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「ゲゲゲの女房」19週 [物語]

今日は立秋。こころなしか、風に秋の気配を感じるが、“立秋”という言葉の影響か?
さて今週の「ゲゲゲの女房」の見どころは、倉田圭一(窪田正孝)が、茂(向井理)に漫画の
新人コンクールに出す作品を見てもらう場面である。倉田は布美枝(松下奈緒)の妹・いずみ
(朝倉えりか)に好意を持っており、早く新人賞をとりたいと焦っていた。師匠の茂は、
「焦っちゃいかん!ジックリ勉強しておかないと続かなくなる。アイデアを絞って脳がカラカラに
乾き切っても、そこからまだアイデアを捻り出さなければならない。焦って賞をとっても
続かなければ何にもならん。焦って選んだ道の先は、行き止まりだ。」と倉田を諭した。

「焦ってはいかん!焦って選んだ先は行き止まり。」というセリフは、様々な場面に適用できる
のではないかと思う。社会的仕組み改革は、所詮、金の配分を変えるだけである。改革に伴って
人間の心がどう変わるか?何の保証も無い。焦って金に飛びついても、先はないのだ。

昨日紹介した「ポストモダンの共産主義」で、“ポストモダン資本主義”の限界の例として、ビル・ゲイツが
大金持になった理由を説明していた。それは製品を世界標準化し業界を独占したからだという。
著者は新概念を捻り出して、ビル・ゲイツが得た金の出所を説明しているが、マルクスのいう搾取に
当てはまるものはない。知的労働者は一応、生産手段も確保している。それでも新概念を使い、
生産者が生産手段と切離されていると、“ポストモダン資本主義”を非難している。
“ポストモダン共産主義”では、そういう問題は起こらないと断言できるのか?屁理屈を捏ねている
だけに過ぎないのではないか?生産者が生産手段と切離されないケースは、現代でも農業や
家内工業など、伝統を重んじる元気な地方や京都では、今なお維持されている。中国に
世界の工場を乗っ取られ、最近また新しい視点から農業や伝統工芸品は見直されてきている。

もう1つの見どころは、郁子(桜田聖子)が、合併話をキッカケにして深沢(村上弘明)の嵐星社を
辞職する件である。妹・いずみ(朝倉えりか)が、郁子を「冷たい」と評したのに対して、布美枝は
「私もよう分からんけど郁子さんは仕事の上で、やりたいことがあったからではないか?
仕事に生きるにはそれだけの覚悟が必要なのだろう。」と、理解を示した。そしてまた、改めて
自分は茂と共に歩む覚悟をするのだった。郁子と布美枝、生きる道は違っていても “本物”同士は
互いを知るということだろう。妹のいずみは、それを感じ取り、自らの道を踏み出そうと決心する
のだった。人生の意味は自らが“本物” の道を歩むことである。“本物”の道に行止まりはない。
“本物”になりたいと思い、永遠に追求する対象である。如何なものか。
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