最終日・最終ホールのバーディ後のガッツポーズは最初、迷ったような控えめなものだったが
それもまた遼君の新しい境地なのかもしれない。新しいといえば髪形が最近流行り非対称の
ヘアスタイルで驚いた。「フジサンケイクラシック」の時かららしいが、その時優勝したので
験(げん)を担いだのだろうか?ならばスタイルに似合わず古風じゃな!如何なものか。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

TV小説「てっぱん」7週(意地・運・味) [物語]

今週のTV小説「てっぱん」は、展開が急でどう読み解いてよいやらわからない。そこで今週目立つ
ポイントを拾った。ベッチャー・初音(富司純子)や村上家の面々などの‘意地’。後は‘味’の話
そして‘運’である。‘意地’とは根性であり、苦しみに負けないしっかりした気持という面と
我意を通そうとする面がある。‘味’は記憶を呼び起こし、過去を振り返るヨスガとなる。過去の
経験・歴史は未来への羅針盤等と言うが、人間の記憶は整然と整理されておらずいびつだから
人間の羅針盤も狂い易い。‘運’とは、いろいろあるが人生の岐路でどんな過去を思い出すか?
というのも一つの‘運’であろう。‘意地と運と味’という視点から読み解いた。

30歳までに店を持つと言う夢を持ち、根性で実現一歩手前まで漕ぎ着けた冬美(ともさかりえ)が今週の主役である。大家である初音は懸命に夢に向かって進む冬美を自分の娘・千春に重ねていたが、自身のことも冬美に重ねていたのではないかと私は思う。冬美もまた意地の人である。
この夢の実現に向けて二度の障害が起こる。それらの障害に冬美やあかり(瀧本美織)たちが、
どのように対処していくのか?また、‘意地と運と味’が、それらの対応に影響を与えるのか?
そして、それらの様々な出来事が、互いに、影響し合うのか、或いは影響しないのか?

姉・田島夏代(久保田磨希)から“実家の親が借金を抱えた上に体調が優れぬ”という知らせの
一度目の障害は一旦断る。しかし自分の店の現実味が出てくると何十年も続けてきた両親の
苦労を共感して思いやれるようになり、迷いが出る。「あんたの好きにしたらええんや」という
初音のアドバイスは逆効果になってしまった。冬美は金のかかるショットバーの店をあきらめ
借金返済金・100万円を出す決断をした。これをどう読み解くか?
‘意地’ばかり通していたのでは、ベッチャーばあさんになってしまうと思ったのだろうか?
その後、冬美は不死鳥のごとく、金の掛らないお好み焼き屋のおばちゃんを目指す。
ここで、大家の開かずの間を借りるための大勝負(天気予報の賭け)をする。大家の思い遣りで
大家・初音は負ける方に賭けたにも拘らず、運命は皮肉にも冬美に背いてしまう。
大家は意地っ張りだから神経痛もちではじめからわかっていたと見栄を張ってしまう。
しかし、いよいよ困っている冬美に初音は、店を貸すと、援助の手を差し伸べた。
処が、ついに二度目の障害が振って沸いた。冬美の姉が、父親からの “自分の道を進む様に”
との伝言と共に、返済金・100万円を返すために訪ねて来たのだ。
‘意地’と‘運’はある程度読み解いたが、‘味’からどう読み解くのか?

続きを読む


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「くれない族」の高齢化 [大家族]

曽野綾子女史の近著「老いの才覚」に、「くれない族」という言葉が出てくる。「誰々が~してくれない。」という否定形、或いは「今度、××に連れてってくれない?」、「ついでに買って来てくれない?」という疑問形で使う人々を指すらしい。「老いの才覚」において女史は、最近の老人は、「~してくれない」(以下、「くれない言葉」)をよく使うので、そういう人を「くれない族」と密かに呼んでいると書いている。また女史は、「くれない言葉」を老化度の目安にしている。そして「くれない言葉」を使い出したときが老化の始まりだと書いている。

処が「くれない族」は女史の専売ではなかった。調べてみると、1984年に「くれない族の反乱」というドラマがあった。「くれない族」は、その年の流行語大賞の銀賞までもらっている。ドラマの主人公の主婦(大原麗子)が、「くれない族」から自立しようと頑張る物語らしい。即ち1984年当時では、36歳の主婦が使っていて、あまり不自然ではなくなっていた。そして現在(2010年)では、65歳以上の老人において、やはり頻繁に使う人々が目立つ事が綾子女史の近著から分かった。

さて「くれない言葉」は、本来、子ども言葉(甘え表現)だという。「くれない言葉」は、本来、一人前になると使われなくなる‘言葉’だった。それで、面白い事に気付いたのである。「くれない言葉」が、成人という大きな境を越境してしまったという事実である。1984年当時には、「くれない言葉」はバブル期の特殊現象に過ぎないと高をくくっていた。しかしそうではなくて、1984年当時の「くれない族」は、絶滅種ではなくて、人間の完成期に近づいている老年期まで、生き延びているという事が明確になってきた。残念ながら綾子女史の‘「くれない言葉」は、老化現象’ではなく、‘「くれない言葉」は、幼稚化現象’ということなのだ。確かに老化は、幼児化だと昔から言われているから女史の見解も妥当性はある?

私がここで喚起したい事は成人というバリア(人によって時期は異なる?)が、無くなる社会は、本当に人間社会なのか?という問題である。成人とは何か?人間とは如何に生きるべきか?それを問い続けなければならない。しかし暫定的にでも毅然として子どもに教え、子どもも家庭や社会から学ぶしかない。「法は悪法でも法」という。完璧な法等ないが、法のない社会は真ともな社会ではない。「くれない言葉」が高齢化している現象は、社会のもっとも芯となるべき裕福な家庭が内部から崩壊していることを示しているのではないだろうか?日本社会の問題は、財政の問題ではないという論拠はここにある。いくら金をつぎ込んでも、「くれない言葉」を子どもと一緒に使っている親や老人のいる家庭では、真ともな成人は生成されないのではなかろうか?如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

映像流出事件・告白or告発? [社会]

映像流出事件で神戸海上保安部の海上保安官が名乗り出た。ある新聞では‘犯罪告白’と
して取上げていた。そもそもこの事件は犯罪に相当するのか?という疑問を感じる。そこで
本事件が犯罪たり得るのか?或いは行政機関の不正を糾す内部告発なのか?を政府の対応、
国家機密、そして告白か?告発か?という、3つの視点から論じて見たい。

<第1点> 政府の対応の視点。
事件の発端となった漁船衝突問題は船長釈放で事実上、捜査は終結しており、公判が開けない
ことは仙谷氏も認めている。釈放の理由は、国会中継でも度々聴いたが、事件性が低いからだ
と言う。であるならば、何故に当該の衝突映像を機密事項にする必要があるのか?
平成11年(2001)12月に奄美大島沖の東シナ海で発生した北朝鮮工作船事件は、事件から
2日後に映像公開したのは記憶に新しい。巡視船が工作船からロケット弾などで銃撃されて
被弾する模様は実に生々しかった。今回、流された映像を見る限り、北朝鮮工作船事件と
比較しても、映像公開に、どういう問題があるか?理解に苦しむ。

「台湾や中国の漁船は我が物顔で操業し退去警告しても挑発的態度が多い。今回巡視船に
ぶつけてきたのに釈放等、法治国家としてあるべき姿なのか?」の海保の声をどう聴く?
海上保安庁はそもそも、今回衝突事件が発生した9月7日午前の段階では、映像を公開する
準備を進めていた。現場の巡視船「よなくに」から衛星通信の秘匿回線で届いたビデオ映像を
国土交通相など関係閣僚の視聴用に編集。政府が映像を基に事件の立件の可否等を判断後、
同様の映像を報道機関に提供する方針だった。それが何の説明も無く、一転非公開になった。
海保と検察の対立は明らかだ。内閣は「司法の独立」を楯に、検察の行動を黙認したが、
それでは、検察は事実上、内閣や国会の上に君臨する超法規集団になってしまう。まるで
戦前の軍部同然の組織と言う事になる。民主主義の前提は脆くも崩れ去ってしまった。
現内閣は憲法で定められた行政権を与えられていることをどう考えているのか?

<第2点> 当該の衝突映像が、‘国家機密’に相当するのか?
自民党・小泉進次郎議員が10日の衆院予算委員会で、政府資料に「中国の日本非難の
主張を退けることができる」と書いてあったとして、「中国に非があるとはっきり証明できる」と
非公開とした政府対応を批判した。民主党の原口一博前総務相でさえ、「残念で痛ましい。
政治の(非公開の)決断が『罪人』を作ってしまった。一生懸命取り締まっている人たちが
その思いを違法な形でしか出せなかった事に、大変な憤りを感じる」と職員を擁護した。

続きを読む


nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

自民党の未来? [希望]

今日発売の月刊誌「文芸春秋」十二月号を購入。一番先に読んだのが、聞き手・田崎史郎の
“小泉進次郎の初ロングインタビュー「自民党はまだ野党のままでいい」”だった。

昨日のブログで政治家の資質について書いたので、非常に興味があった。何によらずそう
だろうが、政治家の資質も、組織的に伝承してこそ、有用な人材が育っていくのだと思う。
保守本流の自民党がダメになると言う事は、政治家の様々な貴重な育成機会が失われる。
そうすれば、日本の政治そのものが貧弱なものになってしまう。そういう心配があるので
自民党の将来を占うというような気持で、記事を読ませてもらった。

進次郎氏の主張は、‘自民党の党是、「自助、共助、公助」のバランスの取れた社会’だ。
“共助”とは民間で助け合う事。それでもダメだなら税金をつぎ込む“公助”で面倒を見る。
彼は、一年生議員で経験も知識もないことを痛切に感じている。偉ぶったところはないが
自分が、こうと思う信念は、はっきりと表現しているのが素晴らしい。
以前に週刊誌で読んだが、仙谷官房長官は、国会論戦ではなかなかケンカ上手な経験、知識を
お持ちだが「どういう世の中をつくりたいか?」の質問に、「忙しいから」と逃げたという。
ベテラン政治家だから、‘腹に一物 背に荷物’。何がしかのものはあるだろう。しかし
そういう隠蔽体質では、結局、古い体質の政治家と‘同じ穴のムジナ’だと言うことだ。
有権者と政治家の関係も‘有権者のいうことを受入れるだけではダメ’と、民主党における
小沢・菅の代表選挙の事例を引いて、それを、見事にバサリと切り捨てた。アッパレ!
自分のやりたい政策理由を説明して、政治家と有権者の相乗効果を上げる政治という訳だ。

野党経験しかない一年生議員・小泉進次郎には、怖いものは何も無いかのよう。見事な
若武者振りである。世阿弥の能楽論「風姿花伝」の‘二十四五’の項に書かれている様に
「よそ目にも、すは上手、出で来たりとて、人も目に立つるなり」。しかし、それに
思い上がっては、その人のためにならない、と世阿弥は注意しているが、進次郎氏には、
いらぬ心配のようである。一時間の国会質問に三日を要するという塩川正十郎先生の教えに
自分は、頭が悪いから様々な問答を想定して、もっと考え抜くという。
私は、政治家としてもっとも大切な事は、どういう社会を形成していくかというビジョンを
実現するために、自ら考え抜き、その輪を広げていくことだと思う。如何なものか。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

冬の時代到来?-② [社会]

今日も国会中継を見て思った事を書き残したいと思う。私が政治向きの話を書く目的は、
一に日本が、世界に波風を起こさない事を祈るからである。それ以外に決して他意はない。
私が聴いた質疑者は町村信孝(自民)高市早苗(自民)赤澤亮正(自民)等の議員諸氏だ。
議員諸氏に対する菅首相や大臣の答弁から、民主党と、その内閣が如何に無知であるかが
さらけ出された。以下の各氏の質問に対する答弁を読んで頂くと分かるはずだ。思い出すに
戦前、日本軍が、中国とことを構え、緒戦に勝ったからと行って侵略を続行した理由もまた
広大な中国大陸、そしてロジスティクスに関する無知であった。無知ほど怖いものは無い。
権力を握ったものが無知にも拘らず、民衆が支援した場合の悲劇が、もう忘れられている。

町村議員の質問では、「コンクリートから人」のキャッチフレーズが僅か1年でオシャカに
なった問題、及び普天間基地問題解決のために首相がどんな活動をしたのか?という問題が
私にとって重要なポイントだった。「コンクリートから人」という民主党の大看板が1年と
もたなかったと言う事に、日本人はほとんど関心がないのではないか?そういう忘れっぽい
(ある意味で非常に楽天的)国民性が、知らぬ間に日本を地獄に落すのである。

普天間問題で菅首相は何をしたか?と問われて懸命にオバマ会談などをやったと息巻いた。
それに対して、町村議員は、「あんたは間違っている。沖縄県民に何も働きかけていない」
と厳しく指摘した。鳩山前首相の最後っ屁のような「日米合意」を遵守すると言いながら
沖縄県民に何をしたか?何の働きかけもしないで、安閑としている。これでは、普天間の
解決の目途が立たないのは当然だ。菅首相自身が、誰かに人頼みではどうしようもない。
堕落した組合幹部や政党指導者などをダラ幹というが、菅首相は人間としても今一の人?
即ち、“ダラ幹”の“ダラ菅”と呼んでも良いのではなかろうか?

高市議員は尖閣諸島沖の漁船と海保艦艇との衝突事故に関して、検察判断に任せた事への
問題提起で、領海内韓国漁船の取締と今回の中国漁船との違いを、具体事例で追及した。
この点は非常に大切で、こんな事を検察が勝手にするなら日本は法治国家ではなくなる。
赤澤議員は、TPP協定に関して、民主党、菅首相がまったく準備不足、知識不足であるにも
関わらず、先走って所信表明演説に盛込んだ事を厳しく追及していた。同議員への応答から
民主党と、その内閣が如何に無知であるかと言うことがさらけ出された。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

冬の時代到来? [閑話]

昨日は立冬だった。冬の入り、冬きたるともいうが、このところ暖かな日が続いている。
どちらかというと、やっと秋らしくなったという感じがするくらいである。
今日は「いい歯の日」というらしい。私は「悪い歯の人」。いよいよ厳しくなっている。
私も冬の時代になってきた?民主党政治の日本も「冬の時代」?それも春も来ぬ?

“秋の日のヴィオロンの・・・・”という詞で有名なヴェルレーヌの「落葉」になぞらえれば
「げに我は うらぶれて さだめなく散る落葉の様に 抜け落ちる“歯”の人かな」
というところだろうか? しかし、これは「いい歯の日」に対する皮肉であって、決して
私は自分の歯に対して不足を感じているのではない。頑張ってくれている歯たちに感謝!
私が皮肉りたいのは、「いい歯の日」を作った歯科医師会である。
歯の健康管理に関しては最近まで迷信まがいの俗説が横行していた。それは一般の人々の
歯の大切さに関する認識の希薄さ、文化度によるのかも知れない。しかしそう言うことを
改善するのが医者の役割ではないのか? 現に他の医療分野ではそういう改善は早くから
なされてきた。歯科医師会は何か、悪い意味での古い体質が残っているのでは?

もう少し、憎まれ口を叩きたい。今日の午後の衆議院予算委員会の国会中継において
自民党・元防衛大臣の石破議員が、与党・内閣を厳しく糾弾していた。だが詰めが甘い?
私としてはもっと厳しく追い込めないものか?と思った。しかし散歩しながら考えた。
野党の立場として、党利党略のために追い詰めることは可能でも、それが将来の日本に
有益でなければ意味がないと、石破議員は考えているのではないか?
石破議員は与党経験が長く、日本のためという観点から真摯に政治に取組んできた?
今まで、党内抗争、与野党間の駆引き等で、苦渋を舐めさせられ、悔しい思いをした
経験も豊富にあるだろう。だから民主党や内閣の立場も勘案し、紳士的に振舞った?
私は、その様に推測する事によって、石破議員の態度に納得がいったのである。

それに対する民主党内閣の菅首相や仙石官房長官の答弁は、自己弁護に終始している。
それだけでなく、いかにも自民党政治がダメな証拠とでも言いたい様に、自民党時代に
出来なかった不備な点をあげつらっている。国民が見ているにも関わらず実に見苦しい。
石破議員の爪の垢でも煎じて飲めば!民主党の支持者というのは、そういう表現で民主党が
立派だと判断するほど低級レベルなのか?それなら文字通りの「衆愚政治」。如何なものか
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

TV小説「てっぱん」6週 [物語]

今週の「てっぱん」は、「家族のつくりかた」という題であり、家族のつくりかた、生き方
という観点から、既に二度も取上げているので、今日は少し違った観点から取上げたい。
今日の観点は、「人間の変容(成長、改心、認識等)」ということである。人間の変容には
肉体的・外見的と、内面的・心理的なものがあるが、ここで取上げるのは心理面である。
夏休み、長兄:欽也(遠藤要)に誘われて尾道に合宿にいって、大阪の下宿に帰宅した
駅伝君・滝沢薫(長田成哉)が、村上家を“暑苦しい家族”という表現で褒めていた。
村上家は、家族の生き方とその心理的変容から「家族のつくりかた」を学ぶ好事例である。

あかりの母・真知子(安田成美)が、家族(子どもら)について語った時の言葉
“苦労のないんが幸せじゃろうか?・・・中略・・・子ども達は自分からしんどい道を選んでいる”
というのは、久太(柳沢慎吾)の“わしは、加奈に苦労させとうない”というのと、
心理的次元が違う。どちらが正しいか?等という事ではない。
二人には、“苦労”に関する認識に、大きな違いがあるのではなかろうか。

もし真知子が他人の子どもを育てる事を“苦労”と思うなら、あかりを育てなかっただろう。
あかり(瀧本美織)を育てる事によろこびを見出したから育てた。あかりを育てるキッカケと
なったのは、あかりの父・錠(遠藤憲一)が赤ン坊のあかりを抱いた時の「可愛いのう!」の
一言だったと、真知子は言っていた。錠と真知子は互いを信じあい、共にあかりを育てる中で
貴重な経験を積んだ。錠の“子どもの力になれるんは外の誰かではなく家族!” という
家族の存在も、世間の“苦労”を乗り越えてなされる「人間の変容」を助ける。あかりと共に
村上鉄工所の家族全員が、苦労というものの幅広い意味を学んだのだと思う。錠の言った
「子どもの力になる」というのは、助けられた人だけではなく、助けた人にも、大きな力と
なって返ってくる。そういう貴重な体験を他人に譲るのは勿体ないという発想が大切では?

今週のクライマックスでは、あかりが「開かずの間」の真の意味を読み解いた。
「開かずの間」は、子ども(千春)が去った悲しみのためではなく、初音(富司純子)が
千春を育てた母親の時間、思い出を大切に守るためだったのである。しかし既に千春の死
を知り、新しい孫のことも知った以上、再び歩き出さねばならぬ! その転換が難しい。
ともあれ、個人と家族の心理的変容という点から「家族のつくりかた」を読み解いた。
如何なものか。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

尖閣衝突映像 [社会]

尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオ映像が流出し、TV(NHK含む各局)ニュースで
一般公開された。その長さは44分に及ぶ。政治的な駆け引きでスッタモンダした末に
やっと国会で公開されたビデオの長さは6分少々というから、完全に国会は虚仮にされた。
自民党の塩崎恭久議員は、「国家の体をなしていない」、「政府がもっと早く公開して
いれば、こんなことにはならなかった」と指摘したという。

私は、この事件を、「情報」という観点から、少し考えて見たいと思う。
私は、現役時代、計算機を利用した「情報技術」の世界を長く経験し、感じた事がある。
それは日本人の「情報」に関する一般的な考え方が、欧米のそれとは大きく異なるのでは?
という事である。一番端的な表現は、「計算機にある情報には価値がない。」という。
経営上、商売上で決め手となるのは、誰も知らない情報であり、それこそが価値があると
言うわけだ。恐らく仙石らが映像を隠蔽したのも、目先の利益を考えた姑息な考えでは?

欧米は、「情報」は「公開」が原則。公開と非公開の境界は相当明確になっている。
欧米企業が階層構造からフラット構造に変革されたのは、計算機を使いこなしたからだ。
基本的に、同じ「情報」を使って競争する、即ち、同じ土俵で相撲を取ると言うわけだ。
日本では計算機も普及し、組織も簡素化したかに見えるが、関連企業、派遣社員などと
結局は、複雑な階層構造になっているのではないだろうか?
日本が格差社会というなら情報格差なのである。同じ会社の社員でも、経営情報の大切な
情報は、社員階層によって細かく区分され、同階層でも曰く言いがたい人間関係で仕切る。

なぜ、この様な違いが出来てしまったのか?以下は私見だが明治維新のセイではないか?
そもそも情報生産の源流である学問は神の摂理を読み解くものであり、近代化の思想と
相携えて、人類の解放という理想に燃えて、科学が発達し、情報技術が発達した。
然るに、日本では、諸後進国と異なり、「和魂洋才」という便利な考え方を編み出して
科学技術情報を、“金儲けの道具(富国強兵用)”として取り入れた。確かに最初は
うまく行った。まだ「和魂」は健在だったから。しかし現代は、「和魂」も「洋魂」も
なく、金儲け主義に走り、情報格差社会を現出しているのである。今回の流出事件は、
情報に関する日本の歪みが極限となり、破壊にいたるまでになったという兆しでは?
民主党の政治は、実に古い型の政治である。小沢一郎だけではない。如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。