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残暑雑感 [閑話]

今年の夏(立秋を過ぎたからもう秋?)は、殊のほか熱いような気がするが、年のセイか?
例年の熱さのピークは、7月下旬から8月上旬で、8月も半ばを過ぎると朝夕は涼しくなる。
また昨年か一昨年位までは、日中仕事するときにも冷房を使う回数が、ズッと少なかった。

午前の仕事中、窓際の小さなベランダ?に熱風と共に、セミが舞い込むというか、落ちてきた
というか。その内いなくなるだろうと仕事を続ける内に忘れてしまっていた。午後一時ごろ
思い出して覗いてみたら、まだ居るではないか!木製の床に腹ばいになっているから、まだ
生きているのだろうと、慌てて口に水を含んで霧を吹きかけてやった。微動だにしなかった。
食事の後、見たら何と、居なくなっていた。私の霧吹きで蘇生したのである。

ささやかな命が生き延びることを手伝って「あぁ!良かった!」と思った瞬間、
畑でミミズをちょん切ったと言っては仏間に篭ったという曽祖父の事を思い出した。
いつの頃からか「怠け者」と思っていたが、本当は仏教に帰依していた信心深い人だった!
と直感した。曽祖父の尊い信仰心のお陰で、私にもささやかながら宗教心があると分かった。

夏が暑いのは、今年が特別なのではないかもしれない。8年以上前に当地に帰ってから、
俳句を作っていたが、'03~'04の夏の句に、以下のようなものがある。
◎ クマゼミを 今年も葬る 散歩道 ('03.07)
◎ 鳩さえも 亡骸横たう 散歩道 ('03.07)
◎ 今日二匹 クマゼミ葬る 散歩道 ('03.08)
◎ セミむくろ また葬りて 酷暑かな ('04.09.10) 

'03年が7匹?'04は10匹以上を葬ったが、'05年以降、俳句も徐々にできなくなると共に、
セミの遺骸も、年々、急増して、ここ数年は、お弔いの儀式は省略していた。
鳥の犠牲者も鳩だけではなく、カラスや雀、その他・鳩クラスの大型の鳥も犠牲になる。
鳥やセミが行き倒れになるのは田んぼや畑が減少するからか?
兎も角、弱い動物は生きて行けなくなりつつあることは確かである。
その証拠に最近、ミンミンゼミの声を聴かなくなった(少なくとも今年は全く聴いてない)
ヒグラシも随分聴いていないように思う。人間が繁殖するという事は、結局・弱肉強食の世
ということか?高福祉社会は人間最優先社会。それで良いのか?如何なものか。
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「ゲゲゲの女房」20週 [物語]

今週の「ゲゲゲの女房」のポイントは、夫婦関係、親子関係、見えるものと見えないもの。
夫婦では、茂(向井理)と布美枝(松下奈緒)、同居している茂の両親の絹代(竹下景子)と修平
(風間杜夫)、そして、上京してきた布美枝の弟・貴司(星野源)の3組の夫婦関係にスポットが
当たる。茂の両親はカカア天下だが、修平は「暖簾に腕押し、糠に釘」と軽く受流すので、何とか
うまくいっているようだ。茂・布美枝と弟・貴司の夫婦は、旦那の仕事が忙しく、「妖怪いそがし」に
取り付かれ、家庭内のコミュニケーションに問題がある。“忙”とは“心が亡くなる”と書く。
心の無いコミュニケーションでは、人間関係をうまくやっていく事はできない。

親子関係は茂・布美枝と藍子(菊池和澄)・喜子の関係である。藍子は母親似で引込み思案。
学校で各家庭の連絡先を確認するために配られた資料の父親の職業欄が「漫画家」になって
いたために藍子は友人からとやかく言われて嫌な思いをする。喜子は父親似でゴーイングマイウェイ。
幼稚園の先生から呼び出されて団体行動ができないのではないか?と注意される。義父の脩平
から茂の幼い頃の話を聞かされて、「人とは少し違った小さい頃の体験が、現在の漫画家と
しての成功につながっているのではないか。」という話に、布美枝は一息つくのだった。

人間関係に問題があったとして、当事者だけで問題を解決しようとしても泥沼にはまっていく?
兄弟や父母、配偶者、或いは友人、知人との対話に、行き詰っている視点を転換してくれる様な
アイデアを見出すことができることもあるが、それはいつでも意図的に出来るものではない。

「妖怪いそがし」に取り付かれ、娘達のことが見えなくなっていた茂・布美枝夫婦は、弟や父の助けを得て、やっと藍子・喜子と向き合う機会を設けた。そこで最も大切な部分は、“見えるものと見えないもの”に関する親子の対話である。科学主義・合理主義で固められた民主主義や共産主義教育では、“見えないものを信じること”を否定し、場合によっては軽蔑さえする。その様な時代の風潮の中で、藍子は「父親がウソを書いている」と友達から非難されて悩んでいたのである。
山小屋の蝋燭の下で説明した茂の内容で藍子は果たして納得できたのか?私は以下の様に考えている。個人は全てのことを知る事も見る事もできないし、記憶さえ全て記憶できない有限な存在である。しかし人間を含む生物、社会、自然、そして宇宙は、無限の存在である。従って、個人が“見えるもの”だけしか信じないのは片手落ちだ。しかし“見えないもの”を信じる場合には、それを信じたら「群集心理」に陥るかどうか?チェックする必要がある。「万世一系の天皇」も宗教ではいい?でも政治では問題。“自分が見えないもの”を疑う精神も大切! 如何なものか。
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閑話'10.08.13 [社会]

盆休みで帰省していた息子を空港まで送ったついでに、週刊誌を買った。
その週刊誌「週間現代」に、“スウェーデンは本当に幸せな国なのか”という記事があった。
菅首相の「強い福祉」という政策でスウェーデンの注目が増しているが、果たしてどうなのか?
記事の内容は、大まかに、3つの部分に分かれている。1つは、スウェーデン人と結婚して
ストックホルムで小学校教員として働く日本人女性(E.F)のスウェーデン観である。
スウェーデン社会の問題点を、①教育、②年金、③医療、④就職難に分けて書いている。
E.F女史には2010.07.21の朝日新聞に「スウェーデンは理想郷では無い」という投書がある。

2つ目は、「スウェーデン 高い税金と豊かな生活」の著書がある明治大学・星野泉教授の意見
である。学校のレベル、教員の質、或いは医療、就職難などE.F女史の意見を肯定している。
「スウェーデン 高い税金と豊かな生活」を肯定している星野教授が、E.F女史の意見をも
肯定する事に、矛盾を感じるだろう。その謎を、第3番目の意見が種明かししてくれる。

3番目の意見は、3年半、スウェーデンの大学に留学した女性などによるものだ。彼女曰く
多くのスウェーデン人は、プロテスタントの一派(ルーテル派)で、質素な暮らしを好み
長時間待たされる病院でも、文句を言っている人を見かけたことがない。また酒は好きだが
値段は日本の倍くらい。お金がなければ質素な食事で我慢するのだという。

「高福祉社会」というスウェーデンの看板は、日本人にとって相当、眉唾ものである事は
この記事や、E.F女史の2010.07.21 朝日新聞の投書を読んでも明らかである。
この記事を読んで民族の歴史や宗教、伝統・文化、気候風土という違いを抜きにした
“福祉論争”は、不毛であると、つくづく思った次第である。

明治以来、西洋に追いつけ追い越せ!と頑張ったツケが、第2次世界大戦であった事を忘れ
戦後も、またぞろ、バスに乗り遅れるな!追いつき追い越せ!でやってきた。政権交代で
少しはまともな意見でも出てくるかと思ったら、またぞろ、高福祉社会などとバカをいう。
「福祉」の基礎になる思想が全く違うプロテスタントの北欧人の形だけ真似てどうする気?
まだ懲りずに猿真似を続けていくというのか? スウェーデンの「福祉」のベースは、
正直・親切(利己主義の排除)、質素・勤勉である。この様な言葉が既に死語となりつつある
日本社会で、スウェーデンの「福祉」が成り立つと思うのか? 如何なものか。
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お盆・父子ゴルフ3年目 [大家族]

今年で、Shinとのゴルフ対決も3年目を向かえた。
(2008.08.14の「'08お盆・父子ゴルフ」、2009.08.13の「盆休'09」のブログを参照)
一昨年は初体験ということもあって、何ともいえぬ緊張感があった。
二度目の昨年は、良いプレーを心掛け平常心でプレーしたのがよかった。
Shinは勝ちに来ていたようだが、最初に躓いたのが、大きかった。

今年は、台風4号が朝鮮半島南端を掠めて通ったお陰で、強風下でのラウンドとなった。
今年も、Shinは勝ちを意識してか、前半は余りよくなかった。しかし私も前半の最後ホール
(Inからのスタートだったから、18番)で大叩き。原因はロストボール。風の悪戯か?
ロストボールになるはずのない球だった。結果論だが、これで流れが完全に逆転した。

昼食後の後半outの出だし、Shinは、4番までパープレイで、私は大分遅れを取った。その後も、
Shinは好調を持続し、結局、ハーフ・18ホール共、自己最高を達成した。私はズルズルといつもの
悪いパターンになって、3戦目で遂にShinに華を持たせた。今日の敗因は、何だったか?
具体的な理由はいろいろあるだろうが、問題は私の心理状態にあったと思う。
Shinを迎え撃つために、今年は例年にも増して入念に練習を積んでいたのである。
或る時に、今年も私が勝つようだと、Shinが自信をなくすのではないか?と思った。
その気持が、前半のShinの不振をみて、益々、その不安が増幅していったのである。

前半最終ホール、大叩きして、どこかでホッとしている自分に気付いたのがいけなかった。
勝負に拘ってもいけないが、勝負に気を抜いてもいけない。
一度、気の抜けたビールは、どんなに頑張っても、もう元には戻れない。
ゴルフで大切な事は、長い試合の間、様々な山坂があるが、気を抜かないことだ。
神が降りてくる状況を維持し続ける事はできなくとも、何時でも、「神が降りてくる」状況を
維持し続けることが大切なのだと、今回、良く分かった。

Shinは、これからドンドン上達していく人間だし、私は下り坂の人間である。
ゴルフはハンディキャップというものがある。だからグロスで負けても恥ずかしくは無い。
私が元気でプレーできる間は、互いの1年間の成績に応じたハンディを設定して
今後も、正々堂々の勝負をしようではないか。それ程拘るまいか? 如何なものか。
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'10夏の全国高校野球大会 [希望]

DSC08601目覚し.JPG昨日は、バスを連ねて、甲子園まで、岡山県代表の倉敷商業高校を応援しに行ってきた。私にとってこの様な応援は初体験だ。前日は、冷凍の利く飲料水や駄菓子その他、小さい頃の遠足気分で準備万端整え、19:30には床に就いた。早朝の5:15に最寄の場所に集合との事で、朝の3:00(左の写真は目覚し時計の起床時間を記念に撮影 画像の上でクリックすると拡大写真になる)に起床した。なかなか寝付けなかったが何とか6~7時間くらいは睡眠を取れたのではなかろうか?
DSC08607倉商bus.JPG
バスの窓に、“必勝!倉敷商業<校章>”の文字が跳ねる。高速のPAで撮った。今夏の全国高校野球大会は、連続出場3年目である。3年連続は倉商野球部始まって以来の快挙だ。一回戦の対戦相手は強豪の早稲田実業だが、応援に集う人々の中から、弱気な発言は全く聞かれない。倉商の今年の一文字は、「越」。先輩を越える!を合言葉に急成長を遂げたチームに、応援団は全幅の信頼を寄せていた。
DSC08608バス列.JPG
三枚目の写真は倉商応援団のバスの列である。撮影場所の後ろにも沢山のバスが駐車していたが逆光になるので撮らなかった。生徒の応援団、学校OB、父兄、また様々な人々が仕立てたバス等、60台近くになるとの事だった。たまたま知合いの先生にバッタリ会った。生徒の応援団を引率しているのだ。暑い中、大変だろうが、率先して楽しそうにやっている姿に、立派な先生だなぁ!と感心した。よし!これは早実相手でも勝てそうだと、気分も盛り上がった。DSC08611試合後.JPG
最後の写真は試合後、選手達がアルプススタンドに挨拶に来た後シャッターを切った。結果は残念ながら2-0で負けた。彼らが挨拶している時には慰めの言葉をかけるのに懸命で写真を撮るのを忘れていた。彼らのうちの数人は泣いている様にも見える。観戦していても気が遠くなる暑さの中、選手たちは良く頑張った。強豪・早実に一歩も引けをとらない堂々たる試合だった。2つのエラーに絡んで2点取られたが、あのエラーの瞬間は、私もボーッとしてしまうような一陣の魔の熱風が通過した瞬間だった。鍛えに鍛えた選手達にとり、あのエラーは悔いても悔いたりないだろう。だが人生には人智の及ばぬこともある。鍛えた心身を大切に、これからの人生を立派に過ごしてもらいたいものである。如何なものか。
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「ゲゲゲの女房」19週 [物語]

今日は立秋。こころなしか、風に秋の気配を感じるが、“立秋”という言葉の影響か?
さて今週の「ゲゲゲの女房」の見どころは、倉田圭一(窪田正孝)が、茂(向井理)に漫画の
新人コンクールに出す作品を見てもらう場面である。倉田は布美枝(松下奈緒)の妹・いずみ
(朝倉えりか)に好意を持っており、早く新人賞をとりたいと焦っていた。師匠の茂は、
「焦っちゃいかん!ジックリ勉強しておかないと続かなくなる。アイデアを絞って脳がカラカラに
乾き切っても、そこからまだアイデアを捻り出さなければならない。焦って賞をとっても
続かなければ何にもならん。焦って選んだ道の先は、行き止まりだ。」と倉田を諭した。

「焦ってはいかん!焦って選んだ先は行き止まり。」というセリフは、様々な場面に適用できる
のではないかと思う。社会的仕組み改革は、所詮、金の配分を変えるだけである。改革に伴って
人間の心がどう変わるか?何の保証も無い。焦って金に飛びついても、先はないのだ。

昨日紹介した「ポストモダンの共産主義」で、“ポストモダン資本主義”の限界の例として、ビル・ゲイツが
大金持になった理由を説明していた。それは製品を世界標準化し業界を独占したからだという。
著者は新概念を捻り出して、ビル・ゲイツが得た金の出所を説明しているが、マルクスのいう搾取に
当てはまるものはない。知的労働者は一応、生産手段も確保している。それでも新概念を使い、
生産者が生産手段と切離されていると、“ポストモダン資本主義”を非難している。
“ポストモダン共産主義”では、そういう問題は起こらないと断言できるのか?屁理屈を捏ねている
だけに過ぎないのではないか?生産者が生産手段と切離されないケースは、現代でも農業や
家内工業など、伝統を重んじる元気な地方や京都では、今なお維持されている。中国に
世界の工場を乗っ取られ、最近また新しい視点から農業や伝統工芸品は見直されてきている。

もう1つの見どころは、郁子(桜田聖子)が、合併話をキッカケにして深沢(村上弘明)の嵐星社を
辞職する件である。妹・いずみ(朝倉えりか)が、郁子を「冷たい」と評したのに対して、布美枝は
「私もよう分からんけど郁子さんは仕事の上で、やりたいことがあったからではないか?
仕事に生きるにはそれだけの覚悟が必要なのだろう。」と、理解を示した。そしてまた、改めて
自分は茂と共に歩む覚悟をするのだった。郁子と布美枝、生きる道は違っていても “本物”同士は
互いを知るということだろう。妹のいずみは、それを感じ取り、自らの道を踏み出そうと決心する
のだった。人生の意味は自らが“本物” の道を歩むことである。“本物”の道に行止まりはない。
“本物”になりたいと思い、永遠に追求する対象である。如何なものか。
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広島原爆の日'10 [希望]

朝食時に、原爆式典のTV実況放送を観た。今年は潘基文(パン・ギムン)国連事務総長や
米国のルース駐日大使のほか、英仏両国の代表も初参加した。国連事務総長の扱いに比べ
ルース駐日大使や英仏両国の代表は、末席に近い扱いで、勿論、スピーチもなかった。

今年の原爆式典が、例年に無く盛り上がったのは、オバマ大統領のお陰である。
昨年10.10のブログ「カオス?コスモス?」でも触れたが、オバマ氏の核廃絶の呼びかけが
世界中の多くの人々の心を捉え、世界的な盛り上がりを見せてきたのだと思う。
この様な時に、今まで参加しなかった米英等が、どの様なメーッセージを発するか?
聴いてみたかった気もする。

「ポストモダンの共産主義」の著者・ジジェクは、“破局への対処法”について書いている。
「大惨事を避けるための唯一の道は、それを不可避な事として受入れることである。」
「その上で運命を変えるために、時間を超えて未来に追いつき向き合って、実現して欲しい
未来が、そこにあるかのように、今、行動することである。」という。
式典を観ながら、ジジェクなら、どんな感想を漏らすだろうと思った。

スラヴォイ・ジジェクは、前述の著書の中で、“ポストモダン資本主義”の限界と矛盾を指摘し、
昔の人が、自堕落な人生の終末で「宗教」に回帰するように、反コミュニスト左派の人々に
マルクス共産主義を超えた“ポストモダン共産主義”への回帰を呼びかけている。
果たして、オバマ大統領のパフォーマンスは“ポストモダン資本主義”の上塗りなのか?
それとも、大惨事を避けるための唯一の道を指し示すものなのか?

いずれにしても
“ポストモダン資本主義”の見極めには、もう少し時間が掛るのではなかろうか?
そしてまた、裏切りの反コミュニストが晩年に“ポストモダン共産主義”と和解するのは良いが
従来の共産主義同様に、若い人々が軽々しく “ポストモダン共産主義”に飛びつく軽薄さは
慎みたい。“破局への対処法”を心がければ、物質世界の急変、即、破局にもなるまい。
精神世界は必ずしも即応できないので、物質世界における調整も必要では?
まあ要らぬ老人のお節介? 如何なものか。
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natsuの誕生日 [大家族]

今日はnatsuの誕生日である。natsuの誕生した当時、私はまだ勤めていた。
当時はCALS(調達とライフサイクル支援のディジタル化)に関する取組みを行っていた。
現在では、公共団体の調達・電子商取引に、無くてはならない技術として定着しているが
本来は設備等の調達とライフサイクル支援の基本の情報処理技術を体系化したものである。
当時としては新しい技術であり、取組みは面白かったが、

お陰で、natsuの当時の記憶は?正直、余り思い出せない。
友人のブログ
http://blog.livedoor.jp/kumiyu/archives/2010-07.html#20100727
に「二人目はなんだかんだと手を抜かれ」という川柳が載っていたが、
natsuも二人目の孫。なんだかんだと、私の注目度が落ちてしまい申訳ないと思っている。

孫の中で一番大人しくて目立たないのがnatsu。でも学業成績は抜群、友人の信望も厚い。
あまりチヤホヤされないことが、却って物事を見る目を養い、本質を捉えられるのでは。
今後もすくすくとしなやかにしたたかに健やかに成長していくことを心から祈っている。
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2010-07健康月報&利と義 [大家族]

7月の私の健康管理状況をまとめた。当面目標をクリアした。結果は以下の通り。
1.万歩記録。合計・406千歩。1日平均・13100歩。1週間平均・91701歩。前月から漸増。
2.筋トレ。実施日・22日で 実施率:0.710と先月よりも若干ながら増えている。
3.スロージョギング。実施日・25日 実施率:0.806と前月から漸減、ほぼ横ばいである。
  1日平均時間・41.9分 (1ヵ月間のスロージョギング実施時間/31日)、前月の2分減
  酷暑の中、少しやりすぎたのではないか?昨年の二の舞になるか?
4.ゴルフ素振り、アプローチ、練習場等。17日実施で0.548。先月よりも若干増えた。
  盆休みの息子とのゴルフ対決も3年目を迎える。最近、Shinは成長著しいらしい。
  慎重なトレーニングが必要になったということか?

「ゲゲゲの女房」の物語の主人公・布美枝(松下奈緒)にとって「義」とは何だろうか?
それは茂が心血を注いで製作するマンガが評価されることだろう。18週では実際に評価され
収入も多くなり、新婚以来の貧乏から解放されて人並み以上の生活もできるようになった。
目出度し、目出度しだが、物語はまだ継続するので、後半の2ヶ月の展開が楽しみである。

さて茂が世間に評価されることがなぜ「義」になるのか?恐らく「世間の評価を得ること」は
社会のお役に立つという証であり、従って、「世間の評価」=「義」という等式が成り立つと
考えるからだと思う。この考え方は、貧しかった時代には通用した。しかし現代の様に、
世の中に沢山の余裕ができて、その余裕が、どうでもよいつまらぬ欲望の消費に使われている
時代では、この等式は成り立つのか?社会の大勢が「義」を継承し守っていれば、個人や組織
の様々な欲望によって雑音を伴うが、大きな流れ、長い目で見れば「義」は保たれている?

現代は、「義」を継承し守るのではなく、「利」に目くじらを立てている様に思う。即ち
「不義」(正しくない行い)を糾そうという方向に傾いている。それが、本心から不義糾弾
であれば、「義」を守る事に等しい。しかし、その行為が「義」を建前とした嫉妬やねたみ
であるとすれば、社会の大勢は、浪費や貪欲と同じ「不義」に傾いてしまうだろう。
そういう行為は社会の大勢が、「義」を失う方向である。「民」の大勢が「不義」を働く様に
なったのでは、民主主義社会は、機能を発揮できなくなる。考え方の古さには関係なく、
布美枝(松下奈緒)のように、「義」を主張し「義」を貫く生き方こそ大切だと思う。また
「義」の仮面をかぶった「不義」の政治家を見分けることも大切だ。如何なものか。
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