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閑話2010.10.08 [閑話]

今日から二十四節気の一つ・寒露。寒露は秋の深まりを告げるとされる。夜露に冷たさが加わり、
秋もいよいよ本格的になる頃ということである。今年は昨日までの一週間ほとんど夏日だった。
今日は雨が降り、気温もそれほど上がらず、秋らしい季候だが、秋が深まるというには早い?

さて昨日のブログ「京都散歩2010.10月」で、今回の散歩企画は、サスペンスドラマ・浅見光彦
シリーズ「崇徳伝説殺人事件」の再放送を見て印象に残った崇導神社が発端だと書いた。
従って昨日は崇徳上皇に因む神社として、その雰囲気のことを書いたのであるが、崇導神社の
栞を改めてよく読むと、崇導神社は、崇徳天皇とは異なる人を祀っている事が分かった。

崇導神社の祭神は、早良(さがら)親王。藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され、淡路島に
流される途中、無実を主張し絶食死した。その後、桓武天皇の近親者の死、悪疫流行が相次ぎ
親王の祟りということで、怨霊を鎮める為に延暦19年(800)に崇導天皇という追号を送った。
崇導神社の創祀年代は不明。貞観年間(859-877)ではないか?と栞に書かれている。

崇徳天皇は、在位期間:1123-1141年。保元の乱(1156)の首謀者。流刑地は讃岐・坂出。
様々な経緯があるが、1164年に流刑地で死去。白峰山に葬られる。様々な世情不安等
により、怨霊伝説が生まれた。崇徳上皇は、彼なりの倫理観、義によって世を正そうとした。
従ってその考えを入れられない事に強い不満を感じていたようである。神仏の加護を信じ
経典を写経して、罪を許してもらおうと努力した。1183年に崇徳上皇の遺児が、上皇の血書
した経典を都に持込んだという話もある。

崇徳上皇の怨念話は、彼の時代が、貴族社会から武家社会への大転換時代であったために
社会不安は恐らく想像を絶するものがあったのではなかろうか?為政者や既得権者の意図が
働いたのかどうかは分からないが善良な民衆は、怨霊話で納得するしかなかったのでは?

現代は、早良親王や崇徳上皇の時代とは千年前後の時空を超えた科学万能の社会。怨霊など
居ようはずもない?本当にそうだろうか?科学を信じ、見えないものを信じなくなったが、
その代わり、科学が生み出した“バーチャルな世界”、架空の世界にのめりこんでいる。
これって、結局、実体のないもの(昔で言えば目に見えないもの)を信じているのでは?
現代の庶民もまた、“バーチャルな世界”で納得するしかないのか?如何なものか。
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