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「ゲゲゲの女房」と自浄作用 [物語]

「ゲゲゲの女房」16週“来るべき時が来た”は、茂(向井理)がいよいよメジャーになる話。
茂が少年雑誌から再び声が掛った。それも前のように「宇宙もの」といった条件なしである。
彼の閃きで、テレビに自由に出入りできる少年「テレビ君」という物語を着想する。
茂は家中の金をかき集めてテレビの質流れを買って帰ってくる。相変わらずの独断専行である。
そんなことに不平も言わず、ご近所から古雑誌を回収し健気にテレビ関係の記事を集める。
そして雑誌記事を見せる時にも、日頃言われている「仕事には口を出すな」を気にかけて
恐る恐る申し出るのである。旦那の言うことを決して悪意に取らず、一生懸命信じて支える。

私は以前のブログ「2010-05-06ゲゲゲの女房・34」で茂が漫画を書くことは一種の浄化作用だ
と書いた。多くの人命を奪い、心身を傷つけた第2次世界大戦という過酷な戦争を体験し、
自らも片腕を失った。その不条理な巨大なストレスに雄々しく立向うには、不条理な漫画を
描くしかなかったのではないだろうか?世の不条理さを、漫画を創作しながらトコトンまで
追求したのであろう。だから印刷すれば分からなくなる細かな部分まで書き込んだのである。
そうした自浄作用の中で、人間として、また漫画作家として成長して行ったのである。

今週の「ゲゲゲの女房」物語で、茂個人の自浄努力は一応の終了式を迎えたということか。
今まで茂個人の過去に溜め込まれたストレスは、質草を全て受け出してきたように浄化作用に
よって、一応、綺麗に清算されただろう。しかし茂の浄化は、個人的なものではない。大勢の
人生の仲間、即ち、両親、兄弟、仕事仲間、ご近所付き合いなど多くの人々に支えられ、勇気
付けられ、或いは鍛えられてきた賜物である。茂の浄化作用で布美枝(松下奈緒)を忘れては
ならない。貧乏にも、また茂の時には冷たい態度にもくじけず、茂を信じて、支え続けてきた
布美枝(松下奈緒)の姿は、現代女性と対比する時、信じられない思いに囚われるのである。

振り返って、現代は豊かで、栄養が行き届き、みんなの生命は輝いている。あの大戦後の
生きていく事も大変だった時期と比べると、ストレスを浄化することは簡単な様に思える。
しかし現代のストレスは浄化作用と相まって平衡状態を維持するというよりは、段々と
増大しているように見える。終戦後の混乱期よりも、体力も気力も充実しているはずだが?
ストレスの繁殖力と、ストレスを浄化する能力とは、裏腹の関係にあるのではなかろうか?
体力や財力・気力がストレス繁殖力の温床になる場合である。そうだと浄化力は減少する。
この逆転現象を何とか防止しないと日本はまた崩壊の悲劇に会う?如何なものか。
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