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屋内散歩 [物語]

今日は04月12日同様、朝からずっと雨、一週間に二日もこんな日があるのは当地では珍しい?
今頃の雨を、“春の長雨”、“菜種梅雨”などと呼ぶそうだ。他の土地では毎日降り続くことも
あるが、当地では、終日(朝から夜まで)降り続く事は稀で、散歩の時間位降り止むのが普通。
雨中遊行も、度重なると鬱陶しいので、今日はイオンに出かけて館内を巡る散歩にした。
イオン内の喜久屋書店は品揃え豊富なので、昨日探していた本を再度探したが見当たらない。
そこで店員さんに聞いたら、上手に探し当ててくれた。さすがプロ!感謝、感謝である。

それはさておき、昨日図書館で借りた本・村田良平著「回顧する日本外交」を読み出した。
私の読書目的には、1)推理小説のような謎解き、2)現実的に必要とする知識の習得以外に
3)著者・作者の著作の意図・目的の解明、4)著者・作者の認識方法、考え方の基盤解明等が
ある。この本の読書目的は、先月亡くなった村田良平氏が、核密約問題に触れた回顧録を発表
した背景、考え方の基盤などを探るためであった。
この本で最初に注目したのが、第4章・最終節・国旗と国家と鎮魂歌(日本とドイツ)である。
私は、常に自分と異なる意見については、その違いを明らかにし、その根拠を詳らかにしたい
と思っている。私が“今「核密約問題」ではない”と思うのに対して、村田氏が「核密約」を
なぜ回顧録で言及したのか?その違いの根拠を明らかにするために、この節に注目したのだ。

読後の感想は、皮相的ではあるが、戦前(1929)生れ世代と10年強遅れ生れ世代の違いだ。
この節の最後を、“言うなかれ、君よ、わかれを”で始まる大木惇夫の詩「戦友別盃の歌」で
締め括っている。第二次世界大戦を鎮魂の祈りに満ちた叙事詩となると予想しながら、実に
情感溢れる抒情詩で締め括るとは、大変感情豊かな人だと思われる。大木惇夫については、
合唱組曲「土の歌」最終曲の“大地讃頌”の作詞者であることから、戦前に多くの詩を書いた
大詩人であることを知っていた。「戦友別盃の歌」は、私の世代でも十分に鑑賞に堪えるが、
残念ながら、国民的鎮魂歌とはなっていない。ドイツでは今や(著作当時:2002年)鎮魂歌と
して定着している歌「僕には一人の戦友がいた」があるのとはチョッと異なるようだ。

村田氏は日本の国益を常に考える愛国者だったようだ。「核密約」に触れたのは、日本の弱腰
外交を糾す目的であった?民主党はその事を勘違いしているように思う。民主党は弱腰外交を
糾す方向を間違っている。「普天間問題」を暗礁に乗り上げ、日米関係を破綻させる方向では
なく、官僚や民衆の意識改革を先行すべきではないのか? 如何なものか。
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