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独学への挑戦 [物語]

人真似でなく、自分自身で工夫した人生を獲得する為には、人生を“独学”で学ぶ必要がある。
“人生の独学”が廃れたか?実践している人も大勢いる。だが、そういう実践者が見え難い。
それは、世の中に流通する情報が、金目当ての情報ばかりであるためだ。その傾向は、既に
世界的な広がりを見せており、それがますます実践者を見え難くしているのかも知れない。

人々に“人生の独学”の大切さを知らせる情報は、お金にならない?金で何でも苦労なく入手
可能な現代人にとって、“独学”などというしち面倒くさいことに金を使わないと思うから。
“人生の独学への挑戦”(以後、“独学への挑戦”)は、本来、金儲け的な情報からではなく
“文化資本”の影響を受けるところから始まるのである。

現代日本は多様化されているといいながら、それは表面的なことが多く、現実的な価値観は
拝金主義に収斂し、ますます画一化している。現代日本において“独学への挑戦”による
多様な“個性的文化資本”の蓄積が如何に重要かは、一昨日のブログで強調した。

従来の日本では、様々な“文化資本”があるが、“個性的文化資本”は家族制度を基盤として
いた。ところが第二次世界大戦で敗戦した日本では、経済復興ばかりを優先し、民主主義、
自由主義下の新しい社会制度の構築を怠ったために、全体主義的縦社会構造が崩れた。
支えを失った家族制度そのものが風化し、 “個性的文化資本”の多くが危機に瀕している。

戦後の日本の洋化が、元々脆弱な“個性的文化資本”を持つ庶民を直撃したにも係わらず、
その事の重要性に気付かず、戦前と同様に画一的な価値観を刷り込み、金太郎飴教育を
継続してきたのは、主張内容は違え左右両陣営とも同じだった。そのドン詰まり内閣として
超保守・保守・左翼合同の現鳩山政権がある。従ってその政策も、金を餌にして、民衆を
“金で幸福が買える”かのような画一的価値観を押し付けさらに日本の状況を悪くしている。
現在の日本の教育を批判する人々も一方は官僚を、もう一方は日教組を悪者にして自分達は
正しいとするのみで、そのビジョンもない。多くの人々が“個性的文化資本”の重要性を
見失った流民の様である。“個性的文化資本”のある側から見ると、流民は腹をすかせた
憐れなハイエナの群れに見える。大切な事は、これ以上、日本の“個性的文化資本”が衰退
しないようにする事である。そのための “自分との戦い”に挑み、“個性的文化資本”を
独学で形成していく。心ある人はそういう人の育成を心で、情報で助けよう!如何なものか。
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