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宮里藍への違和感 [社会]

宮里藍が2010年の米女子ゴルフ:トレスマリアス選手権>メキシコ、トレスマリアスGC(6539ヤード、パー73)で
今期3勝目を挙げた。米女子ツアーでの日本人選手のシーズン3勝は、岡本綾子以来で2人目という
快挙だそうである。石川遼と同時期に洋の東西での活躍に拍手を送りたい。

しかし、石川遼とは少し違う。何か不満というか、心配というか、違和感がある。
それはTVニュースで流された優勝スピーチでの内容である。以下は日刊スポーツ紙面より

 “優勝スピーチでは、オチョアへの思いを語るたびに、声が詰まった。メキシコが生んだ
 ヒロインをたたえる日本のヒロインを、地元の大観衆が拍手でたたえる。まるで世界女王
 から次期女王への戴冠式だった。”

実際に優勝スピーチを見た人は、もっと異様に感じたと思う。優勝スピーチというのは
私的な座談ではない。勿論、日本人には、そういったケジメがない人は多いけれど。
それに引き換え、朝日新聞に掲載されたオチョアの話は、
 “最後の18番はティーショットをフェアウェーに打ててよかった。ファンに囲まれてフェアウェーを歩く時
 感情が込み上げてきたけれどその瞬間を楽しめた。今日のプレーは一生忘れない。”
というものである。

宮里藍の公式ブログにも「表彰式直後の引退セレモニーも、沢山の選手が残っていました。」
と書いてある。勝利したボールの贈呈や、私的な思いはその場でも十分だったのでは?
オチョアがどれ程の名選手か、或いは筆舌に尽くせない大恩があるのか知らないが、
そういう人であればあるほど、その後継者を自任するのなら、公私の別を心得た自立した
人間として、堂々たる態度をとって欲しかった。それこそが、相手への最高の礼節であり
最高の気持の表現ではなかろうか?

首相は普天間問題で今日、沖縄入りして結局「県内に一部機能を残さざるをえない」という。
首相自らが、公私を混同し、私的な感情にのみ拘って、沖縄県民を振り回した事に比べれば
宮里藍の公私混同など可愛いものだ。だが、日本の体質がそうだからと言って、甘えていた
のでは何も解決しない。“人の振りみて我が振り直せ”人の悪いところを見て自らを正す。
一人一人がしっかりと世間を見て、自らを正し、自立しなければ! 如何なものか。
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