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43rd結婚記念日 [大家族]

今日は、靖国神社の秋の例大祭、統計の日、そして我々夫婦の43rd結婚記念日である。
何の脈絡もないが、個別に少しずつ話題にして、今日のブログとしたい。
靖国問題に関しては、2008-05-11と12の“映画「靖国」”(中国人監督)のブログで少し論じた事
がある。当時、私はその映画が余りにも独善的な解釈であるように思えた。だから、敢えて私は
高い次元の話として、日本人が受け止めて考えたらどうかと書いた。最近、日中関係が悪化し、
若い人たちの反日感情が結構、強いと感じられる。現実のパワーポリティクスの次元である。

2008-05-12のブログに書いた、高校時代の友人T君の“文化大革命”の悲劇を思う時、中国の
革命思想に非常な脅威を感じる。彼らの革命思想は、煎じ詰めると弱肉強食の思想に過ぎない。
複雑な多民族国家・多部族国家で、それら民族間・部族間の覇権争いに過ぎない。彼らが民主
主義を受容するためには、まだ長い年月がかかるだろう。そういう状況の中で共産党一党独裁
全体主義国家が、民衆を抑圧しながら、強大な経済力を手中にしてきた訳である。そして国民
の中に大きな経済格差が生じた。云わば時代遅れの大群集が、“文化大革命”の時と同じ様に
革命を叫んで暴れまわる時に、今度は、中国国内に止まらず、周辺諸国にもトバッチリがある?

今年の「統計の日」のポスター標語は、『この国の 確かな選択 支える統計』だという。
小沢元幹事長が自党議員の多数を含む600人に及ぶ大旅行団を組んで中国表敬訪問したのは
何の意味があったのか?民主党は、時代遅れ群集をただ、日本製品を買ってくれる羊のような
顧客と思っているのだろうか?“映画「靖国」”や、“文化大革命”の実態をきちんと把握している
のだろうか?隣国の眠れる竜が起きてきたのに、一国の政治を預かる政権政党が、何の見識も
なく左顧右眄している様では、国を傾けてしまう事になるだろう。『この国の 確かな選択 
支える事実』。的確な事実をしっかりと把握しないと、的確な選択はできないと思う。
20101018140星野.jpg(写真は星野仙一記念館ショップ)
ともあれ43rd結婚記念日の今日は、その日から共に家庭を築いて
きたパートナーへの感謝の日。先日大阪阪神百貨店のタイガース
ショップに寄って孫達に買物をしたのだが、その母親である娘の
誕生日の贈物購入を忘れていた。今日は当地の美感地区にある
「星野仙一記念館」ショップに行ってみた。品揃えは阪神本店に
比べるべきもないが、求めるサイズのユニホームを入手できた。妻への贈物も無事購入。
目出度し、目出度し!日中関係も好転しますように!如何なものか。
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続・TV小説「てっぱん」3週 [物語]

あかり(瀧本美織)は就職先の倒産で路頭に迷い、尾道の家族に心配をかけまいと母(安田成美)
と親友・篠宮加奈(朝倉あき)に連絡するも、父(遠藤憲一)には内緒になっている。かつお節会社
に就職するも、かつお節削り職人・神田(赤井英和)の下宿紹介先は初音(富司純子)の家。下宿
先では当初、祖母・初音から部屋がないと断られる。だが家族と話が通じている事を条件に初音
は、強引に初音の私室に入りたいと頼むあかりに折れた。あかりが言い出したら、後に引かない
性格を自分の娘・千春に重ねていた。(あかりは初音に酷似していると、私は思う)

あかりが初音の家に住み、小さな衝突はあるものの祖母と孫との交流は徐々にだが深まった。
しかし尾道では、あかりの現状が父・錠に知れる事になった。あかりが初音の家に住む事に
父・錠が反対する理由や、あかりを手元から離したくない理由は良く分からない。
父娘の絆に不安があるのか?単に古いタイプなのか?父娘の関係もなかなか難しい?

今日の放送であかりの両親が突然、下宿先を訪問。父・錠が「大阪に居るから面倒な事になる」
と、尾道に連れて帰る。ナレータ(中村玉緒)“随分前にも同じ事がおましたなぁ”と、娘・千春の出て
行った時の回想シーン。初音:「またしくじってしもうた。」。このセリフは何を意味するのか?
私の推測では初音はあかりの自主性に任せてもあかりは両親を説得して大阪に残ってくれると
考えたのではないか。そして孫とむいたそら豆を拾い初音は大阪での孫との交流を回想し、
あかりの後を必死で追いかけてゆく。その追跡シーンを写しながらのナレータの語りがいい。
“21年前、千春が18歳で出て行った道。初音が意地でも追いかけんかった道です。”

追いついた初音はあかりに向かって、「うちの忘れもんや 一言いわせてんか」と切り出す。
「あんたは言いましたな。尾道でしか生きられん子と違う。大阪で立派にやって行けること見てて
欲しい。あれははったりか?」、あかり「はったり違う!あれは本気で・・・」と、「そやったら何で
逃げだすんや」と初音、あかり「うちが大阪に居るとややこしい事になるけん」。初音はそこで思い
を語る。「尾道に帰ったらあんたの背負ってるもんが消えるんか?」続けて「あんたはうちのせいで
背負いたくもないもんを背負わされた。知ってしもうた事は知らん事にはできん!
あんたもうちもや。」 あかりも、尾道に帰っても背負ったものから逃げられず何も解決しない事に
気付き、大阪に残ることを決意した。最後、あかりの母・真知子は初音に「うちの娘をよろしく
お願いします。」と挨拶。磐石の母が付いているからこそ、あかりは背負い切れないほどのものに
も対峙できるのだろう。そして初音は、ついに“意地”の世界から一歩を踏み出したのである。
“勇気ある一歩”である。どんな世界が啓けるのか?ベッチャーの成長に注目!如何なものか。
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TV小説「てっぱん」3週 [物語]

今週の「てっぱん」は、展開に無理があり、何となく分かり辛い。
そこで今回は、最近、ずっと話題にしている“真摯さ(貪らぬ正直・誠実さ)” から見たら
「てっぱん」は、どんなドラマなのか?を考えて見たいと思う。

あかり(瀧本美織)の父・錠(遠藤憲一)、母・真知子(安田成美)は決して貧乏ではないが
路頭に迷うあかりの母・田中千春(木南晴夏)を助け、死後は遺児を我が子として育てた。
錠は、汗にまみれ、油にまみれ、鉄屑に汚れて、毎日、懸命に働いている。
祖母の田中初音(富司純子)は、下宿人から煙たがられ、開かずの間に入ったあかりを
張り飛ばし、事故に会ったと聴いて駆けつけたあかりに「おばあちゃんと呼ぶな」と怒る。
まさにベッチャーだが、安い下宿代で皆を助けている側面もある。あかりの就職先の
かつお節会社の社長・浜野一(趙 珉和)も貪欲さには縁がなさそうだ。かつお削りの職人・
神田英治(赤井英和)も大工・長谷川伝(竜雷太)も貪ることには縁がなさそうである。
こうして、“真摯さ”という側面で「てっぱん」を見るとき、今時、珍しく、貪欲を嫌う
人間達がドラマにいっぱい出てくる話であることに気付く。表面は厳しく、冷淡で不愉快な
人間に見えるベッチャー祖母が、これからどのような人間性を発揮するのか?見ものだ。

P.F.ドラッカー(1995年死去)は、1995年のインタビュ著書「ドラッカーの遺言」の中で
J.P.モルガンの言葉「トップの人間が一般社員の20倍以上の給料を得るようであれば、
それは誤った経営だ」を引用している。そして“スーパー経営者達の得る高額な報酬ほど
恥ずべきものはない。“と書いている。

日本でも近年、大企業の経営者で1億円以上のボーナスを得る人を公表するという制度が
議論になった。その結末は知らないが、そういう制度も悪くはない?実力で得た所得は
高額で何が悪いか?とふんぞり返る芸能人やスポーツ選手、経営者などは偉いのだろうか?
まあ、そのような人種が、貪欲でも、高額の寄付をする善行の人でも気にしないというのが
日本における立派な庶民の証かもしれない。日本は、個人情報保護など、「開かれた社会」
にいまだなっていない。それは長い時間をかけて、徐々に進めるしかないのかも知れない。
そういう観点から、小沢一郎の国会証人喚問や政治倫理審査会の開催に慎重であるならば
理解できるが、政治倫理が、法律だけを正義・不正義の基準とする狭い了見なら問題である。
スーパー経営者の高額所得と同様、政治倫理も多角的評価が必要では?如何なものか。
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祝-チリ鉱山事故救出 [希望]

今日は気持のいい日である。
チリ鉱山落盤事故で、地下700mに閉じ込められた33人の人々が日本時間の今日午前中、
全員救出されたという。8月5日以来、69日が経過したにも拘らず、全員が生還した。
奇跡というしかない。朗報に世界中が湧いた。心から関係者の人々を祝福したい。

8月5日事故が発生した2日後、再度落盤事故が起こり、一時、救出の見込みが断たれた。
紆余曲折があって8月25日にチリ当局者が救出に数ヶ月かかると鉱山作業員に伝えたと言う。
私は、そういう時点で、全員救出は困難ではないか?と心配した。その理由は、
1) 地下環境の中で既に20日を経過しているのに、なお数ヶ月は肉体的に難しい?
2)33人という人数からして、落伍者の確率が高いのではないか? 等である。

私の心配は、喜ばしくも杞憂に終わった。私の心配の何が間違っていたのだろうか?
1)鉱山作業員の体力に関して、完全に読み誤った。恐らく一般人と異なるだろう。
2)チリの人々の信仰心を含む精神性という面を理解していなかった。
3)このような極限状態におけるリーダや精神的支柱(長老や牧師)の重要性を見落とした。
4)非常時においては体力のみでなく、楽観的な考え方のウェイトが高い点を見落とした。
5)チームワークで、人々が助け合う事により生み出される大きな力を過小評価していた。

この事故と救出という世紀の出来事は、自分の体力や精神力をベースに考えていた私の
愚かしさ、そして人々の信仰を介した絆の強さを、嫌という程、思い知らせてくれた。
私は、「信仰を介した絆」というものを、ドラッカーの「真摯さ=integrity」と解する。
今回の極限状態におけるリーダや精神的支柱(長老や牧師)の働きは、必要以上を欲せず
正直・誠実であるという資質が備わっているからこそ素晴らしい成果を得られたのでは?
各作業員を含め、神の前で人間は平等であるという信念により、この奇跡は達成できた?

この世紀の救出劇は、現代人が失いつつある「真摯さ=integrity」が原動力であった
と言えば、日本では牽強付会を免れないだろうが、私は敢えて、そう言いたいのである。
現代人が失いつつある「真摯さ=integrity」は、社会の基本であったはずである。
それがチリの奇跡の救出によって、大切さが見直されても決して可笑しくないだろう。
これから生まれる様々な伝説や神話の中に「真摯さ=integrity」を!如何なものか。
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エッセンス指向 [社会]

最近、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」と
いう本が、100万部を突破したと言う情報をどこかで小耳に挟んだ。何となく気になって、
先日、旅行先の時間調整時に、本屋で立ち読みをした。ざっと斜め読みして、中々面白い!
もっと読みたいと思ったが購入する元気はなかった。
昨日のブログで“我々はやたら急いでいるが、幸福(不幸)や理想は簡単ではない。・・・」と
書いた説明をするために、この本のこと思い出し、取り上げたいと思った。

この本は、ドラッカーの『マネジメント』という本がなければ、おそらく生れなかった。
この本の魅力は、ドラッカーの深い思索から生み出された、汲めども尽きぬ智慧のお陰なのだ。
彼は、経営学、社会学の専門と言う事になっているが、彼の思索は非常に広い領域にわたる。
実践的であり、「顧客指向のマーケティング」という概念でくくられて有名になったが、
彼の言わんとする事は非常に深い。だから1974年発行の「マネジメント」が今も生きている。
分かりやすく言うと、ドラッカーの思考の根底には「もし高校野球の女子マネージャー・・・」の
中に出てくる“真摯さ”という言葉に集約できる「生き方」が横たわっているのである。
ドラッカーは、“真摯さ”=integrity(必要以上を欲せず、正直・誠実であること)を
生き方の根底に持って、如何に社会を良くしていくかを、生涯を通じて追求したのである。

人の幸福(不幸)の問題を考える時に、この“真摯さ”が大切である。今日の国会中継での
論戦でも、実は個人も企業もあるところには沢山お金はあるという。それなら何故、国家財政
が破綻する様な借金迄して景気対策しなければならないのか?誰が本当に困っているのか?
本当に困っている人にピンポイントで支援すれば良いのでは?“個人も企業もある処には
お金は沢山ある”というのは、日本の多くの個人や企業は真摯さがないのではなかろうか?
欲張り集団国家ではないか?今日も自民党の西村議員が、この予算の乏しい中で、何故、
子ども手当を高額所得者まで配布しなければならないのか?と問題にしていた。

小室直樹著「悪の民主主義」で、日本の民主主義は本来の意味から全く正反対に逆転している
ことを解き明かしている。丸山真男も「民主主義をめざす努力の中に民主主義は見出される」
と言っている。民主主義は日本のように与えられるものでも、完成したものでもない。日々、
幸福とは何かを、問い続けながら、長い長いスパンで日々努力し続けて始めて手中にできる?
先ずは、議員も、官僚も、検察も、“真摯さ”を取り戻すべきではないか?如何なものか。
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携帯と農業 [社会]

昨日、4年数ヶ月使用していた携帯が壊れ(カメラの映像はとっくの昔おかしくなり、最近は
画面に幾筋もの白線が流れよく見えなくなっていた)、時間に余裕があったので買い換えた。
それにしても携帯も高くなったものである。5~6万して月賦販売(無利子)になっていた。
勿論、私はそんなものは購入しない。店員さんに買い得品を尋ねたら何と9千8百円という。
何せ廉価販売期限は10/11で、最終の在庫との事。韓国製ではなく国産N社製だった。
娘に電話で聴いたら、“良いんじゃないの”との返事。それで即決定。

新しい携帯を使いこなすのは容易ではなさそうである。豊富な機能が用意されている様だが
自分の使いたい機能にたどりつくのになかなか慣れない。何故、標準化しないのだろうか?
昔「ドッグイヤー」というブログを書いたが、どうもドッグイヤー等という生易しいものでは
なさそうだ。今日の散歩の最中にその事を思い出し、何と表現すべきか?考えた。
考え付いたのが、「マウスイヤー」、そして「バクテリアイヤー」。繁殖力旺盛なものが、
成長速度も速そうだという安易な思い付きである。帰宅後、インターネットで調べたら
私の安易な発想が、結構、世の中でも使われている?あまり流行はしていない様だが。
ドッグイヤー以降、日進月歩が早まることを、そんなに歓迎しないムードがある?だから
「マウスイヤー」、「バクテリアイヤー」は、流行らないのではなかろうか?
大体、繁殖イメージのマウスやバクテリアは、人間にとって好感の持てるイメージではない。

今日の散歩中に、何軒もの農家の稲刈りの光景を見た。田んぼの半分位は、既に刈取りが
済んでいた。昨日までの3連休で、急に刈取った田んぼが増えたような気がした。
4月の苗作り、5~6月の田植え、10~11月の稲刈り。稲作は、まさに人間イヤーである。

我々はやたら急いでいるが、幸福(不幸)や理想は簡単ではない。人類よ何処へ行く?
理想とは何か?幸福とは何か?我々人間は、何万年或いは、何千年の歴史を積重ねてすら
この子どもにも分かるような課題に関して、実は、何の確たる答えも持たないのである。
然るに、国会中継を見ていると、政治家がさも国民の幸福、国民の理想を理解しているか
のように偉そうなことを言って、社会を我が物顔に動かしていこうとする。何も深い事は
考えず、重大な役割を担っている事に対する謙虚さもない。ただ党利党略や選挙民・世論
の人気取りのマーケティングだけ、私利私欲だけで政治をしている。検察然り、官僚然り。
然り而して国民は、当てもなく世界の動きに迎合し、慌てふためき、やたら走り回る。
付和雷同組以外に、ジックリ考えてことを進める立派な人は居ないのか? 如何なものか。
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三日月と衣替え [閑話]

昨日は、朝方は曇っていたが、次第に晴れ上がって夕方には、ほぼ快晴になった。
合唱の練習が、午後の時間を食いつぶすので、日課の1日1万歩のノルマを達成するために
17時頃にスロージョギングを織り交ぜた散歩に出かけた。いつもの最初は、東に向かって
モスバーガーのある通りを少し北上し、とある寺院を通り越した処を左折。西に向かう。
西に向かって進む頃には既に日没を迎え、西の空にくっきりと三日月が輝いていた。
三日月を仰ぎ見るのは、随分と久しぶりのような気がした。
新月と“上弦の月”の間の広い範囲の月相を広義には三日月と呼ぶらしいが、昨日の月は
正真正銘、陰暦の三日の月だった。眉月(まゆづき)、繊月(せんげつ)とも呼ぶように
絵に描くよりもずっと繊細で、なにかすぐ壊れてしまいそうな頼りなさがある。
日没直後は、青い空に薄く浮かび出て、背景の空が徐々に濃さを増すごとに輝きが増す。
家に着く直前に、近くの里山にアッという間に沈んでいった。
◎ 夕月は 幼き頃の 思い出か

最近の気温を調べると、倉敷では、二十四節気の一つ・寒露が始まった10月08日、09日は
最高気温が25℃を下回ったが、昨日、今日とまた、最高気温が25℃以上の夏日になった。
現代の衣替えは、6月1日前後が、合服から夏服、10月上旬が夏服から合服へ衣替えの様だ。
現在は、官公庁やそれに関連する企業・団体、それに制服採用の学校等が守っている様だ。
先日も、訪問先の神戸新聞が、ある私立女子中・高一貫女子校の10月4日からの衣替えを
報道していたが、当日は夏日。学生達の感想は、「汗だく」、「汗だく」、・・だった。
倉敷の10月の一昨年(2008)の夏日は、10月上旬・6日、中旬・5日、下旬・2日だった。
2007年は、10月12日まで9日を除き11日間、夏日が続いたが、以後は夏日にはならなかった。
将来10月の夏日が中旬以降も多くなるようだったら、服装にうるさい学校や勤めは大変!
と思う。何せ私などは、今日も夏とまったく変わらぬ服装で散歩している。

前のブログ円の集い日記”の「2007-10-11衣更え」の記事に作った歌を再録したい。
◎ 空は秋空 日差しは夏よ 歩く私は夏姿
  風は秋風 稲穂は黄金 道行く人は秋姿
  道路に車 野には蝶 歩く私の口に歌
  風は秋風 日差しは夏よ 歩く私は汗をかく
奇しくも同じような感想を、三年前の同じ日に記していた。如何なものか。
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義理と人情 [物語]

今度のNHK・TV小説「てっぱん」を見ていて、“義理と人情”という言葉を思い出した。
今週の「てっぱん」は、あかり(瀧本美織)が尾道での就職に拘り、父・錠(遠藤憲一)や
母・真知子(安田成美)等家族に内緒で、卒業演奏会を欠席して、就職試験を受けにいく。
その後、あかりと演奏会の終わった親友・篠宮加奈(朝倉あき)とが、岸壁で二人きりで話す
場面が重要な意味を持っていると思った。加奈は、演奏会を欠席してまで尾道での就職に拘る
あかりが理解できないと嘆いた。そこであかりは養子であったという衝撃の事実を打ち明ける。
あかりは言う。「本当の子ども、本当の妹の様に育ててくれた。それって凄いことじゃろ。
感謝せんとね!」。この感謝の気持は、義理の仲とか、血縁とかを超えて大切なものでは?

この後、母・真知子は、ベッチャー・初音(富司純子)を大阪に尋ね、そこで、あかりから
掛ってきた電話で、初音があかりに「恩返しせなあかん」と念を押しているのを聴いて、
真知子はあかりのこだわりの原因が、祖母の教えであったことを了解するのである。

ベッチャー祖母の初音は、村上錠・真知子夫婦に、娘が大変なお世話になっている。
あかりの母の母親として、村上夫婦に大きな義理・恩義を感じなければならない立場にある。
まさにベッチャーは、思いがけないかわいい孫と一緒に暮らしたい “人情”と、夫婦への
“恩義”との板ばさみ状況なのである。礼儀知らずのベッチャー祖母でも、義理・恩義を優先
するから、あかりに尾道から一歩もでないで、育てた親、兄弟に“恩返しせなあかん”!と
教え諭すのだ。しかし孫のあかりに自分の失敗の尻拭いをさせるのは筋違い。おかしい!

真知子が素知らぬ振りして大阪から帰った後の誕生日の宴で、あかりが尾道にこだわる理由を
家族に説得している場面が、大変に印象的だった。
長兄:欽也(遠藤要)が、「お前にとってこの家族は、必死でしがみついていないといけん位
そんな危ういもんなんか?」と厳しく問い詰める。そして母・真知子も、「あんたに返して
もらわんといけんような恩は、これっぽっちも売った覚えはないけんね!」と啖呵を切る。
その時、次兄:鉄平(森田直幸)が、「かあちゃん、あかりは恩返しなんちゅう言葉、一言も
口にしとらんよ!」といった時の、真知子の仕草が面白かった。
これだけ本質を突いたストレートな対話が出来るのは素晴らしい。本当の「感謝」は大切だ。
その感謝のこころを支えるものは、磐石の信頼がおける人間関係である。そういう人間関係の
構築は、人々の日々の弛まぬ努力と心がけではなかろうか?如何なものか。
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閑話2010.10.08 [閑話]

今日から二十四節気の一つ・寒露。寒露は秋の深まりを告げるとされる。夜露に冷たさが加わり、
秋もいよいよ本格的になる頃ということである。今年は昨日までの一週間ほとんど夏日だった。
今日は雨が降り、気温もそれほど上がらず、秋らしい季候だが、秋が深まるというには早い?

さて昨日のブログ「京都散歩2010.10月」で、今回の散歩企画は、サスペンスドラマ・浅見光彦
シリーズ「崇徳伝説殺人事件」の再放送を見て印象に残った崇導神社が発端だと書いた。
従って昨日は崇徳上皇に因む神社として、その雰囲気のことを書いたのであるが、崇導神社の
栞を改めてよく読むと、崇導神社は、崇徳天皇とは異なる人を祀っている事が分かった。

崇導神社の祭神は、早良(さがら)親王。藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され、淡路島に
流される途中、無実を主張し絶食死した。その後、桓武天皇の近親者の死、悪疫流行が相次ぎ
親王の祟りということで、怨霊を鎮める為に延暦19年(800)に崇導天皇という追号を送った。
崇導神社の創祀年代は不明。貞観年間(859-877)ではないか?と栞に書かれている。

崇徳天皇は、在位期間:1123-1141年。保元の乱(1156)の首謀者。流刑地は讃岐・坂出。
様々な経緯があるが、1164年に流刑地で死去。白峰山に葬られる。様々な世情不安等
により、怨霊伝説が生まれた。崇徳上皇は、彼なりの倫理観、義によって世を正そうとした。
従ってその考えを入れられない事に強い不満を感じていたようである。神仏の加護を信じ
経典を写経して、罪を許してもらおうと努力した。1183年に崇徳上皇の遺児が、上皇の血書
した経典を都に持込んだという話もある。

崇徳上皇の怨念話は、彼の時代が、貴族社会から武家社会への大転換時代であったために
社会不安は恐らく想像を絶するものがあったのではなかろうか?為政者や既得権者の意図が
働いたのかどうかは分からないが善良な民衆は、怨霊話で納得するしかなかったのでは?

現代は、早良親王や崇徳上皇の時代とは千年前後の時空を超えた科学万能の社会。怨霊など
居ようはずもない?本当にそうだろうか?科学を信じ、見えないものを信じなくなったが、
その代わり、科学が生み出した“バーチャルな世界”、架空の世界にのめりこんでいる。
これって、結局、実体のないもの(昔で言えば目に見えないもの)を信じているのでは?
現代の庶民もまた、“バーチャルな世界”で納得するしかないのか?如何なものか。
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京都散歩2010-10月 [散歩]

今回の京都散歩は、松ヶ崎から宝ヶ池を経由して、上高野まで約2万歩の散歩だった。
DSC08622.JPGDSC08623.JPG叡山電鉄の始発駅・出町柳を出発して5つ目の駅・修学院で下車してすぐ西に向かって歩く。五山の送り火の1つ「法」の字の松ヶ崎・東山の南の大通りを少し北に入った裾の細い道を歩く。自動車の喧騒がウソのように静かな古民家や田園風景が開ける。間もなく松ヶ崎・大黒天(妙円寺)。写真は参道のぼんぼり。DSC08627.JPGDSC08628.JPG
同様に、東に進むと、湧泉寺(写真は本堂)。
そこをまた西に進むと、林山の麓に、末刀岩上神社がある。いわゆる磐座(いわくら)信仰の地である。巨石を御本体として祀っている。この神社のすぐ西側に、桜井水という湧き水があった。
◎ 春めける声にきこゆる 鶯は また桜井に住めるなりける 紫式部
 
DSC08633.JPGDSC08636.JPGそこから宝ヶ池通りに出て、すぐソフトクリームの看板の処を横断すると早、宝ヶ池である。
池のそばに、奇妙で巨大な彫刻(ホルヘ ・テ・ ラ・ ペーニャ作、「エスタンピーダ」:写真を参照)がある。この作品は京都・グアダラハラ(メキシコ)姉妹都市提携10周年を記念して,グアダラハラ市から1990年10月に寄贈された。最初は何なのか?分からなかった。DSC08643.JPG馬のように見えたが、異様な“木の古株”の枝のようなものが生えており、何か妖怪のようにみえたが、よく見ると鬣(たてがみ)が豊かに風に靡いているのである。三匹の馬が重なり合うように虚空を飛んでいる。まさに、野生の天馬、空を駆ける様であった。
池の東を巡って北側の広場に出ると目の前に比叡山の雄姿が目に飛び込んでくる。花園橋を渡り、さば街道を高野川沿いに上の方へと歩き三宅橋を渡って、蓮華寺も越えて、最初に崇導(すどう)神社、そして蓮華寺、最後に三宅八幡と順に参詣した。崇導神社には小野毛人(小野妹子の子)の墓がある。慶長18年(1613)に発見され、石棺から鋳銅製の墓誌が発見された。697-707年の文武天皇期に仕えたという。今回の散歩コースを設定した最初のテーマは、実は崇導神社参拝だった。私の好きなサスペンスの浅見光彦シリーズ「崇徳伝説殺人事件」で、この崇導神社が出てくる。異様に陰気な雰囲気で、まさに魔道に経を捧げて恨みを晴らす崇徳上皇を祀った神社にふさわしい雰囲気が気に入っていた。今回訪れて、期待に違わぬ陰鬱な冷気が身を包み、西行が上皇と夢で出会う雨月物語の気分を味わえた。
DSC08651.JPGDSC08656.JPG
蓮華寺も印象深いお寺であった。黄檗山の隠元禅師、木庵禅師などの影響の濃い禅寺風の本堂や、茅葺の鐘楼堂や裾が波打つ梵鐘も珍しかった(写真参照)。



その後、三宅八幡までの道も素晴らしかった(写真参照)。今年の残暑の厳しさを思い出させるように、彼岸花が10/6というのに綺麗に咲いていた。DSC08659.JPGDSC08660.JPG
最後の三宅八幡では、外出寸前の神主さんがわざわざ引き返して、参拝の栞を頂きました。虫除け八幡は、子どもの疳(かん)の虫よけ、小児病を治す神として崇められている。
DSC08662.JPG
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