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続・TV小説「てっぱん」5週 [物語]

今週の「お母ちゃんの味」最終日は、かつお節会社社長・浜野(趙珉和)と事務員・小夜子
(川中美幸)とのかりそめの母子関係が始まるキッカケとなった“不味いお好み焼き”の味
で締め括った。「お母ちゃんの味」は思い出の味。そして、“思い出の味”は「愛」の味。
味覚と共に「愛」を感じるとき、その味は、不味くとも“思い出の味”として残る?
それを味わう時、「愛」が甦るのである。浜野と小夜子のもめごとは丸く治まった。

私は、味覚は思い出によって形成されると思っている。
会食や喫茶を楽しみながら、「愛」を感じるとき、楽しさやよろこびを分かち合う時、
その味覚は、その人にとって忘れえぬ味覚となる。その味覚に出会った時、その当時の
情景や感情が甦ってきて、嬉しくなるし、感動する場合もあるだろう。
逆に嫌な、侘しい、詰らぬ体験と共にした味覚は、どんなに美味しい飲食物も、良い印象
は無いのでは?その当時の味覚に出会っても、恐らく余り美味しいとは思わないだろう。
だから味覚には、客観的な尺度は無いと思う。
人々の人生が、様々な経験によって多彩なように、人々の味覚も多様だと思う。

今日の浜野が作ったグチャグチャのお好み焼きは“不味い”という事になっているが、
私は、そこそこの味だと思う。「思い出として残る味」は、その本人にとっては
忘れえぬ味覚であり、世界一の味であっても、赤の他人には、普通なのである。
それが、あかり(瀧本美織)の育ての母・真知子(安田成美)のダシ巻卵の味なのだ。
あかりにとっては世界最高でも、社会科見学に来た小学生にとっては普通の味だった。
それでも前回の見学時には捨てて帰った“かつおダシの素”を、その日は全部持ち帰った
というのだから、普通というのは素人としては高いレベルということではないか?

初音(富司純子)が、あかりのダシ巻卵が、冷えた時のダシの滲み方まで計算に入れた
ダシの取り方のことを言っていたが、その辺が、素人とプロとの境界なのではないか?
あかりが、後でそのことを何故教えてくれなかったかと、初音をなじったが、初音は
「お母ちゃんの味」を信じ込んでいるあかりに言っても、受入れないことを知っていた。
プロは、思い出の味、それも世界で一番と思っている「お母ちゃんの味」に勝てないこと
を良く知っているのだ。高価な料理や、贅沢な余暇が、人生にどれだけの意味を持つか?
人生の意味を探し、独自の人生を創造する為に、多くのお金は不要では?如何なものか。
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