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ゲゲゲと文化資本 [物語]

今日は本当に暖かい。散歩に良い時節になった。ただ散歩するだけで幸福感が湧いてくる。
散歩しながらNHKTV小説「ゲゲゲの女房」12話を思い出していた。布美枝(松下奈緒)に来た
縁談を進めるに当たって先方の仲人さんの訪問があり、相手の村井茂(向井理)の紹介やら、
仲人と布美枝との対面が行われた。布美枝が仲人に挨拶するに当たり、父・源兵衛(大杉漣)が
たった襖を開けて挨拶するだけの事に、やたら細かく布美枝に指示するのを訝しく思った。
ドラマの進行と共に、その理由は分かったのだが、昔の人は皆、そんな気を使ったのだろうか?

女性の背が高い事に引け目を感じていたのは戦前の事であって、布美枝が見合いしたという
昭和35年(1960)頃に、そんなに気を使ったろうか?昭和35年代前半は私の姉や姉の友人が
結婚適齢期?で、私も中学・高校生だったが、様々な噂話を小耳に挟んでいたので何となく
違和感がある。地域によって差があるのかも知れないし、家庭による違いもある様に思う。

私が思うには、そういう家風の中で育ったところに、布美枝の人格形成があったのだと思う。
個性的文化資本≒家風ではないが、従来、個性的文化資本は人格形成に大きな割合を占た
と思う。最近では個性的文化資本の存在を評価せず、普遍的文化資本のみを追い求めるように
なった?普遍的文化資本の内容とはどんなものか?私にはよく分からないが、恐らく上流階級の
文化を真似たものではないかと思う。マナーは上品・優雅で、気持は鷹揚、度量がある。細かな
事にはコセコセしない、といったようなものではなかろうか?

何故、個性的文化資本が評価されないのか?それは個性的文化資本を見失った人々が、余裕が
出来て周りを見回した時、客観的に文化資本を見比べて普遍的文化資本という幻想を作りだした
からではないか?戦後も少し落着いた昭和30年代、よろめきドラマが流行した頃に、“ザーマス言葉”
や“有閑マダム”という言葉が全国的に流行したが、元は東京・山の手、その元は上流階級が源?
この流行の頃から人々は個性的文化資本を見失い、普遍的文化資本という幻想を生み出した?

布美枝の父・源兵衛を、大杉漣は凄く頑張って演じていると思う。源兵衛を明治生れの古い型の
一般的な父親像としてみるのではなく、個性的文化資本を体現している一人の人間として見る時
このドラマにズンと奥行きが出てくる。源兵衛が布美枝に「・・・わしはあの男に会って見たい」
「どんな人間でも失敗する時がある。そげな時にしぶとく立ち上がるのは、あげな男ぞ・・」と
熱弁を振るう。文化資本から湧き出る自信がなければ言える言葉ではない。如何なものか。

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